戦争の悲惨さ・辛さを伝える漢詩 戦争は究極の選択を迫られる? 

ポイント

  • 戦争の悲惨さ・辛さを伝える漢詩として、「1、七哀詩(しちあいし)/王粲(おうさん)」、「2、石壕吏(せきごうり)/杜甫」、「3、兵車行(へいしゃこう)/杜甫」、「4、子夜呉歌(しやごか) 秋/李白」、「5、新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)/白居易」が挙げられる。
  • 「1、七哀詩(しちあいし)/王粲(おうさん)」は、三国志の血なまぐさい側面を知ることができる。登場する母親は、「足手まといの我が子を見捨てずに高確率で死ぬ」か「足手まといの我が子を見捨てて少しでも生き残る確率を上げる」かで選択を迫られている。
  • 「2、石壕吏(せきごうり)/杜甫」は、戦争に際する民衆への横暴を生々しく描く。登場時文物の奥さんは、「夫を兵役に行かせる」か、「自分が戦地に手伝いに行く」かで選択を迫られている。
  • 「3、兵車行(へいしゃこう)/杜甫」では、兵士とその家族の生々しい嘆きを記録している。
  • 「4、子夜呉歌(しやごか) 秋/李白」では、戦争に行った夫を想う妻の様子が美しく描かれている。
  • 「5、新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)/白居易」では、徴兵されないために腕を折った老人の話が語られている。登場人物の老人は、「腕1本を折って兵役を免れる(+後遺症で苦しむ)」か「健全な身体のまま僻地まで兵士として向かう(+死ぬ)」かで選択を迫られている。

こんにちは。本日は、「戦争は究極の選択を迫られる? 戦争の悲惨さ・辛さを伝える漢詩」というテーマで紹介します💡

先生こんにちは。昔と比べると、世界は戦争が減ってきてはいますが、なんだかんだで起こってはいますからね。

そうですね。今回の漢詩を読んで、改めて戦争の悲惨さを学ぶことは大切だと思います✨

1、三国志の血なまぐさい側面を知ることができる (しち)(あい)()(おう)(さん)

注目

1、三国志の血なまぐさい側面を知ることができる 七哀詩(しちあいし)/王粲(おうさん) 

【現代語訳】

西の都である長安は、もはや乱れて正しい世の中の在り方も失われてしまい、今は山犬や虎のような凶暴な者が荒らし回っている。

(私が東の都である洛陽を捨ててこの新しい都である長安にやって来たのは、ほんの数年前であったが、あまりに荒れ果てているので、)この都も捨てて田舎に逃げよう。

別れにあたって、親戚の者たちは私の顔を見て悲しみ、友人たちは追いかけて馬車にすがる、

城門を出ても見るべきものは何もなく、白骨だけがごろごろと平原にころがっているばかり。

道を行くと、飢えている女性と出会った。(女性は)子どもを抱いていたが、その子を草むらに捨てると歩き出す。

子どもが泣き叫ぶのが聞こえるが、女性は涙をぬぐって立ち止まらなかった。

「私もどこで(いつ)死ぬか分からないのに、どうして子どもと2人でいきていけましょう…」

私は馬に鞭打ち、その場を急いで離れた。女性の言葉がまともに聞けないほど辛かったからである。

南へ進むと、覇陵(はりょう)へたどり着いたので、そこの高台に登り、長安のほうを眺めてみた。

すると、(『詩経』の)「下泉(かせん)」の作者(が周の素晴らしい治世を褒め称えた)ことを思い、(そのギャップに)胸が苦しくなって心が痛むのである。

【本文・書き下し】

西京乱無象 西京乱れて象(みち)無く

豺虎方遘患 豺虎方に患を遘(な)す

復棄中国去 復た中国を棄てて去り

委身適荊蛮 身を委ねて荊蛮に適く

親戚対我悲 親戚 我に対して悲しみ

朋友相追攀 朋友 相追攀す

 

出門無所見 門を出づるも見る所無く

白骨蔽平原 白骨 平原を蔽う

路有飢婦人 路に飢えたる婦人有り

抱子棄草間 子を抱いて草間に棄つ

顧聞号泣声 顧りみて号泣の声を聞くも

揮涕独不還 涕を揮いて独り還らず

未知身死処 「未だ身の死処を知らず

何能両相完 何ぞ能く両(ふたり)ながら相完からん」

驅馬棄之去 馬を駆って之を棄てて去る

不忍聴此言 此の言を聴くに忍ばず

南登霸陵岸 南のかた霸陵の岸に登り

迴首望長安 首を迴して長安を望む

悟彼下泉人 悟る「下泉」の人を

喟然傷心肝 喟然として心肝を傷ましむ

一般的な価値観だと、「我が子を捨てる母親は最低!」なのでしょうが、戦争で自分がいつ死ぬかも分からない状況だと、責められませんね…

戦争のような極限の状況では、究極の選択を迫られることがあるということでしょう。「足手まといの我が子を見捨てずに高確率で死ぬ」か「足手まといの我が子を見捨てて少しでも生き残る確率を上げる」か…

シビア過ぎて辛い…💦

またこの漢詩は、三国志の時代のことです。三国志といえば、武将や軍師の輝かしい活躍ばかりにスポットがあてられますが、このような実情もあったということです。

私たちは、三国志や日本の戦国時代をフィクションとして受け入れている部分が多いのかもしれませんね💡

そうですね。実際の戦争に憧れやロマンを持つのは禁物ってことですね。

2、戦争に際する民衆への横暴を生々しく描く (せき)(ごう)()/杜甫

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2、戦争に際する民衆への横暴を生々しく描く 石壕吏(せきごうり)/杜甫

【現代語訳】

日暮れに石壕という村で宿をとった所、役人が(新たに兵隊となる)人を捕まえにきた。宿の年老いた主人は塀を越えて逃げていき、宿の年老いた女は玄関まで出て役人の対応をしている。

役人のどなり声のなんと怒りに満ちていることよ。おばあさんの泣き声のなんと苦しげであることよ。彼女は前に進み出て述べることを聞くに、「息子3人兵隊として鄴(ぎょう)の城で守りについておりました。」

「そのうちの1人が手紙を送ってきました。それによると、息子2人はつい先日戦死したとのことです。残りの1人はなんとか生きていますが、死んだ者はもう永遠に帰ってくることはありません。」

「家の中にはもう兵に出す人間はおらず、まだお乳を飲んでいる(ほど幼い)孫がいるだけです。この孫の母親は、まだこの家におりますが、満足に外を出歩けるスカートさえ持っていません。」

「私はもう老いて力は衰えましたが、お役人様のお供をして今晩にも(お役所に)行かせてください。すぐに河陽(かよう)で仕事をお手伝いするのなら、朝食の準備ぐらいではお役に立てるでしょう。」

夜がすっかりふけ、話し声も途絶えてしまい、(誰かが)むせび泣く声が聞こえてきた気がする。夜が明けるころ、旅を急ごうと宿を出たが、別れを告げたのは主の老人ただ一人であった。

【本文・書き下し】

暮投石壕邨 暮に石壕の邨に投ず

有吏夜捉人 吏有り夜人を捉う

老翁逾墻走 老翁 墻を逾(こ)えて走り

老婦出門看 老婦 門を出いでて看る

吏呼一何怒 吏の呼ぶこと一に何ぞ怒れる

婦啼一何苦 婦の啼(な)くこと一に何ぞ苦しき

聴婦前致詞 婦の前(すす)んで詞しを致すを聴くに

三男鄴城戍 三男 鄴城(ぎょうじょう)に戍(まも)る

一男附書至 一男 書を附して至る

二男新戦死 二男新たに戦死すと

存者且偸生 存する者は且く生を偸(ぬす)み

死者長已矣 死せる者は長(とこしえ)に已みぬ

室中更無人 室中更に人無く

惟有乳下孫 惟だ乳下の孫有るのみ

有孫母未去 孫に母の未だ去らざる有るも

出入無完裙 出入に完裙(かんくん)無し

老嫗力雖衰 老嫗(ろうう) 力衰えたりと雖も

請従吏夜帰 請ふ吏に従いて夜帰せん

急応河陽役 急に河か陽の役に応ぜば

猶得備晨炊 猶お晨炊(しんすい)に備うるを得ん

夜久語声絶 夜久しくして語声絶え

如聞泣幽咽 泣いて幽咽(ゆうえつ)するを聞くがごとし

天明登前途 天明前途に登り

 

独与老翁別 独り老翁と別る

黒川洋一『ビギナーズクラシックス中国の古典 杜甫』(角川ソフィア文庫、2005年)を参照。

宿屋の家族が可愛そう…息子が3人兵士に取られて2人が死んで、さらに夫もかり出されようとして、結局嫁さんが手伝いにかり出されるなんて。

これは実際に杜甫が泊まった宿屋で起こった出来事のようですね。当時は、このような光景がよく見られたのかもしれません。

戦争をするってことは、家族の団らんや絆を引き裂く行為でもあるんですね…💦

そうですね。戦争には、どうしても避けられない状況というものがありますが、できる限り回避しようと交渉に努めることは大切だと思います。

1の母親と同じように、ここでの奥さんも「夫を兵役に行かせるか、自分が戦地に手伝いに行くか」という選択を迫られている訳ですね。

そうですね💦奥さんの選択は献身的で素晴らしいですが、残された家族(特に夫)の気持ちは、どのようなものでしょう?

心配や罪悪感で心が押しつぶされるかも…💦

3、兵士とその家族の生々しい嘆きを記録する 兵車行/杜甫

注目

3、兵士とその家族の生々しい嘆きを記録する 兵車行(へいしゃこう)/杜甫

【現代語訳】

車はがらがら、馬はひひーんひひーん。出征する兵士は、それぞれ弓矢を腰に付けている。

両親や妻子も走りながら(名残惜しそうに)見送り、土けむりは咸陽の大きな橋を覆い隠すほどだ。

見送る人々は(兵士の)上着を引っ張り足ずりし、道をさえぎりながら泣き叫び、その泣き声は立ちこめて空を突き刺すほどである。

道ばたを通りすがる者が、兵士に尋ねた所、兵士はただ答える。「徴兵がしきりに行われているのです。」と。

ある者は、15歳から、北方の黄河の地に防衛するために派遣されていたが、そのまま40歳になっても、(次は)西方に屯田兵として行かねばならない。

前に出かけた時は、村長が(彼のために)はちまきを巻いてくれたのだが、頭が真っ白になって帰ってきても、やはり国境の防衛に行かねばならない。

国境では、流れた血が海水のようにあふれているというのに、漢の武帝の国土を広げたいという気持ちは、まだ止まることを知らない。

※ここでの「漢の武帝」は、杜甫が生きていた時代に皇帝であった玄宗を暗に指す。

みなは聞いたことがないか。漢の山東地方の200州においては、どの場所もいばらばかりが生い茂り、(荒れ果ててしまっている)ということを。

※ここでの「漢」は、杜甫が生きていた時代=唐を指す。

たとえ、農具を取る健気な嫁がいたとしても、田畑に生えた作物は、秩序もなにもあったものではない(ほど荒れ果てている)。

その上に、陝西(せんせい)地方の兵士は、苦しい戦に耐えるというので徴兵されるのは、犬や鶏と扱いが変わらない。

(兵士が述べるには)「あなたが(いくら)尋ねてくれても、(お国を)恨む心を述べ尽くすことができません。(それほど恨んでいます。)

さしあたっては、関西地方の徴兵が止まりません。

(にも関わらず)政府は税金をせっせと取り立てるのですが、その税金はどこから出るというのでしょう。」と。

なるほど、男の子を生むことは損であり、女の子を生むことこそが良いことを。

女の子を生めば、近所に嫁にやることができるが、男の子を生めば、雑草に倒れて朽ち果ててしまうだけだ。

あなた方は、見たことがないか。あの青海のあたりでは、昔から(戦争が多く)白骨を片付けるものがなく、

新しい亡霊たちはもだえ恨み、古い亡霊は泣き叫び、天が曇り雨で湿っぽくなってきた時に、しくしく泣いていることを。

【本文・書き下し】

車轔轔 馬蕭蕭 車は轔轔(りんりん) 馬は蕭蕭(しょうしょう)

 

行人弓箭各在腰 行人の弓箭 各 腰に在り

耶娘妻子走相送 耶娘妻子 走りて相送る

塵埃不見咸陽橋 塵埃に見えず 咸陽橋(かんようきょう)

牽衣頓足攔道哭 衣を牽(ひ)き足を頓し 道を攔(さへぎ)りて哭す

哭声直上干雲霄 哭声は直ちに上りて 雲霄(うんしょう)を干(おか)す

道傍過者問行人 道傍に過ぐる者 行人に問えば

行人但云点行頻 行人但だ云う 「点行頻(しきり)なり」と

或従十五北防河 或いは十五より北のかた河に防ぎ

便至四十西営田 便ち四十に至るも西のかた田を営む

去時里正与裹頭 去きし時は里正 与に頭を裹(つつ)みしに

帰来頭白還戍辺 帰り来たれば頭白きに 還た辺を戍(まも)る

辺庭流血成海水 辺庭の流血 海水と成るも

武皇開辺意未已 武皇 辺を開く意 未だ已(や)まず

君不聞     君聞かずや

漢家山東二百州 漢家 山東の二百州

千村万落生荊杞 千村万落 荊杞(けいき)を生ずるを

縦有健婦把鋤犂 縦(たと)い健婦の鋤犂(じより)を把(と)る有るも

禾生隴畝無東西 禾(いね)は隴畝(ろうほ)に生じて東西無し

況復秦兵耐苦戦 況んや復た秦兵 苦戦に耐うるをや

被駆不異犬与鶏 駆らるることは犬と鶏とに異ならず

長者雖有問   「長者問う有りと雖も

役夫敢申恨   役夫敢へて恨みを申べんや

且如今年冬   且つ今年の冬の如きは

未休関西卒   未だ関西の卒を休(や)めず

県官急索租   県官急に租を索(もと)むるも

租税従何出   租税何(いづ)くより出でん」と

信知生男悪   信に知る 男を生むは悪しく

反是生女好   反(かへ)って是れ女を生むの好きを

生女猶得嫁比隣 女を生まば猶お比隣に嫁するを得ん

生男埋没随百草 男を生まば埋没して百草に随わん

君不見 青海頭 君見ずや青海の頭(ほとり)

古来白骨無人収 古来白骨 人の収むる無し

新鬼煩寃旧鬼哭 新鬼は煩寃(はんえん)し旧鬼は哭す

天陰雨湿声啾啾 天陰(くも)り雨湿(うふお)いて声啾啾(しゅうしゅう)たり

黒川洋一『ビギナーズクラシックス中国の古典 杜甫』(角川ソフィア文庫、2005年)を参照。

これも兵士やその家族の苦しさが生々しく伝わってきますね…

そうですね💡兵士だけでなく、兵士の帰りを待つ家族も辛いのが良く分かりますね。

また、「ある者は、15歳から、北方の黄河の地に防衛するために派遣されていたが、そのまま40歳になっても、(次は)西方に屯田兵として行かねばならない。」とあるように、何十年も兵役をこなさないといけないみたいですね。

実質的に死ぬまで帰れないのかもしれませんね💦

そうかもしれません。戦争は、早めに切り上げるのが難しく、ズルズル長引くことも多いですからね。

長引くかもしれないという点でも、戦争は軽々しく起こしちゃいけないんですね💡

4、戦争に行った夫を想う妻 ()()()() 秋/李白

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4、戦争に行った夫を想う妻 子夜呉歌(しやごか) 秋/李白

【現代語訳】

長安の夜空を満月の光が照らしている。

どの家からも衣を打つ砧(きぬた)の音がする。

秋風は吹き止むことがない。

こういった事すべてが、はるか遠くの玉門関(ぎょくもんかん)にいる夫への思いをかきたてる。

いつになったら夫は敵を征伐して遠征から帰ってきてくれるのか。

※砧(きぬた)…衣服のシワを伸ばす道具。静かな夜中、1人で過ごす中、各家から聞こえてくる砧の音は、いっそう妻を寂しくさせたことが予想される。

【本文・書き下し】

長安一片月 長安一片の月

 

万戸擣衣声 万戸衣を擣(う)つの声

秋風吹不尽 秋風吹いて尽きず

 

総是玉関情 総て是れ玉関の情

何日平胡虜 何れの日か胡虜を平らげ

 

良人罷遠征 良人遠征を罷めん

これは兵士が夫の妻が寂しがっているんですね💡1・2・3と比べると何だかロマンチックです。

確かに、1・2・3と比べると変わった趣がありますね。李白らしい美しさが表現されていると思います。

兵士としてかり出されるのは、だいたい辺境の遠い所なんですね。これもまた辛さを助長しているように感じます💦

そうですね。特に李白や杜甫が生きた時代の戦争は、領土拡大のためのものが多かったので💦

なるほど…一民衆からしたら、領土拡大なんてどうてもよいから、安心して暮らしたいって気持ちのほうが強いのかもしれません。

5、徴兵されないために腕を折った老人 新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)/白居易

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5、徴兵されないために腕を折った老人 新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)/白居易

【現代語訳】

新豊の老人の年は88、頭髪も眉毛もひげも雪のように真っ白だ。玄孫(やしゃご)に助けられて店の前を行いている。

その左腕は玄孫の肩にもたれかかり、右腕は折れている。

老人に問う、腕が折れてからどれくらい経つのか、また何が原因でで折れたのかと。

老人が言うには、「(私の)生まれは新豊県で、生まれた時は素晴らしい時代で戦争がなかった。

(美しい)音楽の聲を聞くのに慣れ、槍も弓も見たことがなかった。

(ところが)いくばくもなく天宝年間に徴兵が行なわれ、一軒の家に男子3人いれば1人は兵隊にとられた。

兵隊にとられるとすぐにどこかへ派遣される。5月、(自分は辺境である)雲南(うんなん)に行くことになった。

雲南には滬水(ろすい)という川があって、山椒の花の落ちる頃には毒の煙が立ち込める。

軍隊がそこを渡ると、水は湯のように熱く、渡り終わるうちに10人中、2、3人は死ぬという。

村中では泣き声が悲しく聞こえ、子は親に別れ、夫は妻に別れを告げる。

(みんながいうには、)この遠征に行く者のうち、何千万人に1人も帰ることがないと。

この時に老人は24歳、召集帳の中に自分の名前があった。

そこで深夜にこっそりと大きな石で自分の腕を叩き折った。

これで弓を張ることも旗を揚げることもできず、(結局)雲南に出征することを免れた。

骨が砕け筋肉が傷ついたのが苦しくない訳ではなかったが、(今は)除隊になって故郷に帰ることが優先だ。

この腕が折れてより60年、腕は折れたままだが(他の)身は生き残った。

今でも風雨が寒い夜は、(腕の痛みで)夜明けまで痛くて眠れない。(このように)痛くて眠れなくとも悔いはしない。

(むしろ)まだ生きているのを喜ぶのみだ。腕を折らなければ滬水のほとりで身体は死んで魂は散って骨も回収されない。

(そして)雲南にて望郷の鬼となって、万人塚(=集団の死者を弔う塚)の上で泣いていたことだろう。

※この戦いでは、唐軍の8~9割が亡くなったという。

老人は言う、あなた方もよく聞いて欲しい。

開元年間の宰相であった宋璟(そうけい)は、辺境での(戦争)を避け、武力を乱用しなかった。

一方、天宝年間の宰相であった楊国忠(ようこくちゅう)は、天子からの評価を求めようとして辺境での戦争を行った。

(しかし)辺境での功績はあげられず、多くの人々から恨みを買った。よく聞いきて欲しい、新豊の老人の言うことを。

【本文・書き下し】

新豊老翁八十八 新豊の老翁八十八

頭鬢眉須皆似雪 頭鬢眉須 皆雪に似たり

玄孫扶向店前行 玄孫扶(たす)けて店前に向かいて行く

左臂憑肩右臂折 左臂は肩に憑り右臂は折れたり

問翁臂折来幾年 翁に問ふ臂折れてより幾年ぞ

兼問致折何因縁 兼ねて問う 折るに致りしは何の因縁ぞと

翁雲貫属新豊県 翁雲ふ 貫は新豊県に属し

生逢聖代無征戦 生れまては聖代に逢い征戦無し

慣聴梨園歌管声 梨園歌管の声を聴くに慣れ

不識旗槍与弓箭 旗槍と弓箭とを識らず

無何天宝大徴兵 何(いくばく)も無く天宝大いに兵を徴し

戸有三丁点一丁 戸に三丁有れば一丁を点ず

点得驅将何処去 点じ得れば驅けて将て何処かへ去らしむ

五月万里雲南行 五月 万里雲南に行く

聞道雲南有滬水 聞くならく雲南に滬水有り

椒花落時瘴煙起 椒花落つる時瘴煙起り

大軍徒渉水如湯 大軍徒渉すれば水は湯のごとく

未過十人二三死 未だ過ぎずして十人のうち二三死すと

村南村北哭声哀 村南村北 哭声哀し

児別爺娘夫別妻 児は爺娘に別れ夫は妻に別る

皆雲前後征蛮者 皆雲う 前後に蛮を征する者

千万人行無一回 千万人行きて一の回る無しと

是時翁年二十四 是の時 翁 年二十四

兵部牒中有名字 兵部の牒中に名字有り

夜深不敢使人知 夜深くして敢えて人に知らしめず

偷将大石捶折臂 偷(ひそか)に大石を将て捶(たた)きて臂を折る

張弓簸旗俱不堪 弓を張り旗を簸(あ)ぐるに俱に堪えず

従茲始免征雲南 茲より始めて雲南に征くを免る

骨砕筋傷非不苦 骨砕け筋傷つくは苦しからざるに非ざれども

且図揀退帰郷土 且く図る揀退せられて郷土に帰るを 

此臂折来六十年 此の臂折れてより六十年

一肢雖廃一身全 一肢廃すると雖も一身全し

至今風雨陰寒夜 今に至るも風雨陰寒の夜は

直到天明痛不眠 直ちに天明に到るまで痛みて眠れず

痛不眠終不悔  痛みて眠らざるも終に悔いず

且喜老身今独在 且つ喜ぶ老身の今独り在るを

不然当時滬水頭 然らずんば 当時滬水の頭に

身死魂飛骨不收 身は死して魂飛び骨は收められず

応作雲南望郷鬼 應に雲南望郷の鬼と作(な)りて

万人塚上哭呦呦 万人塚上 哭して呦呦たるべし

老人言     老人言う

君聴取     君聴取せよ

君不聞     君聞かずや

開元宰相宋開府 開元の宰相宋開府は

不賞辺功防黷武 辺功を賞せず 黷武を防ぐと

又不聞     又た聞かずや

天宝宰相楊国忠 天宝の宰相楊国忠は

欲求恩幸立辺功 恩幸を求めんと欲して辺功を立て

辺功未立生人怨 辺功未だ立たずして人の怨みを生ずと

請問新豊折臂翁 請う問へ新豊折臂の翁に

これも戦争の過酷さが表れていますが、兵士になりたくないから腕を折るって、中々すごいですね💦

今でも風雨が寒い夜は、(腕の痛みで)夜明けまで痛くて眠れない。(このように)痛くて眠れなくとも悔いはしない」と言い切ってますからね。気持ちは分かります。腕1本+後遺症で命が守られるのなら、安いものなのかもしれません。

1・2・5で見られるように、やっぱり戦争は究極の選択を迫られるんですね。まぁこの老人の選択は、1の選択よりはましに見えますが💦

そうですね💦以上、「戦争は究極の選択を迫られる? 戦争の悲惨さ・辛さを伝える漢詩」ということで紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

「戦争は悲惨で起こしてはいけない」ってよく言われていますが、その理由がよく分かった気がします。ありがとうございました!

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