晏子(あんし)の人生・思想・エピソードを紹介! 孔子・司馬遷が褒め称えた伝説の名宰相!

1、晏子はどんな人?

・本名は晏嬰。諡は平。春秋時代末期に生きた政治家・思想家。孔子よりやや年上で面識あり。斉(せい)という国に長らく仕え、その手腕で多いに国を栄えさせた。

・後世、その業績と人格が讃えられ、彼の事績をまとめた『晏子春秋』という書物が作られる。また、『史記』を書いたことで有名な司馬遷(しばせん)は、「晏子の御者(≒召使い)として働きたい」と述べるほど尊敬していた。

・政治家として超優秀。特に経済観念に優れており、倹約家としても有名。宰相の身でありながら贅沢をせず、同じ服を30年以上着ていた。また、あまりに晏子が質素な暮らしをするので、心配した君主がお金や領地をあげようとするが、「私はすでに充分いただいています。」として固辞した。

・身体は小さく、伝承によれば140センチにも満たなかったようである。しかし、度胸があり知恵も回る。ある時、他国に使者へ行った時も身長をバカにされたが、うまくたとえ話を用いてバカにしかえした。→⑤他国の王からの侮辱を華麗にやりかえす

・非常に愛妻家。晩年に君主の若い娘との結婚をすすめられたが、「長年連れ添った妻を大切にしたい」と断る。→⑥君主の若い娘との縁談を断り、長年連れ添った老妻を大切にする

2、晏子の面白いエピソード

(れい)(こう)の禁止令と羊頭狗肉(『晏子春秋』)

 霊公の時代、町の女性の間で男装が流行っていた。霊公は禁止令を出したが、一向におさまらない。そもそも流行の原因は、霊公が自分の(きさき)に男装をさせていたことであった。これに対し晏子は、「霊公のやっている事は、牛頭を店頭に展示して、実際は馬肉を売るようなものです。

(当時は牛=高価で儀式で用いる神聖なもの、馬=単なる移動手段で価値は低いものという価値観があった。つまり、「牛頭のような立派なものを店頭に展示して、実際は馬肉のような粗末なものを売る」ことは見かけと実質が伴わない行為である。晏子は、「牛頭馬肉」のたとえを用いて、霊公が自ら出した禁止令を守っていない=見かけと実質が伴わない行為を指摘した。)

 これを速やかに宮廷で禁止すれば、流行はすぐに終わります。」と諫め、その通りにすると流行は収まった。

【解説】

・晏子の非常に筋の通った言い分と、絶妙な比喩表現が光る。

・この話は、後世、羊頭(ようとう)()(にく)という形に変化し、現代日本では「見かけと実質が伴わないことのたとえ」として用いられる。食べ物のCMや宣伝ポスターと実物が違うときなどに使える。

②霊公と戦争(『春秋左氏伝』)

 霊公は戦争好きであり、ある時晏子を伴って戦争を起こしたが敗戦しそうになり、霊公は我先にと逃げようとした。晏子は霊公に対し、「まだ戦えるのにもう逃げるのですか。なぜそのように臆病なのですか。」と批判した。霊公は怒り、晏子を殺そうとしたが、晏子は「私を殺す勇気があるのなら、まだ戦えるでしょう。」と述べた。霊公は、「それができないから今逃げているのだ。」と述べて逃げた。

【解説】
・落語のような話。晏子の度胸と煽りに満ちた言葉と、霊公の心情が臆病→怒り→冷静のようにころころ変わるのが面白い。

③晏子と孔子(『史記』『論語』)

 (こう)()はある時、斉の(けい)(こう)と面会し、政治の要点を聴かれた際、「(せい)(めい)(名を正す=それぞれの役目がその役目を全うすること。君主は君主らしく民のための政治を行い、臣下は臣下らしく君主を支えるべき等)」を説いた。景公は感心し、孔子を登用しようとしたが、晏子は以下のように述べて反対する。

 「そもそも孔子をはじめとする儒者は、言葉巧みに是非を混同して説くので、手本にするべきではありあせん。また、傲慢で自分勝手に振る舞うので低い身分に置くべきではありません。儒者は、喪に服することを尊んで悲しみをつくし、破産してまでも葬式を華美に行うので、これを民の習俗としてはいけません。儒者は、諸国を説いてまわり金品を求めるので、国を治めさせてはいけません。(中略)君主は孔子の意見を採用し斉の民俗を変えたいと考えていますが、(斉が実施する)貧しい人々を優先して助ける政策とは異なっているため、登用はやめるべきです。」と。

【解説】
・倹約家の晏子にとって、お金のかかる孔子の考え方は承服できないものであったようである。

・なお、孔子は晏子について、「晏子は対人能力が非常に高く、長く付き合えば自然と晏子のことを尊敬するようになる」(『論語』)と絶賛している。

④2つの桃だけで3人の邪魔者を除く(『晏子春秋』を抄訳)

 昔、晏嬰(あんえい)が、プライドが高く傲慢な3人の武将を排除しようとして作戦を練った。そして、君主から3人に向かって「ここに桃が2つある。この3人の中で功績が大きい者2人が食べて良い。」と言ってもらった。AとBは、それぞれ自身の功績を誇って桃を取ったが、CがA・Bより大きな功績を誇り、桃を2つとも自分のものにしようとした。

 Cの言い分を聞いたAとBは、Cより少ない功績にも関わらず、それを自慢したことを恥じて自殺した。一方、CはA・Bを自殺に追い込んだことを恥じ、自殺した。このように晏子は、2つの桃のみで3人の武将を排除することに成功した。

【解説】

・「恥じて死ぬ」というのは、現代的な感覚からすると大げさかもしれないが、当時の武将=貴族にとって誇りorメンツというのは、非常に大切なものであり、時に命より大切であった。

・この話から()(とう)(さん)()という四字熟語が生まれた。現代では、「優れた知略で他者を自滅させ、問題を解決すること。」の意味で用いられる。

⑤他国の王からの侮辱を華麗にやりかえす(『晏子春秋』)

 晏子が使者として楚に到着しようとした頃、楚王はこのことを聞き、側近に向かってこういった。「晏嬰は斉の国では弁の立つ者だと言う。我が国にもうすぐやってくる訳だが、私は奴を辱めてやろうと思う。どうすればよいか。」と。

 側近はこう答えた。「奴が参りましたら、1人の者を縛って王の前に引き出させて下さい。王は「何者か」とおっしゃって下さい。我々は「斉国の人です。」と答えます。王は「何の罪を犯したのか。」とおっしゃるのです。「盗みの罪を犯しました。」と申して、(奴の国を貶めることで、奴自身も侮辱しましょう。)」と。

 晏子が到着すると、楚王は(宴会を設けて)晏子に酒を振る舞った。宴もたけなわとなり、2人の役人が男を縛って王の前に進み出た。王が(打ち合わせ通り)「縛られているのは何者か。」と言うと、「斉国の人です。盗みの罪を犯しました。」と答えた。王は晏子のほうを見て、「斉国の者は元々盗みに長けている(ような卑しい者たち)なのか。」と言った。

 晏子は席を立って、恭しくこのように答えた。「私はこのように聞いております。「橘(たちばな)は淮南(わいなん)に生えれば橘となり、淮北(わいほく)に生えると枳(からたち)となります。葉が似ているだけで、その実は味が異なります。」と。これはなぜでしょう。(育った)土地柄が異なっているからです。今、民が斉に生まれ育てば盗みをせず、楚に入れば盗みを働く。これは楚の土地柄が民を盗み上手にさせているのではないでしょうか。」と。

 王は笑って、「聖人は冗談を言う相手ではないな。私がかえって恥をかいてしまった。」と言った。

【解説】

・斉国出身の人が楚で盗みをはたらいたことについて、「お前の国は盗みを行う卑しい国だ!」と楚王はいちゃもんを付けるものの、「盗みを働くのは育った土地の影響を受けるのだから、むしろあなたの国のほうが卑しい国では?」と意趣返ししている所が当意即妙で秀逸である。またそれを述べるため、「橘」と「枳」のたとえを用いている点もポイントが高い。
→これは、「育つ環境が大事」という点で「孟母三遷」に通じている。孟母三遷の解説は以下のページを参照。

⑥君主の若い娘との縁談を断り、長年連れ添った老妻を大切にする(『晏子春秋』)

 景公には寵愛する娘がおり、晏子のもとへ嫁がせようと考えていた。景公はそこで晏子の家へ行って宴会を催した。宴もたけなわになり、景公は晏子の妻を見て、「この者はあなたの妻か。」と言った。晏子がお答えして、「はい、さようでございます。」と答えた。景公は、「ああ、(あなたの妻は)なんと老いぼれて醜いことよ。私には娘がいて、年は若く美人なのだが、あなたの側室に加えて差し上げよう。」と言った。

 晏子は席を立ってこう答えた。「(おっしゃる通り)この者は老いぼれて醜くなっておりますが、それは私が妻と長い間共に暮らしてきたからこそです。もとより(彼女が)若くて美しい時にも暮らしてきました。そもそも人は元来、(結婚する際には、)若い頃に老いた時の己を(配偶者に)ゆだね、美しい時に(老いて)醜くなる自分を(配偶者に)ゆだねるのです。妻はかつて私に(自分を)ゆだね、私はそれを受け入れました。(従って)ご主君が(新しい妻を)与えて下さっても、それによって私は(妻との約束を)破るようなことを決してしたくありません。」と。(こうして晏子は)再拝して辞退した。

【解説】

・男はいつの世でも、若くてキレイな女性が好きなものだが、晏子は年老いても結婚時の誓いを大切にしており、愛妻家であると共に、非常に人格者であることも分かる。

・このように、「年老いても一緒に連れ添う」という四字熟語に、「偕老同穴」というものがある。

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