孔子の有名でキャラの濃い弟子たちを紹介!(子路・顔回・子貢) | ハナシマ先生の教えて!漢文。

孔子の有名でキャラの濃い弟子たちを紹介!(子路・顔回・子貢)

孔子は名言製造おじさんとして有名で、中々濃いキャラをしていますが、彼を尊敬して師事した弟子たちも個性豊かです。孔子には弟子が3000人いたという伝承がありますが、特に優れた弟子は、「孔門十哲」として後世尊敬されました。

孔門十哲は以下の通りです。4つの部門に分かれています。
徳行(道徳的に優れた人)
顔回(がんかい)
・閔子騫(びんしけん)
・冉伯牛(ぜんはくぎゅう)
・仲弓(ちゅうきゅう)
言語(弁舌に優れた人)
子貢(しこう)
・宰我(さいが)
政事(政治的手腕が高い人)
子路(しろ)
・冉求(ぜんきゅう)
文学(学識が高い人)
・子游(しゆう)
・子夏(しか)

本ページでは、孔子の弟子の中でも子路(しろ)顔回(がんかい)子貢(しこう)の3名を取り上げ、それぞれエピソードを紹介します。
記事を読んで、是非推しを見つけましょう!

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1、子路(しろ) 元ヤンで愚直な弟子

【基礎情報】
・本名は仲由(ちゅうゆう)。「子路」は字(あざな)

・元々は教養がなく荒々しい人物であったが、孔子と出会って更生する。孔子より9才年上で、弟子の中だと比較的年上。

・口下手だが、志を高く持ちひたむきに立派な人物になろうと努力し続ける性格。

・『論語』の中では最も登場回数が多い。時に孔子へ熱心に質問し、時に孔子に誉められ、或いはたしなめられ、時に孔子の行動に猛反対する人。最も孔子に可愛がられた弟子。

・晩年、衛という国に仕えたが、反乱に巻き込まれて亡くなる。遺体はバラバラにされた後、塩漬けにされた。(当時の刑罰)

①1つのことができるようになってから次へ進む愚直さ

【原文・書き下し】
子路有聞、未之能行、唯恐有聞。
子路、聞くこと有りて、未だこれを行うこと能わざれば、唯だ聞く有らんことを恐る。(公冶長篇)

【現代語訳】
子路は聞いた教えを実践できるようになるまで、新しい教えを聞く事を恐れた。

子路の生真面目さ・愚直さが分かる内容です。
人間、何かを教わっても中途半端になりがちですが、子路はそのようなことをせず、真面目に取り組んでいたようです。
師匠の孔子から受けた「教え」とは、道徳的な生き方です。子路は、日々他者への関わり方やより良い生き方というのを考えた上で、自分なりに努力していたのでしょう。

②器の広い人間になりたい!

【原文・書き下し】
顔淵・季路侍。子曰、「盍各言爾志。」子路曰、「願車馬衣裘、与朋友共、敝之而無憾。」顔淵曰、「願無伐善、無施労。」子路曰、「願聞子之志。」子曰、「老者安之、朋友信之、少者懐之。」
顔淵・季路侍す。子曰く、「盍ぞ各爾の志を言はざる。」と。子路曰く、「願くば車馬衣軽裘、朋友と共にし、敝(やぶ)りて憾み無けん。」と。顔淵曰く、「願くば善に伐こと無く労を施すこと無けん。」と。子路曰く、「願くば子の志を聞かん。」と。子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」と。(公冶長篇)

【現代語訳】
 顔淵(=顔回)と季路(=子路)が孔子の側にいました。孔子が、「お前たちの目標を聞かせてくれないか?」とおっしゃると、子路は「馬車でも馬でも衣服など、何でも友人と分かち合い、たとえそれらを使い潰されても憎まない人間になりたいです。」と答えた。顔淵は、「自分の善い行いに自惚れず、苦労は(自分から率先して行い、他者には)押し付けない人間になりたいです。」と答えた。

 そして子路が孔子に、「どうか先生の目標を聞かせていただけませんか?」と聞いたので、孔子は、「お年寄りが安心して暮らせ、友人から信頼され、年少者から慕われたいものだ。」とおっしゃった。

子路が理想とした生き様とは、言い換えれば「利己主義に陥らず、寛容な人間」ということです。
確かに、自分のことばかりを考えて他者の気持ちを全く考えず、少しのことで怒ったり批判したりする人は、人間として未熟ですし、その生き様は理想とは対極にあると言えるでしょう。
あなたは、周りの人の気持ちを考えたり、他者へ寛容に接していますか?

顔回に嫉妬して孔子にたしなめられる

【原文・書き下し】
子謂顔淵曰、「用之則行、舎之則蔵。唯我與爾有是夫。」子路曰、「行三軍則誰与。」子曰、「暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也。必也臨事而懼、好謀而成者也。」
子 顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、これを舎(す)つれば則ち蔵る。唯だ我と爾と是あるかな。」と。子路曰く、「子 三軍 を行なわば、則ち誰れと与(とも)にせん。」と。子の曰く、「暴虎馮河して死して悔いなき者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。」と。(述而篇)

【現代語訳】
 孔子が顔淵におっしゃった。「用いられれば(全力を尽くして)実行し、用いられなければ(すっぱりと俗世への未練を断ち切り、)ひっそりと暮らす。(この様な生き方ができるのは)お前と私くらいだろう。」と。
 すると子路が、「もし先生が大軍を率いられるとしたら、誰と共に率いますか?」と尋ねると、孔子は、「虎と格闘したり黄河を泳いで渡る様な無謀な人とは率いたくない。計画的に事を成す(慎重な)人物にするだろう。」と。
と答えられました。

孔子が顔回をことある毎に称賛していることに対し、子路が一緒に軍を率いたい人材(弟子)について質問します。これは恐らく、同じ弟子の顔回への嫉妬+自分を孔子に誉めて欲しいという気持ちから出てきた言葉でしょう。子路は腕っぷしには自信があったので、きっと孔子が「それはお前(子路)だよ」と言ってくれるのを期待したのでしょう。

しかし孔子は、「無謀な人じゃなくて慎重な人が良い」と言い、暗に「荒っぽく無謀な所のある子路はダメだ」というニュアンスを持たせています。この言葉を聞いた子路は、きっとシュンとして反省したことでしょう。個人的には、ここでの子路の態度は、人間臭くて好きです笑

ちなみに、ここで出てくる「暴虎馮河(ぼうこひょうが)=血気に任せて無謀な言動を行ってしまうこと」は、現在でも四字熟語として用いられることがあります。
虎と格闘することや、川を泳いで渉ることは、現代だと中々ピンときづらいたとえなので、現代風に考えてみるのも面白いでしょう。
(例)
・短パン+ビーチサンダルで山登り。
・全財産をギャンブルにツッコむ。
・全く勉強していないのに東大を受ける。
・全く準備していないまま就活をはじめる。

現代における「暴虎馮河」な行為には、どのようなものがあると思いますか?

後回しにせず実行力のある

【原文・書き下し】
子曰、「片言可以折獄者、其由也与。子路無宿諾。」
子曰く、「片言以て獄を折(さだ)むべき者は、其れ由なるか。子路、諾を宿(とど)むること無し。」と。(顔淵篇)

【現代語訳】
 孔子がおっしゃった。「(訴訟の)一部だけを聞いて(正しい)判決を下すせる人間は、子路ぐらいだろう。子路は、(引き受けたことを)承諾した後は、引き延ばさ(ず、すぐに実行した。)」と。

孔子が、子路の裁判官としての才覚と実行力を褒め称えています。①で述べたように、道徳の実践はじっくりできるまで努力する子路ですが、実務方面においては即実行を心がけていたようです。政治においては、あーだこーだ議論するだけでなく、実行することが重要です。さすが、孔門十哲の「政事」に選ばれるだけあります。(子路の姿勢を見習うべき人が、日本政治界にも沢山いそうですね。)
あなたは、自分に実行力がどのくらいあると思いますか?

2、顔回(がんかい) 孔子が最も評価し早死にした弟子

【基礎情報】
・字(あざな)は子淵(しえん)なので、「顔淵(がんえん)」と呼ばれることもある。

・弟子の中で最も評価された弟子。とびきりの才能がありながら謙虚で努力家であった。

・孔子より30才も年下であったが若死にしてしまい、孔子をひどく悲しませる。(死因は餓死?)

①めちゃくちゃ機敏な才を持つ

【原文・書き下し】
子謂子貢曰、「女与回也孰愈。」対曰、「賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。」子曰、「弗如也。吾与女弗如也。」
子 子貢に謂いて曰く、「汝と回と孰れか愈れる。」と。対えて曰く、「賜(し)は何を敢えて回を望まん。回は一を聞いて以て十を知る。賜は一を聞いて以て二を知るのみ。」と。子曰く、「如かざるなり。吾も汝とともに如かざるなり。」と。(公冶長篇)

【現代語訳】
 孔子が子貢に、「お前と顔回とどちらが優れていると思うか?」と尋ねた。
 子貢は、「どうして私ごときが顔回と(比べられるのを)望むでしょうか。顔回は、一を聞いて十を悟(るほど聡明)ですが、私は一を聞いても二を悟る程度(の才能しかありません。)。」と答えた。
 孔子は、「本当にその通りだなぁ。お前だけではなく、実は私も顔回には及ばないよ。」とおっしゃった。

通常の才能が「一を聞いて一を知る」のであれば、顔回はその10倍は賢いことになります。どんだけ賢いねん!って話ですね笑
現代でも、1つの情報からいくつもの事柄を察したり理解したりできる機敏人間っています。顔回もそのようなタイプだったのでしょう。

ちなみに、現代日本語でも用いられている「一を聞いて十を知る」は、このエピソードが出典です。
あなたは、一を聞いてどのくらい理解できる人間だと思いますか?
(私は一を聞いても一の理解すら怪しいことが多いです。私は謙遜でも「一を聞いても二を知る程度」と自己を評価できる子貢が羨ましい…笑💦)

②いつでも思いやりに溢れる

【原文・書き下し】
子曰、回也其心三月不違仁。其余、則日月至焉而已矣。
子曰く、「回や其の心 三月 仁に違わず。其の余は則ち日月に至るのみ。」と。(雍也篇)

【現代語訳】
 孔子がおっしゃった。「顔回は長い間仁の心(他者への思いやり)を忘れずにいる。他の者ではせいぜい数日か数ヶ月くらいだろう。」と。

機嫌が良いときや余裕があるときに他者へ優しく接するのは簡単ですが、自分が辛い時や余裕がない時に他者へ思いやりを持つのは難しいことです。皆さんも、自分がしんどい時に、周りに辛く当たってしまった経験はあるのではないでしょうか?
しかし、孔子によれば顔回にはそのような事が一切無かったようです。それほど人間ができていたのでしょう。(個人的には超然とし過ぎていて怖いですが…💦)

③なによりも理想の生き方を追い求めた

【原文・書き下し】
子曰、「賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。」
子曰く、「賢なるかな回や。一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂に堪へず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。」と。(雍也篇)

【現代語訳】
 孔子がおっしゃった。「素晴らしいなぁ顔回は。粗末な飲食物を取り、粗末な家に住んでいる。常人ならその辛さに堪えられないだろう。(しかし)顔回は自分の楽しみ(=理想の生き方を追い求め研鑽を積む)を改めない。素晴らしいなあ、顔回は。」と。

顔回は、自分の飲食するものや住環境を整えることより、自分を磨くことを何より優先させて生きていたようです。それほど学ぶことや道徳の実践が好きだったのでしょう。孔子はこの顔回の態度を絶賛しています。

個人的には、ここまで高尚だと少しついて行けない感がありますが、一生のうち、短期間でもこのくらい頑張る時期があってもよいのかもしれません。

めちゃくちゃ謙虚

【原文・書き下し】
曽子曰、「以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗従事於斯矣。」
曽子曰く、「能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きがごとく、実つれども虚しきがごとく、犯されて校いず。昔者吾が友、嘗て斯に従事せり。」と。(泰伯篇)

【現代語訳】
 曽子が言った。「能力があるのに無能な人にも教えを乞い、知識が多いのに知識が少ない人にも教えを乞い、素晴らしい道徳を持ちながら無いように振る舞い、充実していても不足しているかのように感じ、他者から危害を加えられても仕返しをしない。昔、そういう友人がいた。」と。

曽子は顔回と同じ孔子の弟子です。(後ろで解説します。)
ここでは「顔回」という名前は見えませんが、内容から顔回のことを指すとされています。
とても謙虚な顔回の人柄が思い浮かびます。

3や5で紹介する子貢や宰我を見れば分かるように、能力のある人間が謙虚でいることはとても難しいです。ついつい上から目線で批評したり、無礼な態度を取ってしまうことがあります。
しかし顔回は、とびきりの才能を持ちながら、そのようなことが無かったようです。寿命以外、完璧な人間に見えますね…

3、子貢(しこう) 商才に溢れ弁の立つ弟子

【基礎情報】
・子貢は字(あざな)。本名は端木賜(たんぼくし)。孔子より31才年下で、顔回と同年代。

・才能に溢れるが(溢れるからこそ?)頭でっかちな部分があり、行動より言葉に頼りがち。

・孔子集団の財務を担当しており、しばしば稼いで金銭的に支えていた。

・後に魯や斉で宰相として活躍した。(『史記』)

①うまいたとえで論破する

【原文・書き下し】
棘子成曰、「君子質而已矣。何以文爲矣。」子貢曰、「惜乎、夫子之説君子也。駟不及舌。文猶質也、質猶文也。虎豹之鞹、猶犬羊之鞹。」
棘子成曰く、「君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。」と。
子貢曰く、「惜しいかな、夫の子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶お質のごときなり、質は猶お文のごときなり。虎豹の鞟(かく)は猶お犬羊の鞟のごときなり。」と。(顔淵篇)

【現代語訳】
 棘子成(きょくしせい)が言いった。「君子(=道徳的な人物)は中身を大切にすべきだ。外見を整える必要などない。」と。
 子貢が言いました。「あなたの(君子に関する)見解は誤っています。馬車を走らせて舌を追いかけても、その失言を取り消すことはできません。外見は中身に深く関係し、中身は外見と密接に関係している。虎や豹の毛皮から毛を抜いてしまったら、犬や羊のなめし革(のような粗末なもの)と見分けがつかない(ように、立派な中身であっても外見を整えなければ、周りから立派であることが分からない。)」と。

「中身と外見、どちらが大事か?」というのは孔子も述べていますし、現代においてもテーマにされやすいテーマです。
棘子成は「中身だけ重視すればOK!」と述べます。
これに対し子貢は、中身を「虎豹のような立派な動物」、外見を「虎豹の毛」にたとえ、「虎や豹の毛皮から毛を抜いてしまったら、犬や羊のなめし革(のような粗末なもの)と見分けがつかないように、立派な中身であっても外見を整えなければ、周りから立派であることが分からない。」と反論します。

確かに、虎や豹の体毛が犬や羊だったら、何の動物か分かりませんね笑。それと同様に、いくら中身が素晴らしくとも、外見も併せて磨かなければ、他者に誤解される可能性は高いです。
秀逸な比喩表現ができるのは、賢い人間の特徴でしょう。

師匠孔子をバカにされて反論する

【原文・書き下し】
叔孫武叔、毀仲尼。子貢日、「無以為也。仲尼不可毀也。他人之賢者、丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絶、其何傷於日月乎。多見其不知量也。」
叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)、仲尼を毀(そし)る。子貢曰く、「以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり。猶お踰(こ)ゆるべきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷(やぶ)らんや。多(まさ)に其の量を知らざるを見るなり。」と。(子張篇)

【現代語訳】
 叔孫武叔が仲尼(=孔子)のことを馬鹿にした。
 子貢は言った。「先生を侮るのは止めて下さい。先生は悪く言えないほど(優れた人間)です。常人の考える「賢者」というのは丘陵のようなもので、超えようと思えば超えられますが、先生は太陽や月のようなもので、超えることなどなきない(ほど優れているのです)。(また日月を)拒絶しようとしても、損なうことができるでしょうか。(いや、太陽や月を拒絶することも損なうこともできっこありません)。(孔子を批判しても、かえって)自分の未熟さを思い知るだけでしょう​​​​​​​。」と。

自分が尊敬する師匠をバカにされた場面ですが、子貢は自分の弁舌の才能でもって猛反論しています。
孔子を太陽や月のような存在だとたとえているのが面白いですね。確かに超えられない笑。

③他者を批評し過ぎて孔子に皮肉を言われる

【原文・書き下し】
子貢方人。子曰、「賜也賢乎哉。夫我則不暇。」
子貢、人を方(くら)ぶ。子曰く、「賜や賢なるかな。夫れ我れ則ち暇あらず。」と。(憲問篇)

【現代語訳】

 子貢は人物を比較(して品評)していた。先生がおっしゃった。「賜は賢いなぁ。私には(人の優劣を比較している)暇なんて無いよ。」と。

めちゃくちゃ孔子に皮肉を言われていますね。ここでの孔子の真意は、「他人をとやかく言うヒマがあったら自己修養に努めろ未熟者!」というものでしょう。
まぁ孔子自身が弟子をはじめとしてめちゃくちゃ批評しているので、「お前が言うな!」って感じでもあるのですが笑。子貢のキャラだけでなく、孔子のねちっこい部分が垣間見えます。

4、終わりに

以上、孔子の中でも特に有名な子路・顔回・子貢の3人を紹介しましたが、いかがだったでしょうか?3人とも中々キャラの濃い人でしたが、誰が気に入りました?(私は顔回の素朴で頑固な感じが好きです。)

ちなみに、この他にも個性的な弟子はいます。下に軽くまとめておきますので、気になる方は是非調べてみて下さい✨

4、曾参(そうしん)→くそ真面目で親孝行な弟子
・孔子からは「のろま」と評価される。
・1日に何回も自分の言動について振り返って反省している。
・親孝行を大切にしており、生涯自分の身体に傷がないよう慎重に生きていた。(えぇ…💦)

5、宰我(さいが) 弁が立つも素行が悪く孔子にあきれられた弟子
・孔子からは、口先ばかりで中身が伴わないことを批判される。
・両親に対し、3年の喪を尽くすことが長すぎると孔子に述べ、孔子に薄情者だと呆れられる。

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