理想の教育とは? 人を育てる立場の人(先生・先輩・上司)に読んで欲しい漢文 

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ポイント

  • 1では、教えることが貴重な学びの機会であることを述べている。
  • 教える際、相手にうまく伝えられなかった時は、相手を責めるのではなく、自分の理解or実力不足をしっかりと認識し、学びを深めるチャンスすれば、生涯成長し続けることができる。
  • 2では、「教師がただ目の前の教科書を読み上げる」、「(表面的な内容について学生に)質問し(て本質を伝えない)」、「説明が長い(だけで要領を得ない)」など、「ダメな教育」の具体例を挙げる。そしてこれを軸として、理想の教育について考えることができる。
  • 3では、立派な教育者の孔子が、少しでも優れた所がある人なら誰からでも積極的に学んだことを述べている。これは、教える側の1つの理想的な姿勢として見習うべきか。

こんにちは。本日は、「理想の教育とは? 人を育てる立場の人(先生・先輩・上司)に読んで欲しい漢文」ということで、3つ紹介させてもらいます。

私は学生の立場ですが、いずれ教える立場になるかもしれないので、今のうちに学んでおきたいです!

1、教えることは貴重な学びの機会! 『礼記』学記篇その1

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1、教えることは一方的に伝えるだけではない! 『礼記』学記篇その1

【現代語訳】

おいしい料理があっても、食べなければそのおいしさは分からない。(これと同じように)素晴らしい生き方があっても、学ばなければその良さは分からない。

また、学んではじめて(自分の)足りない(部分)を理解し、(他者に)教えてはじめて(教育の)難しさを知る。

そして、(自分に)足りないものを理解し、その後に自分の能力を冷静に見極めることができる。(教育の)難しさを知って、その後に努力することができるようになる。

したがって「(人に)教えることと(人から)学ぶことは、互いに作用し合って(学びを)深めるのである。」と(言われる。)

【書き下し】

嘉肴(かゆう)有りと雖も、食(くら)わざれば其の旨さを知らざるなり。至道有りと雖も、学ばざれば其の善きを知らざるなり。是の故に学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困(くる)しむを知る。足らざるを知りて、然る後に能く自ら反(かえりみ)るなり。困しむを知りて然る後に自ら強むるなり。故に曰く、「教学相長ずるなり」と。

【原文】

雖有嘉肴、弗食不知其旨也。雖有至道、非学不知其善也。是故学然後知不足、教然後知困。知不足、然後能自反也。知困然後自強也。故曰、「教学相長也。」

『礼記』学記篇より一部を抜粋。

学んではじめて(自分の)足りない(部分)を理解し、(他者に)教えてはじめて(教育の)難しさを知る」の部分は心当たりがあります。
ある程度勉強した後に、勉強する前が「何が分からないかも分からない状態」だったことに気付きますし、友だちが分からないことを教えるとき、うまく説明できなかったことがあります!

特に後半部分は、世の中の先生や先輩、上司の方は身に覚えがあるのではないでしょうか?私もよく思います。生徒に教えている時、みなが理解できるような説明がうまくできないことがあります。そこで自分が「分かっている気」になっているだけなのだと落ち込みます笑

「分かっている気」…心当たりがありまくります。。。

個人的には、この自分が「分かっている気」でいるだけで、実際には理解が不足していることを知るのは、悪いことではないと思います。
むしろ、「自分の理解不足が分かってよかった」と思うくらいでよいと考えます。

逆に、「どうして分からないの?」と学生に問い詰めて怒ったり、ため息ついて見下したりするのはダメですね!こんな先生は一瞬で嫌になりそう💦

おっしゃる通り、学生や後輩、部下に責任を求めるのはよくないと思います。自分の成長する機会を自分で潰してしまいますし、責任を求める側からの信頼を失ってしまいます。

だから「(人に)教えることと(人から)学ぶことは、互いに作用し合って(学びを)深めるのである。」って言ってるんですね。
普通に先生から学ぶことだけでなく、教えることも学びになって、結果的により学びが深まるってことですね!

その通りです。上の立場になると、ついつい「自分が与える側」という姿勢となりがちですが、教えるのも貴重な学びの機会ということを常に意識しておくと、いつまでも成長できると思います✨

2、今の教育はダメダメ? 『礼記』学記篇その2

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2、今の教育はダメダメ? 『礼記』学記篇その2 

【現代語訳】

今の教育は、教師はただ目の前の教科書を読み上げ、その(表面的な内容について学生に)質問し(て本質を伝えず)、説明が長い(だけで要領を得ず)、学習を進めるにあたり(学生の)理解しているかどうかに配慮せず、また誠意もなく、教える際に学生の才能を伸ばそうとしない。

(このように、先生の)教え方が間違っていて、学生の学び方も正しくない。そのため学生は、学ぶことが好きになれず、先生と仲が悪く、学習の辛さに苦しみだけで、学習の利点を知ることができず、卒業してもすぐに学問を捨ててしまうのである。

今の教育が(効果を得られない原因は)このような所にあるのではないか。

【書き下し】

今の教うる者は、其の占畢(てんひつ)を呻(うな)り、其の訊(と)いを多くし、言 数に及び、進みて而其の安を顧みず、人をして其の誠を由(もち)いざらしめ、人を教うること其の材を尽さず。其の之を施すや悖(もと)り、其の之を求むるや佛(もと)る。夫れ然り、故に其の学を隠(いと)いて其の師を疾(にく)み、其の難きを苦みて其の益を知らざるなり。其の業を終うと雖も、其の之を去(す)つること必ず速かなる。教の刑(な)らざる、其れ此に之由るか。

【原文】

今之教者、呻其占畢、多其訊、言及于数、進而不顧其安、使人不由其誠、教人不尽其材。其施之也悖、其求之也佛。夫然、故隠其学而疾其師、苦其難而不知其益也。雖終其業、其去之必速。教之不刑、其此之由乎。

『礼記』学記篇より一部を抜粋。

ここでダメ出しされている先生って、現代日本にも沢山いますよね…?

いると思いますよ💡

逆に、どのような教育がよい教育なんでしょう?

ダメだと言われている教育を軸に考えてみましょうか。例えば、「教師はただ目の前の教科書を読み上げる」については、以下のような対策が挙げられます。

→重要ではない部分は省き、要点を述べる
→印象に残りやすいよう、面白い小話や豆知識を挟む
→アクティブラーニング(グループワークや発表など)によって主体的に学ぶ機会を作る


これらが「よい教育」なのかもしれません。

要点を述べてくれたり、面白い話を教えてくれたり、自分たちで考える機会があったりするのは、学生からしても良い印象です!

「(細かい内容について学生に)質問し(て本質を伝えない)」については、教師なら学習指導要領、上司なら偉大な社長の名言集などを一つの指標として自分なりに本質(=「なぜ学ぶ必要があるのか」など)を掴み、それをことある事に伝えると良いかもしれません。

学校の勉強とかしていると、「なんでこんなこと勉強しないといけないの?」や「こんな勉強意味ない」みたいに考えること多いので、勉強の必要性など、時々伝えてくれるのは嬉しいかもです。

1であるように、結局勉強してからではないと、勉強の意味は分からない部分はありますが、それでも教える側がそのような本質的な部分を伝えるのは大切だと思います。

このような感じで反面教師的に考えていけば、「良い教育」というものが見出せるかもしれません。

てゆうか、これってめっちゃ昔の漢文ですよね?現代でもよく当てはまっていてびっくりします💦

少なくとも2000年前には成立していますね。いくら時代が移ろうとも、教育の本質は変わらない部分があるということでしょう💡
難しいですが、先人が残してくれた遺産を少しでも活かしたいものです。

3、誰からでも学ぼうとする姿勢が立派な教育者への道となる 韓愈「師説」

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3、誰からでも学ぼうとする姿勢が立派な教育者への道となる 韓愈「師説」

【現代語訳】

聖人(=知性と品性が最高に優れた人)には決まった先生はおらず、(見習うべき部分がある人なら誰でも師とした)。孔子は郯子(たんし)・萇弘(ちょうこう)・師襄(しじょう)・老耼(ろうたん)を先生とした。(しかし)郯子の弟子たちは、道徳の優れている点において、孔子には及ばなかった。

孔子は次のように言っている。「三人で事を行えば、(その中に)必ず自分の先生とすべき人がいる。」と。(したがって)弟子は必ずしも師に及ばないわけではなく、師が必ずしも弟子より優れているとは限らない。

正しい生き方を聞(いて理解する)のに先と後との違いがあり、技術や学業にそれを専門的に研究することがあるので、このように(孔子が郯子らを先生として学んだ)だけである。

【書き下し】

聖人に常の師無し。孔子は郯子(たんし)・萇弘(ちょうこう)・師襄(しじょう)・老耼(ろうたん)を師とす。郯子の徒は、其の賢 孔子に及ばず。孔子曰く、「三人行えば、則ち必ず我が師有り。」と。是の故に弟子は必ずしも師に如かずんばあらず。師は必ずしも弟子より賢ならず。道を聞くに先後有り、術業に専攻有りて、是の如きのみ。

【原文】

聖人無常師。孔子師郯子・萇弘・師襄・老耼。郯子之徒、其賢不及孔子。孔子曰、「三人行、則必有我師。」是故弟子不必不如師。師不必賢於弟子。聞道有先後、術業有専攻、如是而已。

韓愈「師説」より一部を抜粋。

孔子みたいな立派な教育者でも、積極的に色々な人に学んでたんですね。

というか、他者から貪欲に学ぼうとする姿勢を持ち続けたからこそ、立派な教育者として今でも評価されているのかもしれません。

そのような姿勢の先生or上司or先輩なら、自然と学ぼうとするでしょうし、尊敬したくなると思います!

そうですね。
あと、教える立場として「弟子は必ずしも師に及ばないわけではなく、師が必ずしも弟子より優れているとは限らない。」という視点も大切だと思います💡

教える側は、しばしばプライドが高くなり、教わる側を下に見てしまうことがありますが、実際は教わる側のほうが優れているケースや、部分的に優れているケースは多いです。
そういう意味では、先生が生徒から学ぶことも多いと思います。

先生も自分より賢い生徒と出会ったことありますか?

それはもう、しょっちゅうありますよ笑
高校生や大学生の頃の自分と比べて「私は当時こんなに賢くなかったなぁ…」とよく感じます。
また、生徒はみな私が持っていない知識やものの見方を持っていると思っているので、積極的に吸収しようとしています💡

1で話題に挙がった「教えることも貴重な学ぶ機会」と繋がってくる話ですね。興味深いです✨

以上、「理想の教育法とは? 人を育てる立場の人(先生・先輩・上司)に読んで欲しい漢文」ということで紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

私はまだ人を育てる立場にはあまりないですが、将来そのような立場になった時、参考になりそうな考え方が沢山ありました!

是非、教育を学びのチャンスとすると共に、学生や後輩、部下との信頼関係を築いていって下さい!お疲れ様でした!

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