ポイント
- 隠者とは、「才能はあるが、金や社会的地位を求めず、人間同士のしがらみを避け、人里離れた所(山など)で自給自足して悠々自適に生きる人」を指す。
- 中国社会において、隠者は高潔な生き方をしている人として尊敬され、時に立身出世している人より評価された。
- 隠者の考え方の根本には、「人間or社会に関わりすぎると、様々な欲に振り回されたり、周りと比較して落ち込んだりして、メンタルに良くない」というものがある。
- 隠者の生き方を現代風に表現すると、「めちゃくちゃ頭が良いのに田舎の古い一軒家で自給自足しながらひっそりと生きる」「仕事はフリーランスでなるべく人と深く関わらないように最低限稼ぎ(ネットビジネス系か?)、自分の時間を大切にする」といった所か。
- 「漱石枕流」の話は、隠者の思想が根本に存在する。
- 隠者の思想は、うまくいかない自分を正当化する際、とても都合のよい存在で、漢詩にもよく登場する。「そもそも立身出世に大した価値がない!」のように自分を慰めることができる。
1、隠者とは?
こんにちは。本日は、隠者(いんじゃ)についてご紹介でします。
先生こんにちは。隠者って何ですか?
隠者とは、才能はあるが、金や社会的地位を求めず、人間同士のしがらみを避け、人里離れた所(山など)で自給自足して悠々自適に生きる人を指します。
引きこもりってことですか?それともニート?
似ていますが、少し異なります。まず、隠者は引きこもりとは異なり、中国社会で非常に尊敬されました。
確かに、引きこもりは適切ではない状態だとされていますね💦でも、なんで隠者は尊敬されていたんですか?
大きな理由としては、隠者はその気になれば社会で大きく活躍できる能力を持っているのにもかかわらず、あえて社会から離れているからです。それだけ高潔ということです。
「俺はまだ本気を出していないだけ」ってことですね。ますます現代の引きこもりっぽいです笑。でも、「すごい才能を持っているのに」ということが大きく違いますね✨ちょっとかっこいいかも。
隠者の考え方の根本には、「人間or社会に関わりすぎると、様々な欲に振り回されたり、周りと比較して落ち込んだりして、メンタルに良くない」というものがあります。だから、あえて社会と距離を取るわけですね。
確かに、他人と関わると誰かをうらやんだり妬んだり比べたりして、病んじゃうことはありますね💦「どうして私だけ…」みたいになることは多いです💦
SNSが発達した現代だとなおさらそうですね。SNSによって、有益な情報を簡単に得られるのは良いことです。一方で、「自分と他者をより比較でき、劣等感などの負の感情を気軽に得られるようになってしまった」というマイナスの側面はあります。
なるほど…そう考えると、隠者の生き方は一理あるかもしれません。現代で言うと、どんな風な生き方ですか?
そーですねぇ…「めちゃくちゃ頭が良いのに田舎の古い一軒家で自給自足しながらひっそりと生きる」「仕事はフリーランスでなるべく人と深く関わらないように最低限稼ぎ(ネットビジネス系か?)、自分の時間を大切にする」といった所でしょうか?
キャラ濃いなぁ…笑
なお中国では、①才能を発揮してバリバリ働く生き方と、②才能があるにも関わらず、あえてそれを発揮せずにノビノビと過ごす生き方、両方が尊重されていました💡
①と②って全く逆じゃないですか?変なの💦
不思議ですよね。一見矛盾していても両存しています。しかし、元々人間は多分に矛盾した存在なので、ある意味自然なことだと思います。
マオさんは、ダイエット中にお菓子を食べたことはありますか?
それはもう、毎日のようにあります笑
「ダイエット中にお菓子を食べる」、これは明らかに矛盾しています。痩せたければお菓子を食べるべきではないですし。でも人間はやってしまいます。これと同じで、中国における理想の生き方も、それぞれが矛盾する場合があるのでしょう💡
2、隠者の生き様 許由・荘周・東方朔
先生の解説で、少しずつ隠者について分かってきました。でも、隠者ってすごくもったいな人材だと思っちゃいます。東大院卒なら、絶対社会で凄い活躍ができそうなのに…💦
ナナさん良いところに気付きましたね✨そうなんですよ。中国の歴代君主も、隠者をどうにか政治に参加させようと、スカウトすることがよくありました。
へへへ…照。結局、そのスカウトは成功するんですか?
残念ながら、ほとんどの場合で成功しません笑。「君主が隠者に良い条件でスカウトするが、隠者が断る」というのは、隠者が登場する漢文あるあるです。是非抑えておきましょう。
まずは、許由(きょゆう)という人について知っていきましょう💡
支配者の位は汚らわしい? 許由(きょゆう)の生き方
あるとき、優れた君主として知られている堯(ぎょう)は、許由の評判をきき、自分の後継者になって欲しいとお願いした。
すると許由は、これを恥として汚らわしく思い、そばにある川で耳を洗い始めた。その後、山に隠れて過ごした。
この話では、「支配者の位を誘われる=恥で汚らわしいこと」という、独特の価値観が見られます💡
普通、優れた支配者から後継者に指名されたら、すごく嬉しくなったり、誇らしくなったりしたくなりませんか?💦
なのに、許由は真逆の反応ですね。ていうか、川で耳を洗うって、斬新なあおりでもありますね笑
斬新っていうか、めっちゃ昔の話なんですけどね笑。
あと、確かにあおりにも聞こえるかもしれません。
許由さんって、すごく評判がよかったようですが、具体的にどんな所が優れていたんですかね?
一説によれば、非常に高潔で達観した考え方を持っていたようですが、詳しいことは分かりません💦あくまで伝説上の人なので💦
よく分からないんですね。でも、紹介してくれた話は、ザ・隠者って感じのエピソードで面白いです✨なんか、ひねくれているけど、自分の芯があるって感じで、憧れます。
次に、荘周(そうしゅう)という人を紹介させてください。
宰相は犠牲? 荘周(そうしゅう)の生き方
あるとき、荘周が川で釣りをしていた所、楚(そ)の君主が臣下2人を使わして、「自分の国を取り仕切ってくれていか」と勧誘した。
荘周は振り向かず、こう述べた。「楚には死んでから数千年経っている神聖な亀の甲羅があるそうですね。そしてあなた方の王様は、この亀の甲羅を布に包み、箱にいれて大切にしまっております。この亀にとって、死んだ後でも骨を残して貴ばれるのと、生きてその尾を泥の中に引きずるのと、どちらがよいと思いますか?」
2人の臣下は「生きてその尾を泥の中に引きずるほうがよいでしょう。」と答えた。
荘周は、「お帰りください。私も生きてその尾を泥の中に引きずるように、気ままに生きていたいと思います。」と言った。
うーん…いつもの「何となく分かるけどよくは分からない状態」です笑
ここでのポイントは、亀のくだりがそれぞれたとえになっている点です。
具体的には、「亀」=「荘周自身」、「死んだ後でも骨を残して貴ばれる」=「政治のトップになって尊敬される」、「生きてその尾を泥の中に引きずる」=「政治に携わらず、悠々自適に生きる」のようにそれぞれたとえられています。
なるほど、だから荘周は最後に 「生きてその尾を泥の中に引きずる」=「政治に携わらず、悠々自適に生きる」ほうを選んだんですね💡
その通りです。また、荘周は、人々の上に立って政治を行うことを「死んだ状態」だとも認識しています。実に隠者らしい考え方だと思います。
とはいっても、荘周も生きるために、一時期小役人にはなったようですけどね💦
悠々自適とは言っても、お金が無いと生きてはいけないですからね…現実的に考えると、隠者でも最低限働かないといけなかったみたいですね💡
ちなみに、この話は「尾を泥中に曳(ひ)く」=「尊い位にいるより、貧しくても気楽に生きるほうが良い生き方である」という格言として有名です。あわせて知っておきましょう✨
最後に、東方朔(とうほうさく)という人を紹介させて下さい。
朝廷の中に隠れる? 東方朔(とうほうさく)の生き方
東方朔は、あらゆる書物を読み博学であった。一方、一年ごとに若い女と結婚しては別れてを繰り返すなど、奇行が目立った。
漢の武帝に仕え、よく武帝の話し相手を務めており、武帝から高く評価された。
あるとき、とある人が東方朔に、「みなはあなたのことを狂人だと思っています。」と伝えた。
すると東方朔は、「私は、朝廷の中で隠者をしているのです。昔の人は、深い山で世の中を避け、隠者として生きたようですが。」と返した。
またあるとき、周りの臣下たちは、東方朔が賢者であるのにも関わらず、何年経ってもたいした功績があげられないのを批判すると、「今は平和な時代で、また優れた君主がいるのだから、私が功績をあげられないのは自然なことである。」と答えた。批判した臣下は黙って何も返答できなくなった。
この人は、政治に参加してたんですね。この人もすごくクセが強い笑
隠者といえば、許由や荘周のように、政治には参加せずに在野でノビノビ生きるのがオーソドックスですが、東方朔のように、政治の世界に身を置きながら、ひっそりと生きる隠者も割と存在します。
今で言うと、「大企業に勤めているけど、出世に全く興味が無く、ノビノビとプライベートを大切にして生きている人」って感じですか。
そんな感じです💡なんか、『釣りバカ日誌』の主人公っぽいですね笑。彼が務めていた会社は、確か大企業ではなかった気がしますが、「仕事はそこそこで、釣りを楽しむ!」って感じがそれっぽいです。
てゆうか、許由も荘周も東方朔も、隠者とか言いながら、めっちゃ目立ってて全然隠れてないですね笑
隠者はだいたい、賢くて人とはズレた価値観を持っていますからね。結果的に目立ってしまうのでしょう💡
3、漱石枕流(そうせきちんりゅう)と隠者の思想
隠者の思想は、「漱石枕流」のエピソードとも関わりが深いです。以下に現代語訳を挙げます。
孫楚(そんそ)は若いころ、隠者として生きたいと思っていた。王済(おうさい)に「石を枕にして川の流れで口をすすぎ(世俗を離れて自然の中でゆっくり生き)たい。=漱流枕石(石に枕し流れに漱がん)」と言うべきところを、誤って「石で口をすすぎ、川の流れを枕にしたい。=漱石枕流(石に漱ぎ流れに枕せん)」と言ってしまった。
王済は言った。「川の流れを枕にして石で口をすすぐことなんてできないよ。」と。孫楚は言った。「川の流れを枕にするのは、耳を洗うためで、石で口をすすぐのは歯をみがくためだ。」と。
→孫楚の言い訳が非常に苦し紛れであったため、後世、「漱石枕流」で「負け惜しみを言うこと」「ひどいこじつけをすること」という意味を表すようになった。
これ見たことあります。孫楚さんの言い訳がめちゃくちゃで印象に残ってます。「石で歯を磨く」って、歯がボロボロになりそう笑
確かに孫楚の言い訳はめちゃくちゃですが、今注目して欲しいのは冒頭です。
そもそも孫楚は、隠者への憧れがあって人里離れた自然で生きようとしていました。だからその生き方を「漱流枕石(石に枕し流れに漱がん)」と表現しようとした訳ですね。間違っちゃいましたが笑
当時のインテリたちにとって、隠者の生き方が憧れだったことが良く分かりますね!
4、隠者の思想は精神衛生を保つのに効く? 漢詩に見える隠者の思想
隠者の思想は、漢詩にもよく登場します。そのシチュエーションとしては、「一旦社会に出るも嫌気がさし、隠者の道を選ぶ」というものになりやすいです。
仕事や社会というのは、しがらみが大きいですからね。最初は「みんなのために働く!」「自分の才能を発揮する!」と理想を掲げていても、うまくいかないことは多いです。そこで、隠者の思想に流れていく訳です。
それで隠者の考え方に変わって、社会から距離を取っていくんですね…なんか、少し分かる気がします。
隠者の思想は、うまくいかない自分を正当化する際、とても都合のよい存在ですからね。「そもそも立身出世や大きな理想には大した価値がない!」みたいな感じです。
えぇ…それってめっちゃかっこ悪くないですか?酸っぱい葡萄的な気持ちってことですよね?気持ちは分かるけど💦
隠者の思想を本当に信じているのか、もしくは自分を正当化するために隠者の思想を借りているのかは微妙な所ですが、後者のように考える気持ちも良く分かります。人間は努力が報われない時が最も辛いと思いますし。
以下では、漢詩に見える隠者の思想を3つ紹介します。
第1に、 陶淵明(とうえんめい)の「始作鎮軍参軍経曲阿作(始めて鎮軍参軍と作り 曲阿を経しときに作る)」 の一部を紹介します。
陶淵明「始作鎮軍参軍経曲阿作」(一部抜粋)
被褐欣自得、(褐(かつ)を被(き)るも欣(よろこ)びて 自得し、)
屡空常晏如。(屡(しばし)ば空しきも常に晏如(あんじょ)たり。)
粗末な服をきていても、心が喜んでいることに満足し、
しばしば(食事がなくて)空腹でも、いつも安らかな気持ち(で暮らしている。)
褐=粗末な服 自得=満足すること 晏如=安らかな気持ち
普通は、キレイな服やおいしい沢山のご飯を欲するために、頑張って働いたりするけど、陶淵明はそんなものがなくても幸せなんですね。
なんか、周りの考え方に流されず、しっかりと自分の価値観を持っていてカッコいいです✨
まぁ私は、やっぱりキレイでかわいい服が欲しいですけどね笑
陶淵明は、世間でよいとされているものではなく、本当に自分が欲しいと思うものを知っていて、それを得られているから満足している訳ですね。
陶淵明が本当に欲しかったものって何ですか?
そうですね。「帰去来の辞」を見る限り、「仕事でわずらわしい人間関係に悩まされない生活」と言えそうですね💡
関連記事
→陶淵明の人生と代表作「帰去来辞(ききょらいのじ)」「桃花源記(とうかげんき)」を紹介! 人生と社会の本質を見つめ直した詩人
酌酒与裴迪(酒を酌んで裴迪に与う)(一部抜粋)
世事浮雲何足問(世事浮雲 何ぞ問うに足らん )
不如高臥且加餐(如かず高臥して 且つ餐(さん)を加えんには)
世の中のことは浮き雲のように論ずるに足らない(ほど儚く定まらないものだから、)
(わずらわしい)世俗から離れて隠居し、うまいものでも食べたほうがよっぽど良い。
世事=世の中の物事。暗に出世や左遷といった仕事のことや、それに関わる人間関係を指している。
高臥=世俗から離れて隠居する
この詩は、友人の裴迪(はいてき)が、中々科挙に受からず出世できなかった時、王維が慰めて励ますためにこの漢詩を作って送った。
友人の裴迪(はいてき)が、中々科挙に受からず出世できなかった時、王維が慰めて励ますためにこの漢詩を作って送りました💡
王維さんめっちゃ友だち思いで良い人だなぁ…✨
この詩は、「地位や名誉なんて取るに足らない」という点で隠者の思想を読み取れます💡
良い質問です!ざっくりと言えばそのパターンですね✨
一方、厳密に言えば、これは「自分を正当化する」というより、「うまくいかなかった友だちを気遣うために、隠者の思想を借りて励ます」パターンですね💡
第3に、 李白の「山中答俗人(山中にて俗人に答う)」を紹介します。
山中答俗人(山中にて俗人に答う)(一部抜粋)
問余何意棲碧山(余に問う 何の意ありてか碧山に棲むと)
笑而不答心自閑(笑いて答えず 心自(おのづか)ら閑(しず)かなり)
(ある人が)私に問いかけた。「どんな気持ちで緑の深い山の中に住んでいるのか?」と。
(私は)微笑むだけで何も答えない。(私の)心境は穏やかでのんびりとしたものである。
碧山=緑の深い山
李白が山に住んでて心穏やかなのは分かるけど…なんで李白は何も答えなかったんですか?
恐らく、「常識を信じる俗人には言ってもしょうがない」「隠者の思想は中々端的に伝えることは難しい」と考えていたんではないでしょうか?
なんか、ちょっと自分に酔っている感じですね💦
まぁ隠者の思想は、見方を変えればそのように捉えることもできますね。「他人とは違う俺カッケー!」みたいな。
それ中二病ですね笑
こんなに言っている李白ですが、実は元々仕事でバリバリ活躍したいと思って生きていました。しかし、うまくいきませんでした。
それって…まさしく 「バリバリ活躍したかったけど、左遷などを食らってしまい、うまくいかなくなったから、隠者の思想を借りてうまくいかなかった自分を正当化する」 パターンですね💡
そして、3つの例を見てもらったら分かるように、アンチ「仕事」「地位や名誉」「めんどうな人間関係」になることが多いのも抑えておきましょう!
この他、謝霊運の「田南樹園激流植援」、李白の「将進酒」、王維の「送別」、白居易の「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」などでは、隠者の思想が垣間見えます。
隠者の考え方って、すごく独特だけど、面白いって思っちゃいました。私は人と比べてメンタルがやられてしまうことが多いので…少しでも隠者の考え方をまねできれば、楽になるかもなぁ✨
人と比べるってことは、それだけ努力家で真面目である可能性があるため、決してダメではないとは思いますけどね。考え方の幅は持っておいて損は無いと思いますよ!お疲れ様でした!