漢文(中国史)において強い絆を築いた関係 4選

ポイント

  • 漢文において、強い絆で結ばれている関係として、「管仲と鮑叔牙(管鮑の交わり)」「智伯と予讓(士は己を知る者の為に死ぬ)」「藺相如と廉頗(刎頸の交わり)」「羊祜と陸抗(羊陸の交わり)」の関係が上げられる。
  • 「管仲と鮑叔牙」は、管仲が何度失敗しようとも、鮑叔牙が管仲のことを評価していた点で特徴的。人付き合いで大切なのは、「1度信じたら絶対に疑わないこと」?
  • 「智伯と予讓」は、自分を評価してくれた人に最大限報いるという予讓のスタンスが特徴的。「自分を大切に思ってくれている人のために何かしたい」と思うことは、現代の我々でもよくあること?
  • 「藺相如と廉頗」は、正反対な2人が同じ目的に向かって力を合わせるという点で特徴的。
  • 「羊祜と陸抗」は、敵同士にも関わらず、お互いをいたわり、切磋琢磨するという点で特徴的。
  • 一方、張耳と陳余のように、一旦は固い友情で結ばれていても、壊れてしまうケースも見られる。

こんにちは。本日は、「漢文における友情を築いた関係 4選」ということで紹介します!

ちなみに、漢詩における友情を詠った作品については、下のページにまとめてありますので、こちらも合わせてどうぞ!

友情は身近なテーマなので面白そうです✨

実際、興味深い友情がいくつもありますよ!それぞれ紹介させてもらいます💡

1、管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)の友情 「管鮑の交わり」

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1、管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)の友情 「管鮑の交わり」

管仲は、若い頃から鮑叔牙と友だちであった。鮑叔牙は、管仲が非常に優秀であることを知っていた。

管仲の家は貧乏で、鮑叔牙と商売する時には、いつも彼を出し抜いて儲けを多く得ていた。しかし鮑叔牙は、常に管仲に対して善意を持って接し、彼を責めることはなかった。

時は流れ、2人はそれぞれ異なる人に仕えたものの、それぞれが戦う形になってしまった。結局、鮑叔牙が仕えた側が勝利し、管仲の側は負け、管仲は牢屋に入れられてた。

鮑叔牙は、自分の主に管仲を推薦し、一国の政治を任された。その後、国は大いに栄えた。

管仲はこのように述べた。「私がかつて貧困に苦しんでいた時、鮑叔牙と共に商売し、自分の取り分を多くしたが、鮑叔牙は私を非難することは無かった。私が貧しいことを知ってくれていたからだ。

私が鮑叔牙の名声を高めるためにとある計画を立て、結果的に大失敗をしてしまったが、鮑叔牙は私を愚かだと責めることはなかった。物事の成功・失敗には時の運があることを知ってくれていたからだ。

私は、3人の主に仕えて3度ともクビになった。しかし、鮑叔牙は私が愚かだと言わなかった。私が不運であることを知ってくれていたからだ。

私は、3度の戦いで3度とも逃げたことがある。しかし、鮑叔牙は私は臆病だとは言わなかった。私に年老いた母がいることを知ってくれていたからだ。

私が仕えた主が敗れ、捕まって罪人の辱めを受けたとき、鮑叔牙は私を恥知らずと非難することはなく、逆に推薦してくれた。私が小さなことにこだわらず、天下に名をとどろかすほどの功績を挙げていないことこそ恥としていることを知っていてくれたからだ。

私は両親から生まれたが、私を本当に知ってくれているのは、鮑叔牙だけだ。」と。

『史記』管晏列伝より一部を抜粋・抄訳。

貧乏で何度失敗しても自分の才能を疑わなかった管仲もすごいけど、それを全面的に信じる鮑叔牙も凄いですね…✨中々こんな関係を結ぶことはできないと思います💦

残念ながら、友情とは些細なきっかけで壊れることが多いですからね。仲違いしたり、幻滅したり、疎縁になったり…。だからこそ、この2人の関係は、本当に珍しく、また憧れる関係なのだと思います✨

確かに…仲が良かった友だちと些細なきっかけで言い争ったり、別々の進路になって疎縁になったりして、関係が壊れたり薄くなることは多いですね💦

もちろん、ケンカしても仲直りしてより強くなる友情もあれば、遠く離れても変わらない友情もありますけどね💡

なんか、管仲と鮑叔牙の関係を見ると、人付き合いで大切なのは、「1度信じたら絶対に疑わないこと」って気がします

確かにそうだと思います。まぁこれがべらぼうに難しいんですが…笑
1つの理想ではありますよね✨

「私は両親から生まれたが、私を本当に知ってくれているのは、鮑叔牙だけだ」と言えるだけの関係を築いてみたいものです💡

憧れます✨それには、他人を知る努力と技術を身につけないといけないですね!

それはそうだと思います。一方で、むしろ盲目的・博打的に信じたほうが、案外うまくいくかも…人間を分かることなど、不可能に等しいような気もしますし。

えぇ…💦一理あるのかもしれませんが、私は諦めずに頑張ります!

それもまたよいでしょう!!なお、管仲と鮑叔牙の関係は、「管鮑の交わり」という成語として定着し、固い友情のたとえとして今でも用いられます💡

2、智伯(ちはく)と予讓(よじょう)の君臣関係を越えた強い絆 「士は己を知る者の為に死す」

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2、智伯(ちはく)と予讓(よじょう)の君臣関係を越えた友情 「士は己を知る者の為に死す」

予讓は、かつて数人に仕えたが、才能を認められることはなかった。一方、智伯に仕えた所、非常に尊重された。その後、智伯は趙襄子(ちょうじょうし)を攻めたが、逆に滅ぼされてしまった。

予讓は、山の中へ逃げ、「立派な男は、自分の価値を分かってくれる人のために命を尽くし、女は自分を好きでいてくれる人のために化粧をする(士は己を知る者の為に死し、女は己を説(よろこ)ぶ者の為に容(かたちずく)る)」という言葉がある。

智様は私にとっての真の理解者だった。私は、智様の仇を討って死のう。そうして智様の恩に報いれば、私の魂も恥をかくこともないだろう。」と考えた。

そこで予讓は、受刑中の罪人になりすまし、復讐相手である趙襄子の屋敷で便所の壁塗りの仕事をした。あるとき、仇討ちの機会が訪れたが、趙襄子に感づかれ、捕らえられてしまった。

趙襄子は、「この者は立派な男だ。智伯には跡継ぎもおらず、報いる生者がいるわけでもないのに。私が今後気を付けることにして許そう。」と述べ、予讓を解放した。

しばらく経った後、予讓は身体に漆(うるし)を塗ってハンセン病のふりをし、炭を飲んで声を変えた。試しに、市場で元妻に物乞いをしてみると、妻は気付かなかった。

一方、予讓の友人に会った時、友人は気付きこう言った。「君ほどの才能があれば、趙襄子に仕えても目をかけてもらえるだろう。そうすれば、君の復讐という望みも簡単にできるではないか。どうして身体を傷つけてまで復讐しようとするのか。そのほうが困難ではないか。」と。

予讓はこう答えた。「いったん部下として仕えたにも関わらず、仕えた相手を殺そうとするのは、智様への忠義を損なってしまうことになる。確かに、私のやり方はひどく困難を伴う。しかし、このような方法で復讐を目指すのは、世の中の薄情で恩義も知らず、利害のみで関係を築いている者たちに、恥を教えてやるためだ。」と。そして去ってしまった。

その後、予讓は趙襄子が外出することを知り、彼が通る橋の下で待ち伏せし、機会を窺っていた。しかし、殺気を馬に感づかれてしまい、またもやばれてしまった。

趙襄子が予讓に問いかけた。「お前は、前に仕えていた者へは仇を討つようなこともせず、むしろその仕えていた者を滅ぼした智伯に仕えた。しかしなぜ今、智伯のためにそこまでして仇を討とうとするのだ。」と。

予讓は答えた。「前に仕えていた主は、私は並みの人間として対応を受けた。だから私も、人並みに仕えました。一方、智様は、私をとても優れた人物だとして最大限の待遇して下さった。だから私は、それに報いられるような仕え方をするのです。」と。

趙襄子は深くため息をつき、涙を流して言った。「予どの、あなたの言い分は良く分かった。しかし、私はあなたを1度許している。今度は許すことができない。」と。そして、予讓を兵士に囲ませた。

予讓は言った。「あなた様はかつて私を逃がして下さり、既にその英明さは天下にとどろいております。もちろん死罪を受けます。しかし最期に、あなた様の上着をいただき、それを斬ることで、仇討ちとさせていただけないでしょうか。」と。

趙襄子はこれを許し、上着を予讓に与えた。予讓は剣を抜き、上着を斬って言った。「これで智様にご報告できる!」と。続いて剣で自分を貫き、自殺した。

『史記』刺客列伝より一部を抜粋・抄訳。

けっこう長いけど、面白い話なので一気に読めました!これは友情というより君臣関係ですが、予讓の智伯への気持ちは、友情以上の強さがある気がします💡

確かに、予讓と智伯の関係は君臣関係なので、今回のテーマとは少しずれている気がしますね💦でもどうしても紹介したかったので、紹介しました!

友情も君臣関係も同じ人間関係なので、通じている部分もあると思います✨

その通りだと思います。特に、「立派な男は、自分の価値を分かってくれる人のために命を尽くし、女は自分を好きでいてくれる人のために化粧をする(士は己を知る者の為に死し、女は己を説(よろこ)ぶ者の為に容(かたちずく)る)」という言葉と、1の管鮑の交わりを見て共通点がありますね。

それは「人間は自分を評価してくれる者との間に強い絆を感じる」ということでしょう。マオさんは心当たりがありますか?

これは分かります!自分を凄いと思ってくれている人との関係は、大切にしようと思います✨まぁ予讓みたいに仇討ちはしないと思いますが…笑

仇討ちはさすがにやりすぎかもしれませんが、予讓のように「自分を大切に思ってくれている人のために何かしたい」と思うことは、割と多くの人が考えたことがありそうですし、端から見ても心を惹かれるのではないでしょうか

君臣のような上下関係(例:先生と生徒/先輩と後輩/親と子)に限らず、友人や恋人など、色んな関係でありそうなので、予讓の気持ちが分かる人は多そうです✨

これを機に、自分を褒めてくれる人や大切に思ってくれている人に対し、改めて感謝してみるのもよいでしょう💡

そうですね✨でも、単なる利害で褒めたり大切にしているだけの関係も多い気がします💦

鋭いですね…💦
それは多いと思いますし、実際の人間関係の大半は、純粋な気持ちや自分の損得を計算する気持ちが入り混じっているのでしょう。その点、予讓には自分の損得で動いていない?ので、特別な気がします💡

この話は、自分の人間関係を色んな視点で見るきっかけになるから面白いです✨

3、廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)の凸凹コンビな友情 「刎頸(ふんけい)の交わり」

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3、廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)の凸凹コンビな友情 「刎頸(ふんけい)の交わり」

廉頗は趙の勇将であり、数々の功績を立て、天下に名が知れ渡っていた。藺相如は、同じく趙の人であり、繆賢(びゅうけん)に仕えていた。

あるとき、名玉として名高い「和氏(かし)の璧(へき)」が手に入った。それを聞いた強国秦の昭王は、「城15個とその璧を交換したい。」と申し出た。

趙ではこの話について協議をしたが、この交換条件を飲んだとしても、秦は自国の力をかさに城を渡さない可能性があり、飲まなかったらそれを口実に攻められる可能性があったため、判断が難しかった。また、秦へ返答しにいく使者も適任が見つからなかった。

繆賢がこう進言した。「私の部下に藺相如という者がおり、勇気があり頭も回ります。使者の役にうってつけです。」と。趙王は藺相如を呼び出し、この問題について意見を聞いた。

藺相如はこう答えた。「秦の提案を飲まなければ、こちらに非がありますが、提案を飲んだにも関わらず、城を渡さないのであれば、秦に非があります。後者を選ぶべきでしょう。」と。

また趙王は、使者の適任について藺相如に質問した。藺相如はこう答えた。「適任がいないのでしたら、私が使者として秦へ向かいます。提案通り城が手に入るのであれば、璧を秦に渡して帰りますが、もし秦が城を渡さないのであれば、璧は必ず持って帰ります。」と。これを聞いた趙王は、藺相如を使者として秦へ向かわせた。

藺相如は、璧だけを奪って城を渡そうとしない傲慢な昭王と互角にやり合い、無事璧を趙まで持って帰った。この功績により、藺相如は昇進した。

また後年、趙と秦を戦争し、趙が敗れた。その後、秦から講和を結びたいとのことで、趙王が呼び出された。藺相如はこれに同行し、趙王を臣下として扱おうとする秦の昭王の言動をうまくいなし、無事講和を終えることができた。この功績により、藺相如は、廉頗より格上の上卿(じょうけい)へと出世した。

廉頗は言った。「私は趙の大将として、これまで数々の功績を打ち立ててきた。しかし藺相如は口先だけで私の上の位にいる。また藺相如は元々身分の低い生まれだ。あんな奴の下にいることなどできぬ。今度藺相如に会ったら、辱めてやる。」と。

藺相如はこの噂を聞き、廉頗と顔を合わさないようにし、出かけた先で廉頗と会おうとすると、隠れてやりすごした。

この様子を見た藺相如の家来は、藺相如が恥知らずで腰抜けということで、彼の召使いを辞めようとしていた。

そこで藺相如は言った。「私はあの秦の昭王と対等に渡り合った男である。廉頗将軍ごときを恐れている訳ではない。ただ、強国秦が趙に手出しをできないのは、私と将軍がいるからである。もし我々が争えば、どちらかが欠けてしまうしまうだろう。それでは趙が危険にさらされてしまう。私は国家のことを優先し、自分の恥を後回しにしているのである。」と。

これを人づてに聞いた廉頗は、藺相如のもとへ向かって心から謝罪した。「性根がいやしい私を、あなた様はこれほどまで心広く配慮下さっていたことを知らずにおりました。」と。その後2人は、心置きなく話し合い、お互いのためなら首をはねられてもよいという契り=刎頸の交わりを結んだ。

『史記』廉頗・藺相如列伝を一部抜粋・抄訳。

賢くて冷静な藺相如と、武勇があって直情的な廉頗は対照的で、本当に凸凹コンビですね。

一方で、お互い優秀で国のために尽くしているという共通点もあるからこそ、結果的に「刎頸の交わり」を結んだのだと思います✨

李白と杜甫もそうですけど、正反対な部分が多い2人がたまに親友になることがありますよね。自分と似た性質や価値観の人を仲良くするのが自然なのに、面白いです✨

というか、この2人ってキングダムにも出てきてますよね?2人の関係までは描かれていなかったので、なんだか新鮮です💡

藺相如は回想のみ登場で、部下が出てきていましたね。廉頗はがっつり出てきていますね💡このエピソードの時代は、キングダムの時代より少し前の話です。

少しメタ的な話をすると、この話で分かるように、史実では始皇帝の時代より前の時点で圧倒的に秦>趙(を含む他国)だったため、キングダムで描かれてる力関係は、けっこうフィクションの要素が強い部分があります💡

キングダムだと、他国にすごく苦戦しつつなんとか勝ったりしてますもんね💦
この話で出てくる秦とは大分印象が違って面白いです✨

4、羊祜(ようこ)と陸抗(りくこう)の敵味方を越えた友情? 「羊陸の交わり」

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4、羊祜(ようこ)と陸抗(りくこう)の敵味方を越えた友情? 「羊陸の交わり」

羊祜は晋(しん)国の名将であり、隣国であった呉との国境付近に赴任していた。呉と戦うときはいつも、期日を定めて正々堂々と戦い、敵の不意を突くような策略を立てることは無かった。

部下が、相手を欺くような作戦を伝えようとすると、強い酒を呑んで酩酊状態になり、進言させないようにした。

ある者が呉の二人の子供をさらってきて捕虜としたが、羊祜は彼らを自宅に送り帰らせた。その後、呉の将軍が降伏してきたとき、かつて送り返した子どもの父も、その恩義に感化され、一族を引き連れて降伏した。

とある呉の将軍が侵攻してくると、羊祜は彼らを斬った後、大いにその節義をたたえ手厚く弔い、遺体も丁重に親族へ返した。

とある呉の将軍が晋の領土を占領すると、羊祜はその将軍を生け捕りにした後、これを許してやった。その将軍は、恩に深く感じ入り、私兵を引き連れて降伏した。

羊祜は呉へ侵攻する際、呉の地域の穀物を刈り取って兵糧としたが、後日その穀物に見合う絹を呉へ送った。

こうして呉の人々はみな羊祜の人徳を誉めて「羊公」と称し、名前を呼ぶことはしなかった。(当時、本名呼びは失礼であり、名前を呼ばないだけで敬意を示すことになった。)

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羊祜は呉の名将である陸抗と対峙し、やりとりをしていた。その中で陸抗は、羊祜の人間性の大きさを称え、楽毅(がっき)・諸葛孔明(しょかつこうめい)よりも優れていると絶賛した。

陸抗がかつて病気になったとき、羊祜は陸抗に薬を贈った。周りの者は、その薬が危険だとして、陸抗に服用をやめるよう勧めたが、陸抗は「あの羊祜どのが私を毒殺することなどあり得ない。」と言い、信じて疑わずに服用した。

陸抗はことあるごとに兵士に伝えた。「相手が道徳的に振る舞い、味方が不道徳なことばかり行なっているのであれば、戦わずに負けを認めてしまっているようなものだ。各々が持ち場を守ることに専念し、利益を貪ってはならない。」と。

呉の君主であった孫晧(そんこう)は、晋と呉の国境が友好関係であったことを聞くと、これを陸抗に問いただした。

陸抗は言った。「対立関係にあったとしても、私がもし晋に対する信義を守らなければ、結果的に相手の優れた振る舞いを顕彰することになり、相手が得することになるでしょう。」と。

『晋書』羊祜伝より一部抜粋・抄訳。

これは、敵同士の友情ということで、これまでの友情とはまた別ですね💡上杉謙信が武田信玄に塩を送ったエピソードを思い出しました!

上杉と武田の話は後世の創作みたいですけどね…💦

本当ですか?💦なんかショック💦

あるいは、この羊祜の陸抗への気遣いも、打算なのかもしれません…
そのあたりは明確でないですが、少なくとも、利害や立場を越えた友情というのは、成立しづらいのは確かです。敵の立場ならなおさら難しいです。

もしくは1で先生が言ったように、「純粋な気持ちや自分の損得を計算する気持ちが入り混じっている」ケースかもしれませんね💡

そうかもしれません。
ところで、「敵同士なのに仲が良い人たち」って、現代だとどのようなケースが当てはまりますかね?

同じスポーツをしていてライバルだけど仲が良い人たちはどうでしょう?
あとは、漫画だとこんな関係は多い気がします。悟空とベジータとか、ディオとジョジョ(一部)とか、桜木と流川とか、ナルトとサスケとか、遊戯と海馬とか💡

少年漫画詳しすぎでびっくりしました笑!
しかし、挙げて下さった関係は、ライバルだけど切磋琢磨して最終的にお互いを認め合ている部分もあるって感じで、この羊祜と陸抗の関係に近いのでは?

5、(番外篇)友情が壊れてしまった人たち 陳余と張耳 

以上、友情や強い絆で結ばれている関係を4つ紹介してきましたが、一方で1度は固い友情を誓ったものの、結果的に結びつきが切れてしまった関係もご紹介します💡

まずは、陳余(ちんよ)と張耳(ちょうじ)です。彼らは、秦末の項羽と劉邦の時代に生きた人々です。2人は互いを認め合い、藺相如と廉頗の関係に倣って「刎頸の交わり」を結びます。

2人もそれほど強い絆で結ばれていたんですね!

そうですね。実際、彼らは秦からお尋ね者として指名手配された頃、張耳が陳余を叱ったり、共に手柄を立てたりしています。

しかし、共に秦と戦っている際、張耳が陳余の援軍を出し渋り、それが陳余を怒らせます。「どうして援軍を出してくれないのか!」と。しかし、張耳には張耳の言い分があります。彼の率いる兵は少なく、援軍に行っても仕方が無いと思ったからです。

張耳は薄情なのか冷静なのか、判断に迷う所ですね💦

結局この件がきっかけで2人は仲違いし、後に張耳が陳余より高い地位を得ると、陳余は恨んで張耳を攻めます。

一緒に頑張ってきたのに、結局は殺し合うなんて…なんだかショックです💦

むしろ、1から4で紹介してきた関係が珍しいのだと思いますよ。先程も述べたとおり、友情は些細なきっかけで壊れやすいものです。それこそ、張耳と陳余のように。

そうですね…これを反面教師にして、今自分が築いている関係を大切にできれば良いなぁ…

以上、「漢文における友情・強い絆を築いた関係 4選」ということで紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

番外篇を含めて、自分が持つ友人関係や、友情について深く考えることができました。ありがとうございました!

よかったです。ちなみに、「伯牙と鍾子期(知音)」や「孫策と周瑜(断金の交わり)」も友情を築いた関係なので、よかったら調べてみて下さい!お疲れ様でした。

1 COMMENT

匿名

上杉謙信は創作にされてますが、商人が塩を売る通商は止めないと言うお話ですね
塩は送らないけど、商売の塩の規制はしたら民が困るからやらない。創作が斜め上なだけで史実的には間違いないお話ですね

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