陶淵明の人生と代表作「帰去来辞(ききょらいのじ)」「桃花源記(とうかげんき)」を紹介! 人生と社会の本質を見つめ直した詩人 

1、陶淵明(とうえんめい)とはどんな人?

不安定時代にうまれた元名家の人

・名を(せん)、字を淵明、五柳先生と号した。365~427年。63歳で没する。(じん)(よう)(江西省)の(さい)(そう)の人。晋の重役を務めた陶侃(とうがん)のひ孫に当たるが、彼の時代には家はすでに没落しつつあった。

役人生活と無職を繰り返す人生

・29才で江州(こうしゅう)(さい)(しゅ)(=学政を司る長官)として赴任したが、役人生活に馴染めず、まもなく辞任。その後、将軍に仕えたがそれも辞任。40歳の時、彭沢(ほうたく)県の県令となり、わずか3ヶ月足らず務めたのを最後に、官界を退いて隠居し、その後は故郷の田園で貧乏ながらも悠々自適の生活を送った。

マイペースすぎて社会に馴染みづらい性格

・性格は、マイペースでおおらか。何度も仕事を辞めていることから分かるように、一般的な社会人生活にはなじみにくいタイプ。世間からは隠者(いんじゃ)として有名であった。
賢者かニートか? クセが強すぎる隠者(いんじゃ)の思想

自然風景や人生哲学を題材とした作品が多い!

・陶淵明の詩は、田園詩と称され、淡淡とした表現の中に、人間本来の自然な生き方を模索し、人間とはどう生きるべきか、自問自答するような哲学性のある作品が多い。
※関連する考え方
老子(ろうし)の考え方・名言格言を紹介 生きづらさを感じている方・視野を広げたい方へ
荘子(そうじ)の思想(万物斉同)・名言格言を紹介! 束縛されず自由に生きたい方へ
荘子のひねくれているけど面白い話 3選

教科書でも有名な「帰去来辞」「桃花源記」の作者

・陶淵明の代表作に「帰去来辞」「桃花源記」が存在する。
→「帰去来辞」は、40歳の時、束縛の多い役所勤め(彭沢県令)を辞めて故郷に帰る際、その心境を綴ったもの。
→「桃花源記」は、漁師が世間と隔絶した理想郷に迷い込むストーリーを通じて、陶淵明が考える理想の社会形態を描く。元ネタは『老子』の小国寡民。「桃源郷」の語源

2、帰去来辞 労働とは人の本質に沿ったものなのか?

【現代語訳】
序部分
 私の家は貧しく、百姓仕事だけで暮らしを立てることは難しかった。幼児は部屋にあふれているのに、ビンには蓄えの穀物もない有り様である。生計を支える仕事となると、見当もつかなかった。親戚知人の多くは、地方の役人となることを勧めてくれ、心機一転そのつもりになったが、肝心のツテが見つからなかった。

 ちょうどその頃、戦争が起こり、各州のお偉方は積極的に人材登用を行っていた。叔父は私の貧乏暮らしを見かねて奔走してくれ、ようやく小さな県(=当時の中国の「県」は、現代日本で言う所の「町」「村」規模)に勤めることとなった。当時、戦争の騒ぎはまだ収まっておらず、心の中では遠くへの赴任となることを恐れていた。任命された彭沢県(ぼうたくけん)は家から百里(=約40キロ)ほどの近さで、公田(=税収用に育てる田んぼの区画)から得られる収穫は、酒を作るのに充分であった。そこですぐさま任命を受けることとした。

 しかし、彭沢県の長官に着任して何日もしないうちに家が恋しくなり、辞任して帰郷しようとする気持ちが起こった。なぜなら、自分の気質は本来形にこだわらずありのままであろうとする所にあり、己を偽って無理に勤めに励もうとしても、とてもできるものではなかったからだ。辞任すれば飢えや寒さが骨身にこたえるとはいえ、自分の本性に背いて官吏として働くことは、心身共にこの上ない苦しみであった。実はこれまでも官吏になったことがあるが、全て生計のためにやむを得ずなったに過ぎない。

 このように考えはじめると、切なく胸が裂けるようで、日頃からの自分の考え方に背いていることに、ただ恥じるばかりであった。だがそれでもまだ、翌年の公田の収穫を期待し、そのあとさっさと夜にまぎれて故郷に逃げ帰ろうと考えていた。

 間もなく嫁いだ妹がこの世を去った。駆けつけてやりたいという気持ちで頭がいっぱいとなり、ただちに辞任して妹を弔った。秋の中頃から冬に至るまで、県令であったのは80日ほどである。妹の死という外的な事情がきっかけとなったが、実は自分の普段からの気持ちに従っただけであり、今から述べるこの一篇には、「帰去来辞(ききょらいのじ)」と名付ける。時に乙巳(きのとみ)(=西暦405年)の11月のことである。

本文
 さあ帰ろう、故郷の田園は荒れ果てようとしているのに、どうして帰らずにいられようか。これまでの自分は、心を身体の下僕におとしめてきたが、そのことをくよくよと一人悲しんでよいものか。昔の過ちを改めることはできないが、未来のことは自分で決めることができる。人生の歩む方向を間違えはしたが、まだそれほど遠くまで来ていない。役人勤めをやめた今こそが正しく、おめおめと職にあった昨日までが過ちであったのだ。

 郷里に向かう船はゆらゆらと揺れながら軽やかに水面を渡り、風はひらひらと着物のすそをなびかせて吹き渡っている。自分は乗り合わせた旅人にこれからの道のりを尋ねてみたり、夜明けの空が中々明るくならないのを、もどかしく思ったりするのである。

 ようやく我が家が見えてくると、もう嬉しくて思わず駆け出していた。年のゆかぬ召使いが迎えに来てくれ、子どもらは家の門の前で待ってくれている。屋敷の小道は荒れ始めていたが、松や菊だけは元のままの様子であった。幼子をつれて部屋に入ると、酒がなみなみと壺にあった。徳利と杯を引き寄せて飲み出し、庭の木を鑑賞していると、思わず口元がほころんでくる。南の窓辺にもたれて、誰にも気兼ねしなくとも良い気持ちに浸るうちに、狭い我が家こそが最もくつろげる場所であることをつくづくと思い知るのであった。

 庭は日が経つにつれて風情を増し、門は設けてあるとはいえ閉ざしたままである。杖を携えての散策の途中、足を留め、ふと顔をあげて景色を眺めやることがある。雲は無心に峰を離れ、飛ぶのに飽きた鳥はねぐらに帰って行く。夕日は次第に輝きを弱めながら沈もうとしていたが、自分はこの場を立ち去りがたく、西日の残る一本松の幹をずっとなで続けた。

※「雲は無心に峰を離れ、飛ぶのに飽きた鳥はねぐらに帰って行く」について、「雲」「鳥」=「自身」、「山の峰から離れる」「ねぐらに帰る」=「政治の世界から引退する」のたとえか。

 さあ帰ろう。偉い方々との付き合いを断り、人間関係を無理に保つことはやめよう。あの人々と自分とは、(たもと)を別った以上、またこちらから会いに行って何を求めようというのか。これからは親族と打ち解けた世間話に興じ、琴や書物を楽しんで胸のしこりを晴らすのだ。

 百姓たちが春の到来を教えてくれた。いよいよ西の田畑で野良仕事が始まるというのだ。時には(てん)(がい)のついた車を仕立てさせ、また小舟を漕いで出かけよう。曲がりくねった谷間を奥へ奧へと(さかのぼ)ったり、上り下りしながら丘の道をたどったりするのだ。木々は嬉しげに花を咲かせようとし、泉はちろちろと快い音を奏で始めた。ただこのように、万物が生き生きとして良い時節に巡り会えたのを喜びながらも、自分は己の命が遠からず尽きてしまうのを感じない訳にはゆかない。

 自分の寿命は、どうすることもできない。この身を世に置いていつまで生きられるというのか。なぜ心を寿命のままに任せられないのか。あくせくしていったいどこへ向かうというのか。富や名誉は必要ない。神仙境など夢の話である。

 天気の良い日を選んでひとり野原に出てみる。また時に田んぼの中に杖を突き立て、農作業をしてみる。東の丘に登ってゆるやかに(うそぶ)くこともあれば、清流のほとりで新しい詩を作ることもある。ともあれ、自然の移り変わりに素直に従い、己の生命の尽きるのに身を任せよう。天が与えてくれた運命を存分に楽しみ、一体何を疑うことがあろうか。

テーマは「労働」と「心」

【味わうためのポイント】

Q1:「これまでの自分は、心を身体の下僕におとしめてきた」について、つまり陶淵明は、「役人の仕事は心を身体の奴隷にする事」と捉えたようです。これは現代人が「生活のために、やりたくない事や理不尽な事を我慢しながら働いている」ことと通ずる部分があります。=労働は生きるために自然なことだが、心にとっては不自然となることがある。
実際に皆さんがアルバイトや仕事をしていて、理不尽を感じながら我慢した経験や、やりたくないことを嫌々こなした経験がありますか?
→ある場合は、陶淵明の気持ちが痛いほど分かるはず…

Q2:「偉い方々との付き合いを断り、人間関係を無理に保つことはやめよう」について、陶淵明は労働に付随する上司との付き合いを煩わしいと感じているようです。あなたは、先輩や上司との付き合いが煩わしいと感じた経験はありますか?
→ある場合は、陶淵明の気持ちが痛いほど分かるはず…

Q3:「富や名誉は必要ない」について、陶淵明の価値観は1富・金・名誉<2精神的な穏やかさでしたが、あなたはどちらを優先させて生きたいですか?

3、桃花源記 技術や娯楽が発展して競争の激しい社会は本当に理想の社会なのか?

【現代語訳】
※桃=退魔の効果/食べると不老長寿となる/仙人が食べるもの/仙人・仙人界の暗喩

 晋の太元(たいげん)年間(376~396年)、()(りょう)の地に漁をなりわいとする男がいた。ある日、川を船で遡っていくうち、どれほど遠くまで来たのか分からなくなった。ふと桃の花の咲く林に出会った。両岸に沿って数百歩に渡っている。香り高い草花が色も鮮やかで、桃の花びらがひらひらと散っていた。漁師は大層不思議に思い、それからまた船を進め、林の奥を見極めようとした。林が尽きた所が川の源で、一つの山があった。山には小さな洞穴があり、奧はぼんやり明るい感じだった。漁師は船を下りて中へ入っていった。

桃花源記 漁師が遡る様子(イメージ)

 洞穴のはじめは大層狭く、やっと人一人が通れるほどであった。更に数十歩進むと、目の前が明るく開けた。土地は広々と平らかで、どの家もしっかりと整い、作物がよく育った田畑、なみなみと水をたたえた池、桑畑や竹やぶなどがあった。野良道は四方に行き交い、鶏や犬の鳴き声が聞こえる。そこかしこを往来し、耕している男女の着物は、まったく外の世間の人達と変わりが無い。年寄りも幼子も、みな和やかでいかにも楽しげである。

 漁師を見つけた人は大変びっくりして、どこから来たのかと尋ねた。こと細かに答えると、ぜひにと家に連れ帰り、わざわざ酒を並べ、鶏をさばいて食事を整えてくれた。村の中ではこの人がいると聞きつけると、こぞって挨拶にやってきた。彼らが言うには、「ご先祖が秦の代の戦乱を逃れ、家族や村人を引き連れて、この人里離れた山奥に来てから、一歩も外に出ず、そのまま世間と縁が切れてしまいました

桃花源記 漁師が迷い込んだ場所(イメージ)

※秦の時代=BC221年→晋の太元(たいげん)年間(376~396年)なので、おおよそ500年以上、世の中から取り残されている設定。もしくはこの村は、通常の人間界と比べ、時の流れが極端に遅い?(『万葉集』の浦島太郎の説話では、浦島は竜宮城で3年の時を過ごしたが、外界に戻ると700年(諸説有り)もの時が流れていたことと似ている?)

 また、「今は何という時代でしょうか。」と尋ねた。なんとこの人々とは「漢」という時代があったことを知らず、まして魏や晋のことは言うまでもなかった。漁師が歴史について知っていることを一つ一つ詳しく話してやると、一同深くため息をつくばかりであった。他の人々もめいめい漁師を家に招き、みな酒と食事でもてなした。こうして何日か留まった後、その地を去ることとなった。村人の一人が漁師に向かって言った。「ここのことは、世間の人達に話すほどのものではありませんよ」と。

 漁師は洞穴を出てから自分の船を見つけると、もと来た道をたどりながら、要所要所に目印を付けておいた。そして役所に行き、長官に会ってあの村のことを申し上げた。長官は部下を派遣し、漁師の後について、前に目印を付けた所を探させたが、とうとう迷ってどうしても道を見つけられなかった。

 南陽郡(なんようぐん)劉子驥(りゅうしき)は高潔な名士だったが、彼は桃花源の村の話を聞くと、喜び勇んで尋ねようとしたが、果たせずにこの世を去った。それから今までこの村を尋ねようとする人は誰もいない。

 秦の始皇帝が天の秩序を乱したため、賢者たちは荒れた世を避けて身を隠した。()(こう)(こう)()()()は商山へ行き、この村人たちもまた逃げ去った。その行方はいつか埋没し、たどって来た道も荒れ果ててしまった。村人は誘い合って野良仕事に励み、日が沈めば思いのままに休息する。桑と竹はゆったりとした影を落とし、豆や栗を時候に合わせて農地に撒く。春の蚕から長い生糸をつむぎ取り、実りの秋に政府への年貢はかからない。

 草むらに覆われた道は、ほの暗く縦横に通じ、ここかしこで鶏が鳴き犬が吠える。祭りの道具は遠い昔のしきたり通り、衣装に新しい工夫は見られない。子どもらは気ままに歩きつつ歌い、年寄りは楽しげに互いの家に行き来する。草が花を着けると時候の和んだのを知り、木々の葉が色づき散って風の冷たさに気付く。暦の書き付けなど無くとも、春夏秋冬おのずと一年が経つ。のんびりとして存分の楽しみがあるのに、どうして無理に知恵を絞ってあれやこれや考えるのか。

※桃花源の村は、『老子』の「小国寡民」をモデルとしている。

テーマ=「理想の社会とは?」

【味わうためのポイント】

Q1:陶淵明が理想とする社会=桃花源は、1「娯楽や刺激は少ないが、のんびりとしていて競争がなく、ストレスも少ない素朴な社会」と表現することができます。一方、現実世界は、2「娯楽や刺激は沢山あるが、変化・競争が激しく、ストレスも沢山たまる社会」と表現することができます。あなたはどちらの社会が理想だと思いますか?
→1を選んだ方は、陶淵明と気が合うでしょう。

Q2:漁師は、なぜ桃花源の村に再度行くことができなかったのでしょう?創作してみましょう。

4、始作鎮軍参軍経曲阿作(始めて鎮軍参軍と作(な)りて曲阿(きょくあ)を経しときに作る) 世俗にまみれて自由を失った自分を恥じる

【現代語訳】

 若い頃から俗事の外に身を置き、楽器と書物に心を託していた。粗末な服を着ても喜んで満足し、食べ物に困ったがいつも平気であった。

 人間には予測できない不思議な運命により、私は生き方を一端変えて官職に就くこととする。杖を投げ捨てて朝に旅立つ用意を召し使いに命じ、しばらくの間、自分の田園と別れることとなった。

 はるか彼方へ小舟は進んでいき、帰りたい気持ちがずっとまとわりつく。この旅はなんと遠いことか。上り下りして千里余りもの距離を進む。

 珍しい山水の風景に見飽きて故郷の山川の家が頭を離れない。雲を眺めては空高く飛ぶ鳥に恥じ、水に臨んでは自由に泳ぎ回る魚に対し、恥ずかしく思う。

 本来の理想とする生き方ははじめからずっと心の中にあるから、肉体や行動に心が縛られている訳ではない。(あくまで今回の仕官は、一時的なものである。)まずは自然の変化に身を任せ、為すべきことが終われば、自分の家に帰ろう。

【原文・書き下し】
弱齢寄事外 委懐在琴書 弱齢より事外に寄せ 懐いを委ぬるは琴と書とに在り
被褐欣自得 屢空常晏如 褐を被りて欣んで自得し 屢空しきも常に晏如たり
時来苟冥会 宛轡憩通衢 時来たりて苟しく冥会せば 轡を()げて通衢に憩う
投策命晨装 暫与園田疏 (つえ)を投げて晨装を命じ 暫く園田と疏なり
眇眇孤舟逝 綿綿帰思紆 眇眇として孤舟逝き 綿綿として帰思(まつ)わる
我行豈不遥 登降千里余 我が行豈に遥かならざらんや 登降すること千里余り
目倦川途異 心念山沢居 目は川途の異なれるに倦み 心は山沢の居を念う
望雲慚高鳥 臨水愧游魚 雲を望みて高鳥に慚じ 水に臨みて游魚に愧ず
真想初在襟 誰謂形跡拘 真想は初めより(むね)に在り 誰か謂わん形跡に拘せらるると
聊且憑化遷 終返班生廬 聊か且く化に憑りて遷り 終には班生の廬に返らん

【味わうポイント】

Q1:陶淵明は、服や食べ物が最低限であっても、自分の好きなことができていることに満足しているようです。あなたは、「貧乏だけど自分の好きなことができる人生」と「裕福だけど自分の好きなことはできない人生」、どちらを選びたいですか?また、それはなぜですか?
→前者を選んだ方は、陶淵明の気持ちがよく分かるはずです。

Q2:「雲を眺めては空高く飛ぶ鳥に恥じ、水に臨んでは自由に泳ぎ回る魚に対し、恥ずかしく思う」について、陶淵明はやむを得ず本意ではない仕事をすることとなった自分と、自由気ままに生きる鳥・魚を対比させています。あなたは、「本当はやりたくないけど、状況的に我慢して行った経験」がありますか?またそれは何ですか?
→このような経験がある方は、陶淵明の気持ちが分かると思います。

5、その他 陶淵明の作品

責子(子を責む)/陶淵明→不勉強な自分の子どもにあきれる

雑詩 其一(ざっし そのいち)/陶淵明→今が1番若くて元気があることを述べる

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

SHARE