墨子(ぼくし)の兼愛(けんあい)について解説! 究極の愛の形とは?

1、墨子はどんな人物? 基礎情報を紹介

・本名は墨翟(ぼくてき)。およそ前四六〇年~前三七〇年程の人と推定されている。諸子百家の中に位置づけると、孔子の死後頃に生まれ、孟子の生まれる頃に亡くなった人である。

・墨子の人生には不明な点が多い。出身国は()(そう)()など諸説あるが、孔子と同じ魯出身だという説が有力である。墨子は、若い頃に儒家に学んだとされるが、その考えに疑問を感じ、自らの集団を形成し、自身の思想を実現するため精力的に活動した。

・墨子の性格は、その思想から推察するに、「ストイック・理想主義者・実践主義者」だとすることができる。

・『墨子』は、墨子及びその学派の思想をまとめた書籍。その他、守城のための技術や道具について解説する。文章は平易だが、非常に長く切実な内容が多い。

2、墨子の兼愛の思想を紹介!

 試しに、混乱がどのような原因から生じてくるのか考えると、相互に愛し合わない所から発生している。臣下や息子が忠実・孝行でないのは、世間で言う混乱の一つである。息子は自分だけを愛して父を愛そうとしない。そこで父に損害を与えて自己の利益を計る。(中略)君主は自分だけを愛して臣下を愛そうとしない。そこで臣下に損害を与えて自己の利益を計る。

 世間で盗賊を働く者の場合でもそうである。盗賊は我が家だけを愛して、他人の家を愛そうとしない。(中略)大夫はそれぞれ自分の家だけを愛して、他の家を愛そうとしない。(中略)諸侯は自国だけを愛して他国を愛そうとしない。(中略)世界中のあらゆる種類の混乱は、いずれも互いに愛し合わないことが原因で発生しているのである。

 もし天下中の人々に、自己と他者とを区別せずに愛し合うようにさせたなら、国家と国家は互いに攻めず、家と家は互いにいがみ合わず、盗賊もなくなり、君主と臣下や父と子の間も、全て円満な関係となるだろう。このようであれば、間違いなく世界中が安定する。(兼愛上)

ポイント
・墨子は、世の中から争いが生まれる原因を「互いが互いを愛し合わないから」とし、自分を愛するように他者も愛すれば、確実に世界平和が果たされると主張する。
→これは確かにそうではあるが、実際には難しいか?あなたは、無差別に愛情を注ぐことができますか?家族や親友・恋人と赤の他人の間に、愛情のランクを付けずに愛せますか?

3、墨子の愛と孔子の愛を比較

・墨子は、間接的に孔子が重視する孝のような家族愛を批判している。孔子を含めた儒家は、「両親への孝→他者へ仁を広げる→他国へ仁を広げる→世界へ仁が溢れ平和になる」のように考える。しかし、現実問題で考えた場合、これは難しい。

・なぜなら、儒家の孝・仁は、本質的に差別愛に基づくからである。「親孝行しろ」というのは、「親と親以外との間で愛の差別を設ける」ことを間接的に意味する。また、親は我が子を大事にするが、それは「我が子と他の子の間に愛の差別を設ける」ことを間接的に意味する。愛が暴走するケースや、他者との兼ね合いが上手くいかず、問題となるケースは多い。
(例)モンスターペアレント・癒着や汚職・貧困・競争・戦争…

Q:あなたは、「誰かを優先した結果、他者との軋轢が生まれたこと」がありますか?ある場合、それはどのようなシチュエーションですか?
(例)恋人を優先した結果、友だち付き合いが悪くなり疎遠になってしまった。
(例)自国民を優先した結果、他国に攻め込み沢山の人を傷付けてしまった。
→ある場合、それは愛情にランクを付けた結果のデメリットを受けていることになります。(そして、だからこそ墨子は儒家のような愛情を批判します。)

墨子の愛について
メリット→実現できれば、真の世界平和が訪れる?
デメリット→実現が極めて困難。
     →「身近な人間を大切にしたい」という人間の普遍的な感情を殺す必要あり?

孔子(儒家)の愛について
メリット→はじまりが身近(=親孝行)なので、実践しやすい。
デメリット→モンペなど、特定の対象にのみ愛情が偏るケースあり。
     →偏らないように気を付けていても、結局両立できなくなってしまうケースもあり。

4、墨子の活躍エピソードを紹介!

 公輸盤(こうしゅはん)が大国である楚の国のために(うん)(てい)(攻城兵器。公園にあるあの雲梯とは異なる。)を完成させ、小国である(そう)の国を攻めようとした。墨子はこれを聞いて、日夜休むことなく十日十夜歩いて()の都へ到達し、公輸盤に会見した。公輸盤が言った。「先生は私に何をおっしゃるのですか?」と。墨子が言った。「北方に私を侮辱する者(=宋を攻めている楚の軍隊)がいます。あなたの手を借りてこれを殺したいものです。」

 公輸盤は不快げであった。墨子が言った。「金はいくらでも出すので軍を引いてもらえないでしょうか?」と。公輸盤が答えた。「私は正当性のない理由で人を殺すことはありません。」と。墨子は立ち上がり、再拝して言った。「私は北方にあって、あなたが雲梯を造って宋を攻めようとされているのを聞きました。宋に何の罪があるのでしょうか?楚の国は土地が余るほどあり、人民は不足しています。不足している人民を殺し、余っている土地をわざわざ奪おうとするのは、知(=賢い行動)とは言えません。宋には罪がないのに攻めるのは、仁とは言えません。あなたはこのことを知っていながら、王に指摘しないのは、忠義があるとは言えません。仮に指摘して王に聞き入れられないのは、優れた人とは言えません。あなたは正当性のない理由で人は殺さないと言いながら、戦争によって罪のない大人数を殺そうとしています。あなたは物事の本質を分かっていません。」と。

 公輸盤は墨子の説得に応じた。墨子が言った。「ならばなぜ今すぐ侵攻を中止しないのですか?」と。公輸盤が答えた。「できません。既に宋への侵攻を王に伝えてしまったのです。」と。墨子が言った。「ならば私を楚王に会わせて下さい。説得します。」と。

 墨子が王に謁見して言った。「今ここに人があって、自分の持っている豪華な乗り物を捨て、隣の家にボロボロの乗り物があるとこれをわざわざ盗もうとします。また、自分の立派な服は捨て、わざわざ隣の家の粗末な服を盗もうとします。また自分の美味しい食事を捨て、わざわざ隣の家の粗末な食事を盗もうとします。この人は、どのような人だと思いますか?」と。楚王は答えた。「必ず盗み癖のある人だろう。」と。

 墨子が言った。「王の国の領土は五千里四方(一里=約400m。2000km×2000km=400万km2。日本国土が約377km2でだいたい同じ大きさ。)である一方、宋は五百里四方(=4万km2。北海道が約8万km2なので、その半分くらい)です。この違いは、先程申し上げた「豪華な乗り物」「立派な服」「美味しい食事」と「ボロボロの乗り物」「粗末な服」「粗末な食事」のようなものです。王が宋を攻めるのは、後者をわざわざ奪うことであり、また盗み癖のある卑しい行為です。私には、王が必ず信義を失い、かつ宋を得られないことが分かるのです。」と。

 王が言った。「おっしゃる通りである。しかし既に部下の公輸盤が私のために雲梯を作り、宋を奪おうとしているのだ。」と。そこで墨子は王の前で、再度公輸盤と話した。墨子は身につけている帯を解いて城の形を作り、小さい木材で城郭を作り、二人で模擬戦を行った。公輸盤は九回攻城を試みたが、墨子によって全て防がれた。公輸盤自慢の雲梯を使い果たしたが、墨子の防御には余裕があった。公輸盤は降参したものの、こう言った。「私はあなたの防御を崩す手段を知っているのですが、言えません。」と。墨子は答えた。「私もあなたのその手段を知っているのですが、言えません。」と。

 楚王はその理由を墨子に尋ねた。墨子が答えた。「公輸盤の「手段」とは、私をこの場で殺そうとすることなのです。私を殺せば、宋の防御が不可能となり、侵攻が成功すると考えたのでしょう。しかし、既に宋には私の弟子三〇〇人が、守城用の器具を用意し、攻撃に備えています。私を殺しても意味はありません。」と。楚王が言った。「なるほど。でしたら宋を攻撃するのは止めましょう。」と。

 墨子は大役を果たし、交渉のみで弱国である宋を救った。その後、雨宿りをするため、宋のとある村に立ち寄り、門に向かった。しかし門番に不審者扱いされ、追い出された。このような言葉が古語にある。「誰も予想できないうちに危機を予測し防ぐ人間は、一般人に評価されない。表だって危機に立ち向かう者は、(大した実績が無くとも)一般人に評価される。」と。(公輸篇)

→墨子の兼愛の精神がよく表れたエピソードか。墨子の守城技術だけでなく、弁舌も光る。
→墨子の守城技術が高かったことから、後世「墨守(=堅く守ること)」という言葉が生まれた。

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