白居易(楽天)の人生・性格・作風・代表作を紹介 山あり谷ありの人生をめいいっぱい楽しんだ詩人

こんにちは。このページでは、白居易(はっきょい)の人生・性格・作品について紹介します。

1、白居易の人生とは?

・字は楽天(らくてん)(天を楽しむ=天が作用するあらゆる物事を楽しむ)。772年~846年。唐代中期の人で、75歳で没する。李白・杜甫より50~60年ほど後に生きた。父は地方官僚。晩年は、仏教を信奉して洛陽の香山寺に通っていたので、「香山居士(こじ)」とも名乗った。

・白居易の生きた時代は、(あん)(ろく)(ざん)の乱の後、地方長官が力をつけ、王朝の統治能力が極端に低下しており、政治的に不安定な時期であった。

【第1期】順風満帆な青年期・壮年期を過ごすも…

鄭州(ていしゅう)(河南省)に生まれるが、父の仕事の都合で符離(ふり)(安徽省)に移り、10~20代を過ごす。800年、29歳の頃、当時最年少で科挙(=現在の国家公務員試験のようなもの)に合格。若手官僚として、都で活躍する。その後、(かん)(りん)学士(=皇帝の勅命を書く学者)や()拾遺(しゅうい)(=皇帝の近くで意見・進言する役職)を歴任。この頃新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)(ばい)(たん)(おう) 苦宮市也((ばい)(たん)(おう) 宮市に苦しむなり)」等の社会問題を扱った詩を作る。また、「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九(八月十五日夜、禁中に独り直し、月に対して元九を憶う)」の中で遠方に赴任している親友の元稹を心配している。

・811年、母が亡くなると、その喪に服するため、役職を辞任し、一族の墓がある下邽(かけい)(せん)西(せい)省)に移る。その頃、故郷の素朴な景色を描写した(そん)()を残す。また、詠慵(ようえい)という詩の中で、精力的に中央で働いていたのと比べ、毎日が退屈であることを詠う。

・814年、喪が明けると、長安で皇太子の教育係に任命される。この頃「白牡丹」という作品の中で、教育係となった自分を、白い牡丹の花に例えて自虐している。翌年、宰相が暗殺されるという事件が起こり、白居易は対策を述べるが、これを越権行為だと見なされ、江州(こうしゅう)(江西省)に左遷される。

【第2期】左遷されてのんびり過ごす

・左遷された江州では、中央官僚への復帰を切望しながらも、仕事以外の私生活も同等に大切であるという価値観を確立する。この頃、香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁五首香炉(こうろ)(ほう)()、新たに山居を(ぼく)し、草堂初めて成る、(たまたま)東壁(とうへき)に題す五首)」を残す。その後、左遷から3年経った819年、かつての罪が許され、忠州(ちゅうしゅう)(四川省)の刺史(しし)(州の長官)に任命され、1年余りを過ごす。

【第3期】中央に復帰するものの…

・820年、都に呼び戻され、知制誥(ちせいこう)(=皇帝の任命辞令書を書く役職)等に任命される。この時、「草堂に別る三絶句(別草堂三絶句)」を作り、しょうがなく中央に戻ると述べつつも、本心では嬉しくてしょうがないというツンデレな自身の心境をのべる。その後さらに昇進し、「中書舍人(しゃにん)」(=詔勅に関する最高責任者)となる。立場を得た白居易は、反乱問題等について政策を述べるものの、皇帝の優柔不断さや、政治的闘争のため中々実行することができなかった。このような状況下、中央で働く意欲を無くした白居易は、杭州(こうしゅう)刺史に命じられると、複雑な心境で長安を去る。

・その後は、地方長官と洛陽(らくよう)での要職を歴任しながら、晩年を過ごす。最晩年には洛陽に定住し、75歳で亡くなる。死ぬ前に達哉白楽天行達せるかな白楽天の(うた))」を作り、自分の人生を褒め称える。

2、白居易の性格・作風とは?

・白居易の性格は、バランス感覚に優れており、人間臭い

杜甫のような社会風刺の詩を作ると共に、陶淵明のような素朴な日常生活を詠った詩も多く遺している。これは、仕事と私生活のバランスを重要視し、人生を大いに楽しもうとする白居易の人生観と密接な関わりを持つ。

・左遷された先を褒め称えたかと思えば、中央に復帰できるとウキウキで戻ったりと、作品からは非常に素直で人間臭い側面が見え隠れする。

・作風は非常に素朴で親しみ深いものが多い

・白居易は、自身の作品(約2900首の詩と770篇の文を収録)を『(はく)()文集(もんじゅう)』としてまとめた。この作品集は、日本においてもよく読まれ、特に平安時代の文学に大きな影響を与えた。この時代最大の漢詩人である菅原道真はもとより、紫式部清少納言ら女性も含めて、多くの貴族が愛読した。

3、白居易の作品を一覧にして紹介!

「新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)」→徴兵されないために腕を折った老人の話。

ばいたんおう 苦宮市也(ばいたんおう 宮市に苦しむなり)」→役人の横暴と民衆の苦しみをリアルに描写する。

「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九(八月十五日夜、禁中に独り直し、月に対して元九を憶う)」→遠く離れた所で働いている親友を心配する漢詩。

詠慵(ようえい)→ひたすら面倒くさい気持ちをうたう。

「白牡丹」→名誉はあるが中身がない役職に就く自分を白い牡丹にたとえて皮肉っている。

「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁五首(香炉(こうろ)(ほう)()、新たに山居を(ぼく)し、草堂初めて成る、(たまたま)東壁(とうへき)に題す五首)」→左遷後の生活を楽しんでいる様子をうたう。

「達哉白楽天行(達せるかな白楽天のうた)」→人生を振り返って自分を褒め称える。

4、役人の横暴と民衆の苦しみをうたう 「ばいたんおう 苦宮市也(ばいたんおう 宮市に苦しむなり)」

【現代語訳】

 (炭を売る老人が、)南山の山奥で木を切って薪にして炭を作っている。顔中が炭の塵や煙で(汚れ)、髪の両サイドは煙のように真っ白、10本の指は真っ黒である。

 炭を売ってお金を手にいれるのはなんのため?それは身につける衣服と口にする食べ物を得るためだ。身につけているのは単衣のペラペラな服でかわいそうだ。炭の値段が安くなるのを心配し、寒くなることを願っている。

 機能の寄るから長安には雪が一尺(約30センチ)も積もった。明け方、炭を積んだ車に乗り、凍った轍をきしませて(城へ売りに行く)。(積み荷を牽く)牛は疲れ、おじいさんもお腹が減って、(着く頃までには)もう日は高く昇っている。

 長安の南門の外、雪が溶けた泥の中で休んでいた。するとカッポカッポと二頭の馬がやってきた。これは誰だ?見れば黄色(の高貴)な服の宦官と白い(身分が低そうな)役人であった。手に文書を持って、「天子のご命令である!」と触れ込み、(おじいさんの)牛に怒鳴りつけて車の向きを変えさせ、北の城門のほうへ向かわせた。車の炭は千斤(約680キロ)あったが、彼らが(炭を)持っていくのをどうすることもできない。

 半疋(約6メートル)の赤い薄絹と一丈(約3メートル)の綾絹を牛の頭にひっかけ、それが炭の値段だと言うのだ。(まったく役人の横暴は酷いものである。)

【原文・書き下し】

伐薪燒炭南山中 薪を伐(き)り 炭を燒く南山の中
満面塵灰煙火色 満面の塵灰 煙火の色
両鬢蒼蒼十指黒 両鬢蒼蒼 十指黒し
売炭得銭何所営 炭を売り銭を得て何の営む所ぞ
身上衣裳口中食 身上の衣裳 口中の食
可憐身上衣正単 憐むべし 身上衣正に単(ひとえ)なり
心憂炭賎願天寒 心に炭の賎(やす)きを憂い天の寒きを願う
夜来城外一尺雪 夜来(やらい)城外 一尺の雪
曉駕炭車輾氷轍 曉に炭車に駕(が)して 氷轍を輾(きし)ましむ
牛困人飢日已高 牛困(つか)れ 人飢えて 日已に高し
市南門外泥中歇 市の南門の外 泥中に歇(やす)む
翩翩両騎来是誰 翩翩(へんぺん)たる両騎 来たるは是れ誰ぞ
黄衣使者白衫児 黄衣の使者 白衫(はくさん)の児(じ)
手把文書口称敕 手に文書を把(と)りて 口に敕(ちょく)と称し
迴車叱牛牽向北 車を迴らし牛を叱して牽きて北に向かわしむ
一車炭重千余斤 一車(いっしゃ)の炭の重さ 千余斤
宮使駆将惜不得 宮使駆(か)り将(さ)りて惜しみ得ず
半匹紅綃一丈綾 半匹の紅綃(こうしょう) 一丈の綾
繋向牛頭充炭直 牛頭に繋けて 炭の直(あたい)に充(あ)つ

【ポイント】

・炭売りのおじいさんが、役人に二束三文で炭を買われてしまうという話。役人の横暴と民衆の苦しみが生々しく描かれている。

・恐らくこの役人達は、安く買いたたいて浮いたお金を自分の懐に入れていたことが予想される。このようないわゆる「ピンハネ」は、現代政治でもしばしば行われていて、問題となっている。

5、面倒くさいという気持ちをあらゆる角度から描写する 「詠慵(ようえい)

【現代語訳】

慵詠(面倒くさいという気持ちを詠う)

 役職があるのだが、面倒くさがりなのでそれに選ばれない。
 田畑はあるが、面倒くさがりなので耕さない。
 屋根に穴が空いているが、面倒くさがりなので穴を覆ったりしない。
 服が破れているが、面倒くさがりなので修繕しない。
 酒はあるが、飲むのが面倒くさい。
 (これでは)酒樽がいつも空っぽなのと同じだ。
 琴はあるけど面倒くさがりなので弾かない。
 陶淵明の琴に弦が無かったのと同じこと。

 家のものが米がなくなったという。
 炊きたいけど精米するのも面倒くさい。
 身内や友だちから手紙が来る。
 読みたいけど、面倒くさがりなので封を切らずに放ってある。
 嵆康(けいこう)は一生面倒くさがりだったらしい。(しかし彼は)琴を弾き鍛冶仕事は行っているわけだから、
 私と比べたらまだ面倒くさがりだなんて言えないな。

【原文・書き下し】

有官慵不選 官有れども慵にして選ばれず
有田慵不農 田有れども慵にして農せず
屋穿慵不葺 屋(やね)穿(うが)てども慵にして葺(ふ)かず
衣裂慵不縫 衣裂くれども慵にして縫わず
有酒慵不酌 酒有れども慵にして酌(く)まず
無異樽長空 樽の長(つね)に空しきに異なる無し
有琴慵不弾 琴有れども慵にして弾かず
亦与無絃同 亦た絃無きに同じ
家人告飯盡 家人 飯の 尽くるを告ぐ
欲炊慵不舂 炊(かし)がんと欲するも慵にして 舂(つ)かず
親朋寄書至 親朋 書(しょ)を寄せて至る
欲読慵開封 読まんと欲するも封を開くに慵なり
甞聞嵆叔夜 甞(かつ)て聞く嵆叔夜(けいしゅくや)
一生在慵中 一生 慵中に在りと
弾琴復鍛鉄 琴を弾き復た鉄を鍛う
比我未為慵 我に比すれば未だ慵と為さず

【ポイント】

・このころ、白居易は母親の喪中であり、仕事をしておらずただただヒマであった。人間、ヒマを持て余すと面倒くさがりになってしまうのだろうか?

・あなたも、夏休みなど長期休暇をひたすら怠惰に過ごし、何もしたくなくなった経験があるのでは?

6、退屈な役職に就く自分を皮肉る 白牡丹(しろぼたん)

【現代語訳】

白い花は冷え冷えと味気なくて人気がないが、
それでも牡丹という美しい名前をもらっている。
ちょうど東宮の白賛善(=白居易自身のこと)が、
いっぱしの役人と呼ばれるのと同じだ。

【原文・書き下し】

白花冷澹無人愛 白き花は冷澹にして人の愛する無きも 
亦占芳名道牡丹 亦た芳名を占めて牡丹と道(い)う
応似東宮白賛善 応に東宮の白賛善
被人還喚作朝官 人に還(ま)た朝官と喚(よ)び作さるるに似たるべし

【ポイント】

・当時「太傅(皇太子の教育係)」という「名誉はあるが中身が乏しい役職」にいた白居易自身の境遇を、「白牡丹」という「一応は牡丹という人気の花だが、あじけがない」存在にたとえている。白居易はもっとバリバリ働きたかったことが予想される。

7、スローライフを楽しむ 香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁五首香炉(こうろ)(ほう)()、新たに山居を(ぼく)し、草堂初めて成る、(たまたま)東壁(とうへき)に題す五首)」

【現代語訳】

 太陽は空高く上がり、十分眠ったのに(なぜか)起きたくない。草堂の小さな部屋で布団を沢山被っているので、寒くない。
 枕を下に半身になりながら遺愛寺の鐘の音を聴き、すだれを上げて香炉峰の雪を見る。
 廬山は承認欲求や利益を求める(浅ましい)暮らしから逃れる地(としてふさわしい)司馬という役職は、老年を過ごす官職としてよい。
 心がやすらかで身体が楽な所が落ち着き場所だ。都の長安ばかりが自分の帰るべき土地ではない。

【原文・書き下し】

日高睡足猶慵起 日高く睡り足りて猶お起くるに慵し
小閣重衾不怕寒 小閣に衾を重ねて寒さを怕れず
遺愛寺鐘欹枕聴 遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾を撥げて看る
匡廬便是逃名地 匡廬は便ち是れ名を逃るるの地
司馬仍為送老官 司馬は仍ほ老を送る官と為す
心泰身寧是帰処 心泰かに身寧きは是れ帰する処
故郷何独在長安 故郷独り長安に在るのみなるべけんや

【ポイント】

・白居易は若い頃からエリートであり、仕事に一生懸命だった。しかし、とある事件から左遷を食らった後、仕事にのみ生きがいを見出すのではなく、プライベートも充実させるという生き方を見出す(恐らく強がりの気持ちもあるが…)。

・『枕草子』第280段の中で中宮が清少納言に「香炉峰の雪はどんなであろう」と質問しているが、これは白居易の「香炉峰下~」を踏まえたものである。よく言えばインテリの会話、悪く言えば知識マウントを取っていて不快?
→この話から、当時の平安貴族の中で白居易の作品がよく読まれていたことが分かる。

8、自分の人生をポジティブに振り返る 達哉白楽天行達せるかな白楽天の(うた))」

【現代語訳】

 よくぞここまで来た。よくぞここまで来た白楽天。(らく)(よう)に勤務して十三年、70歳になってすぐに引退し、給料が半分になる前に退職した。それからは、遊び友達と春の行楽を楽しんだり、山僧に従って坐禅を組んだりして過ごしている。2年も家のことを放っておいたので、家の庭は草が生い茂り、台所には煙もわずか。朝には調理番の子供が塩や米が無いことを告げ、夕方に侍女が服の破れを訴える。妻は私の退職を喜ばず、甥や姪も心配しているが、私は酔っぱらって横になり、良い気分である。

 起き上がってお前たちと(今後の)生計の相談をする。わずかの財産だが、処理には順序がある。まず南側の十()の畑を売り、次に東側の五(こう)の田んぼを売る。その後に、以前住んでいた家を売れば、二三千の金にはなる。半分はお前たちに与えて衣食を整えることに充て、半分は私のものにして酒や肉を買う銭にしよう。

 私はもう71歳、目はかすみ、鬚は白く、頭はぼけている。ただ、この銭を使い尽くさないままに朝露が乾いてしまう前に、あの世へ旅だってしまうことだ。まだ死なないでしばらく生きているのも悪くはない。腹が減っては食べ、楽しんで飲み、気楽に眠るだけ。(今の私は)生きるもよし死ぬもよしの心境だ。よくぞここまで来た。よくぞここまで来た白楽天。

【原文・書き下し】

達哉達哉白楽天 達せるかな 達せるかな白楽天
分司東都十三年 東都に分司たること十三年
七旬纔満冠已掛 七旬纔かに満ちて冠已に掛け
半禄未及車先懸 半禄未だ及ばざるに車先ず懸く
或伴遊客春行楽 或は遊客を伴いて春 行楽し
或随山僧夜坐禅 或は山僧に随いて夜 坐禅す
二年忘却問家事 二年忘却す家事を問うを
門庭多草厨少烟 門庭 草多くして厨に烟少なし
庖童朝告塩米尽 庖童朝に告ぐ 塩米の尽くるを
侍婢暮訴衣裳穿 侍婢 暮に訴う 衣裳の穿つを
妻孥不悦甥姪悶 妻孥悦ばず 甥姪悶う
而我醉臥方陶然 而るに我醉臥して方に陶然たり
起来与爾画生計 起き来たりて爾と生計を画す
薄産処置有後先 薄産 処置に後先有り
先売南坊十畝園 先ず売らん 南坊 十畝の園
次売東郭五頃田 次いで売らん 東郭 五頃の田
然後兼売所居宅 然る後に兼ねて居る所の宅を売らば
髣髴獲緡二三千 髣髴たり 緡を獲ること二三千
半与爾充衣食費 半ばは爾に与えて衣食の費を充たし
半与吾供酒肉銭 半ばは吾に与えて酒肉の銭に供せん
吾今已年七十一 吾今已に年七十一
眼昏鬚白頭風眩 眼昏く鬚白く頭風眩す
但恐此銭用不尽 但だ恐る 此の銭用い尽くさざるに
即先朝露帰夜泉 即ち朝露に先んじて夜泉に帰らんことを
未帰且住亦不悪 未だ帰らず且らく住するも亦た悪しからず
飢餐楽飲安穏眠 飢えては(くら)い楽しみて飲み安穏に眠る
死生無可無不可 死生は可も無く不可も無し
達哉達哉白楽天 達せるかな達せるかな 白楽天

【ポイント】

・白居易が最晩年にうたった作品。特に「(今の私は)生きるもよし死ぬもよしの心境だ。」という描写が興味深い。これは、荘子が述べる「万物斉同」という考え方であり、「生も死も分け隔て無く肯定的に捉える」という1つの境地である。
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