漢詩の最高傑作とは何でしょう?有名所だと教科書の「春暁(しゅんぎょう)」「春望(しゅんぼう)」「黄鶴楼にて孟浩然の広陵へ之くを送る」などが挙げられます。
この3作品はそれぞれ味わいがありますが、このページでは、個人的に漢詩の最高傑作を紹介しています。好きな作品が多すぎて1つに絞れないので、内容別(友情・恋愛・家族・戦争・勉強・自然)にそれぞれナンバー1を紹介させて下さい!笑
もくじ
1、友情部門 春日憶李白(春日 李白を憶(おも)う)/杜甫(とほ)
→遠く離れた友人を褒めちぎって再会を望む。
【現代語訳】
李白よ、(あなたの)詩は敵がいない(ほど優れていて)、 世間に縛られず自由闊達としていて、とびきり情感豊かである。
新鮮であることは庾信(のよう)であり、優れていることは鮑照(のよう)である。
(私は)渭北の春の木(におり)、(あなたは)の日暮れの雲(を見ている)。
いつか樽に入った酒を飲みながら、(また)何度も一緒に細かく詩について語りましょう。
【原文・書き下し】
白也詩無敵 飄然思不群 白や詩 敵無く 飄然として思い群ならず
清新庚開府 俊逸鮑参軍 清新 庚開府 俊逸 鮑参軍
渭北春天樹 江東日暮雲 渭北 春天の樹 江東 日暮の雲
何時一樽酒 重細与論文 何れの時か一樽の酒 重ねて与に細かに文を論ぜん
【注釈】
五言律詩。
庾信・鮑照=共に南北朝時代の有名な詩人。
渭北(いほく)=都である長安付近を指す。
江東=現在の江蘇省・浙江省あたり。
選定理由①:杜甫の李白への尊敬と親愛の情がひしひしと感じるから
李白と杜甫は知り合って2年ほど一緒に過ごし、旅行したり、酒を呑みながら詩に関して熱く談義したりしています。「春日 李白を憶(おも)う」は、2人が別れた翌年に杜甫が作った漢詩です。
「いつか樽に入った酒を飲みながら、(また)何度も一緒に細かく詩について語りましょう。」と述べている所から、杜甫にとって李白と過ごした時間がとても楽しかったことが分かります。
ちなみに、李白も杜甫に対し詩を贈っています。よかったらご覧になってみて下さい。
魯郡東石門送杜二甫(魯郡の東の石門で杜二甫を見送る)/李白→明るい雰囲気が漂う別れの漢詩。李白と杜甫の友情。
選定理由②:杜甫の器の広さが感じ取れるから
あなたは、自分が頑張っている分野で天賦の才能を持つ人に対し、尊敬の気持ちを持つことができますか?
李白は、若い頃から詩の抜群な才能を持っており有名人でした。一方で、杜甫は若い頃、詩の才能があまり無かったと予想されます。「春日 李白を憶(おも)う」を作った当時の杜甫は、まだまだ詩の才能が開花しておらず、詩人として、また政治家としてうだつの上がらない時期でした。
このような状況で、いくら年上(杜甫より李白は11才年上)とはいえ、李白の圧倒的才能に対し、素直に評価できるのは、中々できることではなく、杜甫の器の広さを感じます。(私だったら嫉妬して仲良くなれないと思います…笑)
あなたは、自分より才能がある人を素直に尊敬できますか?
関連記事
2、恋愛部門 寄李億員外(李億員外に寄す)/魚玄機(ぎょげんき)
→捨てられた男に送った作品
【現代語訳】
(昨夜は遅くまであなたのことを思い続けて、やっと明け方に寝たので)なんだか太陽に照らされるのが恥ずかしく、うすい袖でさえぎり、この春を憂い悲しみ、起きて化粧をする気にもなれません。
高価なものを手に入れるのは簡単ですが、本当の愛をそそいでくれる男を見つけることは、とても難しいものです。
ひとり寝の寂しさにひっそりと枕をぬらし、せっかく楽しむべき春の花の中にいても、心の中は悲しく腸もちぎれるほど辛くもどかしいです。
しかし、自分から好きな人のおそばへ行ったのだから、見捨てられた今でも、あなたのことを恨んだりはしません。
【本文・書き下し】
羞日遮羅袖、愁春懶起粧 日を羞じて羅袖に遮り、春を愁いて起粧に懶す
易求無価宝、難得有心郎 無価の宝を求むるは易きも、有心の郎を得るは難し
枕上潜垂涙、花間暗断腸 枕上潜かに涙を垂れ、花間 暗に腸を断つ
自能窺宋玉、何必恨王昌 自ら能く宋玉を窺う 何ぞ必ずしも王昌を恨まん
【注釈】
・五言律詩(タイトルは「贈鄰女(鄰の女に贈る)」という説もある。)
・寄李億員外(李億員外に寄す)…李億はかつて作者が愛していた男性であり、この時点では捨てられていた。「員外」は役職名。
・宋玉(そうぎょく)…戦国時代の詩人で美男子であった。ここではかつて愛し合っていた李億(りおく)を指す。
・王昌(おうしょう)…「嫁いだ男とは別の男」の意。ここでは李億を指す。「その昔、莫愁(ばくしゅう)という女性は、「盧(ろ)」という裕福な家に嫁いだが、金持ちではないが幼なじみの王昌に嫁いだ方が幸せだったと思った」という話を踏まえている。
選定理由①:愛と金に関して色々と考えさせられるから
「愛か金、どちらのほうが大切か?」という問題に対し、魚玄機は愛を選んでいます。若くから高級遊女として生き、お金に不自由のなかった魚玄機だからこその選択でしょう。魚玄機は、金は得られたが愛は(結果的に)得られませんでした。
実際問題、あなたは「貧乏だけど愛情で満たされている人生」と「金持ちだけど愛情に飢える人生」ならどちらのほうがよいと思いますか?
ところで、もちろん愛も金も充分にあるに越したことはないのですが、人生では往々にして優先順位を決めざるを得ない場面が出てきます。
例えば、父親が自分の仕事を優先させて恋人や家族との時間を過ごせないケースはよくあると思いますが、家族からすれば、「お父さんは愛より金を選んでいる」と捉えるかもしれません。しかし一方で、父親はそのような意識はなく、むしろ「家族のために仕事を頑張っている」という認識かもしれません。愛と金というのは、対立的な側面だけでなく、重なり合う側面もあるようです。愛と金の関係ってややこしい…
選定理由②:フラれた時のリアクションとして理想だと思うから
あなたは、大切な人にフラれた場合、どのような態度をとりますか?思い直すよう相手に泣きつくでしょうか?ずるずる引きずるでしょうか?それとも、つらい気持ちを飲み込んで感謝の言葉を述べるでしょうか?「見返してやる!」と何かに打ち込むでしょうか?
魚玄機は、「ひとり寝の寂しさにひっそりと枕をぬらし、せっかく楽しむべき春の花の中にいても、心の中は悲しく腸もちぎれるほど辛くもどかしいです。」と失恋の辛さを述べつつ、「自分から好きな人のおそばへ行ったのだから、見捨てられた今でも、あなたのことを恨んだりはしません。」と述べ、誇りを忘れない魚玄機の姿勢がうかがえます。
この失恋の悲しさを素直に受け止めつつも、誇りを忘れず強くあろうとする姿勢は、個人的に失恋後のものとしては理想だと思うので、大変気に入っています。
関連記事
3、家族部門 遊子吟(ゆうしぎん)/孟郊(もうこう)
→息子が母親の愛情をうたう
【現代語訳】
とても優しい(私の)母は手の中にある糸で、
旅立つ私の服を縫ってくれている。
出発を前にしっかりと(私の服を)縫ってくれていて、
(我が子の)帰りが遅くなることを心配している。
短い草(のようなちっぽけな私の)心では、
とうてい春の輝き(のような母親の愛情へ)報いることができない。
【本文・書き下し】
慈母手中線 慈母 手中の線
遊子身上衣 遊子 身上の衣
臨行密密縫 行に臨みで密密に縫う
意恐遅遅帰 意に恐る 遅遅として帰らんことを
誰言寸草心 誰か言わん 寸草の心
報得三春暉 三春の暉に報い得んことを
【注釈】
・五言古詩。
・寸草→短い草。ここでは作者の孟郊のことを指す。
・三春の暉→春の輝き。ここでは母親の愛情のことを指すか。
【注釈】
・作者の孟郊は、若い頃から科挙への合格を目指していたが、中々うまくいかず、50歳でようやく合格できた。「遊子吟」はこの時、高齢となった母親を呼び寄せた際に作ったもの。
・後半では、「春の太陽の輝きに草が恩返しできないように、母親の温かい愛情に息子が報いることができない」のように、それぞれ対応させている。
選定理由①:母親への感謝の気持ちが素敵だから
小さなころから母親に色々とお世話になっている人は多いと思います。いつでもいてくれる分、その存在が当たり前になって感謝できていない人も中にはいるのではないでしょうか。(私もしばしば忘れてしまいます💦)
「遊子吟」を見てみると、孟郊はしっかりと母親からの愛情を認識し感謝していることが分かります。
あなたは、両親からの愛情をしっかり認識して感謝できていますか?
当たり前だと思ってないがしろにしていませんか?
選定理由②:母親からの愛情と自身の比喩が秀逸だから
「短い草(のようなちっぽけな私の)心では、とうてい春の輝き(のような母親の愛情へ)報いることができない。」という部分から明らかなように、孟郊は「自分=草」「母親=太陽」「母親からの愛情=太陽の光」とそれぞれたとえている。個人的にしっくりてきていて、大変気に入っています。
関連記事
4、戦争部門 七哀詩(しちあいし)/王粲(おうさん)
→戦争中にやむを得ず子どもを捨てる母親を描写する。
【現代語訳】
西の都である長安は、もはや乱れて正しい世の中の在り方も失われてしまい、今は山犬や虎のような凶暴な者が荒らし回っている。
(私が東の都である洛陽を捨ててこの新しい都である長安にやって来たのは、ほんの数年前であったが、あまりに荒れ果てているので、)この都も捨てて田舎に逃げよう。
別れにあたって、親戚の者たちは私の顔を見て悲しみ、友人たちは追いかけて馬車にすがる、
城門を出ても見るべきものは何もなく、白骨だけがごろごろと平原にころがっているばかり。
道を行くと、飢えている女性と出会った。(女性は)子どもを抱いていたが、その子を草むらに捨てると歩き出す。
子どもが泣き叫ぶのが聞こえるが、女性は涙をぬぐって立ち止まらなかった。
「私もどこで(いつ)死ぬか分からないのに、どうして子どもと2人でいきていけましょう…」
私は馬に鞭打ち、その場を急いで離れた。女性の言葉がまともに聞けないほど辛かったからである。
南へ進むと、覇陵(はりょう)へたどり着いたので、そこの高台に登り、長安のほうを眺めてみた。
すると、(『詩経』の)「下泉(かせん)」の作者(が周の素晴らしい治世を褒め称えた)ことを思い、(そのギャップに)胸が苦しくなって心が痛むのである。
【本文・書き下し】
西京乱無象 西京乱れて象(みち)無く
豺虎方遘患 豺虎方に患を遘(な)す
復棄中国去 復た中国を棄てて去り
委身適荊蛮 身を委ねて荊蛮に適く
親戚対我悲 親戚 我に対して悲しみ
朋友相追攀 朋友 相追攀す
出門無所見 門を出づるも見る所無く
白骨蔽平原 白骨 平原を蔽う
路有飢婦人 路に飢えたる婦人有り
抱子棄草間 子を抱いて草間に棄つ
顧聞号泣声 顧りみて号泣の声を聞くも
揮涕独不還 涕を揮いて独り還らず
未知身死処 未だ身の死処を知らず
何能両相完 何ぞ能く両(ふたり)ながら相完からん
驅馬棄之去 馬を駆って之を棄てて去る
不忍聴此言 此の言を聴くに忍ばず
南登霸陵岸 南のかた霸陵の岸に登り
迴首望長安 首を迴して長安を望む
悟彼下泉人 悟る「下泉」の人を
喟然傷心肝 喟然として心肝を傷ましむ
選定理由:戦争の普遍的な悲惨さをリアルに表現しているから
現代で戦争を経験している人は、さほど多くないのではないでしょうか?したがって、戦争の悲惨さをいつまでも忘れないよう、学校の体験学習では、先の戦争の経験や被爆体験などを聴く機会が設けられます。
そのような生の体験記にも匹敵するような生生しさを持つのが、この「七哀詩」だと思います。
特に、作中に出てくる母親の子どもを見捨てるという選択肢が、戦争の悲惨さをリアルに表していると思います。「女性は涙をぬぐって立ち止まらなかった」とあるので、この母親も、本当なら子どもを見捨てるなんてことしたくないでしょう。したくもない選択肢を迫られるのが、戦争なのだなと感じます。
関連記事
5、勉強部門 勧学文(学を勧むる文)/朱熹(しゅき)
→学ぶ機会を先延ばしすべきではないことをうたう
【現代語訳】
言ってはいけない。「今日勉強しなくても明日がある」と。
言ってはいけない。「今年学問しなくても来年がある」と。
月日は過ぎても、歳月は私と共に延びてはくれず(先に行ってしまう)。
ああ、私も歳を取ったものだ。むなしく老いてゆくのは、誰の過ちか。(誰のせいでもなく、私の過ちである)。
【本文・書き下し】
勿謂 謂う勿かれ
今日不学而有来日 今日学ばずとも来日有りと
勿謂 謂う勿かれ
今年不学而有来年 今年学ばずとも来年有りと
日月逝矣 歳不我延 日月逝けり 歳 我と延びず
嗚呼老矣 是誰之愆 嗚呼老いたり 是れ誰の愆(あやま)ちぞや
選定理由:勉強ができない言い訳をする我々を真っ向から論破して危機感を覚えさせてくれるから
みなさんも、勉強や作業を「明日やればよいか」と後回しにして、だらだら過ごして結局明日になってもできなかった経験はないでしょうか?人間は基本的に怠惰な生き物なので、あてはまる人も多いと思います。
朱熹はそれを「言ってはいけない」と真っ向から否定します。おそらく朱熹自身にも心当たりがあるのでしょう。年を取ってから「もっと頑張っておけば…」とならないために、やるべきことは早め早めに取り掛かって、終わった後ゆっくりする生き方にしたいものです。
ちなみに、作者の朱熹は、新たな儒学である朱子学を作った人で、偉大な学者です。そんな朱熹でも後回し癖があったかもしれないと考えると、親近感がわきますね(笑)
関連記事
6、自然(四季)部門 臘月独興/菅原道真
→過ぎゆく年への焦燥感・反省と春が到来する嬉しさをうたう
【現代語訳】
冬(=年)の終わりも迫ってきて、嘆くことを耐えられようか。(いや耐えられない。)
(一方で、季節が)春に向かおうとしていて、決して遠くはないことを逆に喜ぶ。
(私が)尽きて欲しいと思う弱々しい日光は、(あと)何カ所で休むのだろうか。
もうすぐ来る暖かい陽気は、(現在)誰の家に泊まっているのだろうか。
氷は水面を封鎖する(ように張り付いていて)、波(の音)も聞こえない。雪は木々の先に乗っていて、花が咲いているようである。
学業に励むことができず、書斎の窓の下で年月が過ぎてしまうことを、反省しなければならない。
【本文・書き下し】
玄冬律迫正堪嗟 玄冬 律迫りて 正に嗟くに堪え
還喜向春不敢賒 還りて喜ぶ 春に向いて敢えて賒かならざることを
欲尽寒光休幾処 尽きんと欲する寒光 幾ばくの処に休わん
将来暖気宿誰家 来らんとする暖気 誰が家に宿らん
氷封水面聞無浪 氷は水面を封じて 聞くに浪なし
雪点林頭見有花 雪は林頭に点じて 見るに花有り
可恨未知勤学業 恨むべし 学業に勤むることを知らずして
書斎窓下過年華 書斎の窓の下に年華を過さんことを
【注釈】
菅原道真とは?
・日本の平安時代の詩人・政治家。若くから才能に溢れており出世するものの、宇多天皇が引退すると讒言を受け、太宰府に左遷される。漢詩人としても有名。「臘月独興」は、道真が14歳の頃の作品。
・七言律詩。
選定理由①:暖かさを擬人化させているのが可愛らしいから
通常、暖気が人間の家に泊まることなどあり得ない訳ですが、「もうすぐ来る暖かい陽気は、(現在)誰の家に泊まっているのだろうか。」とあるように、道真は暖気を人間のように描写し、待ち遠しく感じていることを述べます。
なんだか(良い意味で)こどものような考え方でほほえましく、気に入っています。(ちなみにこの時の道真は14歳。)
選定理由②:道真の謙虚さ・ひたむきさを感じることができるから
あなたは、年末や年度末に振り返って、「もっと勉強しておけばな…」と後悔することがありますか?
道真は「学業に励むことができず、書斎の窓の下で年月が過ぎてしまうことを、反省しなければならない。」と述べるように、年末に勉強できていなかったことを反省しています。
そもそも道真は14歳でこのような素敵な漢詩を作っているのですから、勉強していない訳はないと思うのですが、「まだまだ勉強が足りない」と反省している道真は、本当に謙虚で見習いたいです。
関連記事
7、自然(植物)部門 竹里館/王維
→竹林に囲まれた別荘で1人の時間を伸び伸びと楽しむ
【現代語訳】
(私は)一人で奥深く静かな竹林に座り、
琴を弾いて詩を歌(い、存分に楽しむ)。
(自分以外の)人は(この)深い(竹)林を知らないが、
夜空を照らす月(のみ)が(私の別荘を)訪れて照らしてくれる。
【原文・書き下し】
独坐幽篁裏 独り坐す幽篁の裏
弾琴復長嘯 琴を弾き復た長嘯す
深林人不知 深林 人知らず
明月来相照 明月来たりて相照らす
【注釈】
・五言絶句。
・竹里館は、「竹の中にある別荘」の意味。王維が一人くつろげる別荘で、好きなこと(=琴を弾いたり詩を作ったりすること)を思うままに行っているさまを描いた作品。静寂に包まれた中、孤独を楽しむ様子が際立っている。
・現代風に表現すると、「1人自分の部屋で趣味の時間をとことん楽しむ」といった所か。
選定理由①:静けさの描写が秀逸だから
みなさんは「奥深く静かな竹林」の様子を想像できますか?人気がなくひっそりとしていて、一人でゆっくりできそうな場所です。現代だとなかなか馴染みがない風景なだけに、優れた表現だと思います。
選定理由②:1人の時間を存分に楽しめている王維が素敵だと思うから
人間は良くも悪くも社会的な生き物であり、さまざまなコミュニティに属し、他者と関わっていかなれかば生きていきません。他者とのかかわりは、時に楽しく人生を充実させるものである一方、わずらわしさを感じることもしばしばです。
おそらく王維も、人間関係に疲れたからこそ、ひっそりと別荘に一人でいるのでしょう。そして、自分の好きなことを思いっきり楽しんでいます。これがとても素敵だと感じます✨
関連記事