王維の人生・性格・代表作を紹介! 自然を愛した優しい詩人

1、王維(おうい)の人生・性格・作風とは?

・699~761年。李白・杜甫とほぼ同年代の人物。唐代の人。字(あざな)は摩詰(まきつ)。幼少の頃から勉学に励み、19歳に府試(=科挙の前段階の試験)に合格した。その後、22歳頃に科挙に合格し、進士となる。

・しかし、権力争いに巻き込まれ、すぐに山東省へ左遷される。その後は、世の中と距離を置き、ひっそりと暮らしていたようである。

・735年、36歳のころ右拾遺として中央に復帰する。一旦は涼州に再び左遷されるも、1年後中央に戻り、監査御史などを歴任。皇帝から熱い信頼を得る。この頃、「竹里館」「鹿柴」のような自然を美しく描いた有名な作品を残す。また、「酌酒与裴迪(酒を酌(く)んで裴迪(はいてき)に与(あた)う)」「送元二使安西(元二が安西に使するを送る)」「送秘書晃監還日本国(秘書晃監の日本国に還るを送る)」「送友人帰山歌二首 其二(友人の山へ帰る歌二首 其の二)」のように、友人へ詩を送っている。

・742年以降は、仕事だけでなく、休暇中は輞川(もうせん)の別荘でゆったり過ごすという生活を送る。

755年、56歳のころ、安史の乱が起こると賊軍に捕らえられ、仕えるよう強要されるも心では従わず、皇帝への忠誠心をつづった詩を残す。反乱収束後、本来なら賊軍に協力した人物は厳罰であったが、その忠義が評価されたことや弟の嘆願により、降格で許された。758年、仕事に復帰するも、その数年後、60歳で死去。

・作風は優雅静寂であり、「詩仏」と称されている。また、友人に送った作品が多く、どの作品の中でも優しい言葉をかけている。孟浩然・高適・王昌齡・杜甫・阿倍仲麻呂らと交友があったが、特に裴迪という人物と仲が良く、しばしば作品に登場している。

・友好関係が広いことや、30歳頃に妻を亡くしてから再婚しなかったこと、左遷されていた弟を復帰させようと嘆願したことなどから、非常に優しい性格であることが窺える。

2、王維の作品・代表作 一覧

竹里館→竹林に囲まれた別荘で1人の時間を伸び伸びと楽しむ

鹿柴→山の夕方の鮮やかさを美しく表現する

送秘書晃監還日本国(秘書晃監の日本国に還るを送る)→海を渡って帰国する友人を心配する

酌酒与裴迪(酒を酌(く)んで裴迪(はいてき)に与(あた)う)→試験に受からない友人を優しく励ます。

送元二使安西(元二が安西に使するを送る)→新天地での友人を心配する漢詩。

送別→夢破れて去る友人に粋なエールを贈る。

3、竹林に囲まれた別荘で1人の時間を伸び伸びと楽しむ 「竹里館(ちくりかん)」

【現代語訳】
(私は)一人で奥深く静かな竹林に座り、
琴を弾いて詩を歌(い、存分に楽しむ)。
(自分以外の)人は(この)深い(竹)林を知らないが、
夜空を照らす月(のみ)が(私の別荘を)訪れて照らしてくれる。

【原文・書き下し】
独坐幽篁裏 独り坐す(ゆう)(こう)の裏
弾琴復長嘯 琴を弾き復た(ちょう)(しょう)
深林人不知 深林 人知らず
明月来相照 明月来たりて相照らす

【解説】
・五言絶句。竹里館は、「竹の中にある別荘」の意味。王維が一人くつろげる別荘で、好きなこと(=琴を弾いたり詩を作ったりすること)を思うままに行っているさまを描いた作品。静寂に包まれた中、孤独を楽しむ様子が際立っている。
→現代風に表現すると、「1人自分の部屋で趣味の時間をとことん楽しむ」といった所か。

4、山の夕方の鮮やかさを美しく表現する 「鹿柴(ろくさい)」

【現代語訳】
がらんとした山に人の姿はなく、
ただ人の話す声が響くのみ。
夕日の光が林の奥深くに差し込み、
青いこけを照らし出す。

【原文・書き下し】
空山不見人 くうざん人を見ず
但聞人語響 但だ人語じんごの響くを聞くのみ
返景入深林 返景へんけい 深林に入り
復照青苔上 復た照らすせいたいの上

【解説】
・五言絶句。別荘での作品。山・夕日・こけの刹那的な自然描写が光る。

5、海を渡って帰国する友人を心配する 「秘書晃監の日本国に還るを送る」

【現代語訳】
水満ちる大海原に果てはなく、滄海(そうかい)の東(にある日本)のことを知ることはできない。
(あなたは、伝説で言われている)世界にある9つの州のどこへ向かうのか。(あなたの故郷への)万里の道のりは、空を旅するようなものだ。
日本に帰るときには、ただ太陽と風向きに任せて船を進めるしかないだろう。
(また途中で出会うであろう)大亀は黒々と光り、大魚の目は赤々と輝き波を貫く。
(あなたの)故郷は(あの伝説の)扶桑よりもさらに先にあり、その孤島があなたの故郷なのだ。
これでお別れしたらもう別々の世界(に生きることにある)。もう連絡を取ることができないのだろうか。

【原文・書き下し】
積水不可極 積水極むべからず
安知滄海東 安んぞ滄海の東を知らんや
九州何処遠 九州何れの処か遠き
万里若乗空 万里 空に乗ずるがごとし
向国惟看日 国に向かいて惟だ日を看(み)
帰帆但信風 帰帆は但(た)だ風に信(まか)すのみ
鰲身映天黒 鰲身(ごうしん)は天に映じて黒く
魚眼射波紅 魚眼は波を射て紅なり
郷樹扶桑外 郷樹は扶桑の外
主人孤島中 主人は孤島の中
別離方異域 別離 方(まさ)に域を異にす
音信若為通 音信 若為ぞ通ぜんや

【解説】
・五言排詩。

・海を越えて日本に帰国する阿倍仲麻呂(朝衡)の身を案じると共に、もう連絡が取れないことを悲しむ。

6、夢破れて去る友人に粋なエールを贈る 「送別」

【現代語訳】
馬を降りて君に一杯の酒を飲ませる。
君に問う。「どこへ行くのか。」
君は言う。「(自分の)思うようにならない(から)、
(なん)(ざん)のほとりに帰って寝ていようと思う。」と。
「ただ去れ、もう何も問うまい。
(君が行く南山では)(はく)(うん)が尽きることはないだろう。」と。

【原文・書き下し】
下馬飲君酒 馬を下りて君に酒を飲ましむ   
問君何所之 君に問う何の之く所ぞ      
君言不得意 君は言う意を得ず        
帰臥南山陲 南山の陲に帰臥すと       
但去莫復問 但だ去れ復た問うこと莫し
白雲無尽時 白雲尽くる時無し

【解説】
・五言古詩。

・恐らく2句目から登場する「君」は政治家だったが、政治の世界の汚さ・不自由さに失望し、「意を得ず(思うようにならない)」と述べて山(=清廉で自由な世界)に帰ったことが予想される。
→昔の中国における「山」のイメージは、①「神秘的(当時の中国では、山は仙人の住む神秘的な場所だと信じられていた)」、②「清廉で自由な世界(このイメージは、「人間の世界(主に政治の世界)=汚く不自由である」ということと対比されている。)」の2つ。

・「白雲尽くる時無し」=「永遠に汚く不自由な世界から離れて、自由な境地でいることができる」というニュアンスを含む。つまりこれは、語り手から「君」へのエールだと見なすことができる。
→昔の中国における「白雲」のイメージは、「何物にも染まらない自由な境地(山と同様に人間界との対比を意識している)」

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