ポイント
- 孔子については、背景知識として、知っておいてほうがよい。孔子は多くの漢文を書く人にとっての「聖人(=非常に道徳的で高潔で人々の模範となるような人)」=理想であり、漢文にもしばしば現れるから。
- 孔子の人生は、波瀾万丈であった。
- 孔子の性格は、「①謙虚に学びを深める」「②人間として成熟している」「③優しさと厳しさ、威厳と謙虚のバランスがよい」のように表すことができる。
- 孔子の思想は、死後の世界や神に興味関心が薄く、「現世でどのように生きるべきか」をテーマとしたものである。
1、孔子を知ると漢文を読解しやすくなる?
- 背景知識として、知っておいて損は無い。なぜなら、孔子は多くの漢文を書く人にとっての理想だから。そして、孔子の人生や性格・考え方を知っていれば、漢文が読みやすくなる可能性がある。そして、孔子の人生や性格・考え方を知っていれば、漢文が読みやすくなる可能性がある。
- 孔子の影響力は中々強いです。昔の中国の知識人だけでなく、日本でも「聖人(=非常に道徳的で高潔で人々の模範となるような人)」として尊敬されており、所々で孔子や孔子の思想の影響が見られる。
2、苦労が多すぎる孔子の人生
- 紀元前552年~前479年。(その頃日本は縄文時代中期。ソクラテス・仏陀とおおよそ同世代)74歳で没する。本名は孔丘。主に教育者・思想家・政治家として生きた。いわゆる儒家思想・儒教の開祖とされる。彼の生涯は、『論語』『史記』からある程度知ることができる。
第一期:貧乏で苦労した幼少期・青年期
- 魯という国に生まれる。魯は、周の創設期に大活躍した周公旦という偉大な政治家が開いた国である。しかし、孔子の時代には既に国力は落ちており、君主よりその親戚(三桓氏)のほうが権力を持っていた。
- 孔子の出生については不明な点が多い。元々身分が低い家に生まれた説や、めかけの子であった説が存在する。父親は孔子が生まれてからすぐ亡くなり、また母親も若い頃に亡くなっており、非常に貧乏だったようである。
→私は、幼い頃貧乏であったから、様々なことを学びながら生きなければならなかった。
(吾少也賎、故多能鄙事。/吾少くして賎し、故に鄙事に多能なり。)『論語』子罕篇 - 孔子は貧乏な幼少期を過ごしたが、働きながら様々な人から学んだようである。
- その後、生まれた国の魯で役人となり、倉庫や牧場の管理を行う。また、この頃結婚する。
- 前517年、36歳の頃、魯で大事件が起こる。君主の昭公が部下の三桓氏にクーデターを起こされ、隣の大国である斉に逃亡する。その際、孔子も昭公に向かう。斉では学問を磨く。
- 帰国後、とある町の長官に任命される。その後、50歳で司空(土地・人民管理の長官)・大司寇(司法長官)を務める。(異説有り)
第二期:孔子の挫折と放浪
- 56歳の頃、斉が女歌舞団を魯に送り込み、君主が政治を疎かにするようになると、それに失望し、弟子と共に諸国を回り自身の能力を活かせる環境を探す。(国内の権力争いに巻き込まれた説もあり。)
- 以降、69歳まで14年間にわたり諸国を回る。各国の君主と会い、自分の政治理念を叶えられる場所を探すが、うまく見つからない。
【豆知識】なぜ孔子は就活に失敗した? 当時の時代背景と孔子の政治理念
・孔子が生きた時代は、下克上の風潮が非常に強く出てきていた時代で、魯を含め、各国のトップが部下によって追放・殺害される事件が頻繁に起こっていた。また各国同士でも戦争がしばしば起こっていた。
・このような無秩序な時代において、道徳や礼儀でもって秩序をもたらそうとしたのが孔子である。これは非常に高尚ではあるが、時代に逆行していたため、受け入れられなかった。
- 諸国を巡った際には、何度か死にかけている。1度目は、宋という国に赴いた時、とある貴族が大木を切り倒して孔子を殺そうとする。2度目は、匡という国で、人違いで囲まれて弟子とはぐれてしまう。
第三期:大切な存在に先立たれる晩年期・死後
- 結局、理想的な職場が見つからず、結局魯に戻る。(就活失敗)
- 帰国後は、主に弟子の教育や学問に努めた。この後、息子の孔鯉や一番弟子の顔回が亡くなり、孔子はひどく悲しむ。74歳で亡くなる。
- 孔子の死後、弟子たちが孔子の教えをまとめ、『論語』を編纂する。そして、漢代ごろから孔子の教えが「儒教」と呼ばれ、国家の教えとなる。それに合わせて、孔子も尊崇されるようになっていく。
- 孔子は、歴代皇帝から称号を得るが、唐の玄宗の際、「文宣王(ぶんせんおう)」という王号をもらう。(孔子の死後約1200年後)
- その後、清代まで継続して尊重されるが、中華人民共和国の時代、孔子を排斥する運動が起こり、一時期『論語』を読むことを禁止された(いわゆる非林非孔運動。現代中国では収まっている。)
孔子って、「良い事言うおじいちゃん」みたいなイメージがありますが、めちゃくちゃ苦労していますね…
そうですね。実は、孔子の人生は苦労や挫折の連続で、必ずしも順風満帆とはいえませんでした💡
めちゃくちゃ苦労してきたからこそ、孔子の言葉には重みや深みがあるのかもしれませんね✨
3、孔子の性格 謙虚に努力し道徳的な人間を目指した人
①謙虚に学びを深める(自分目線)
先生がおっしゃるには、「私は生まれながらに物事の道理を知っている者ではない。昔の人の(善言・善行を)好み、休みなく道理を理解しようとしている人間である。」と。
子曰、我非生而知之者。好古敏以求之者也。
子曰く、我は生まれながらにして之を知る者に非ず。古を好み、敏にして以て之を求めし者なり。
(『論語』述而篇)
→自分には才能がないが、歴史から道徳を学ぼうとしている。非常に謙虚。
②人間として成熟している(弟子目線)
孔子は以下の四つのことが全くなかった。意=自分勝手な心、必=無理を他者に押し通すこと、固=意固地な態度、我=わがままな態度。
子絶四。毋意。毋必。毋固。毋我。
子、四を絶つ。意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。(『論語』子罕篇)
→これが本当なら、「聖人」と呼ぶにふさわしいが、多少は弟子のひいきが入っているか…
③優しさと厳しさ、威厳と謙虚のバランスがよい(弟子目線)
孔子は、優しさと厳しさを合わせて持っており、威厳はあっても威圧的ではなく、謙虚で接しやすい。
子、温而厲。威而不猛。恭而安。
子、温にして厲(はげ)し、威ありて猛からず、恭にして安し。 (『論語』述而篇)
以上、孔子の人生と性格について、『論語』を引用しつつ紹介しましたがいかがだったでしょうか?イメージ通りだった部分もあれば、イメージとは全然違っていた部分もあったかもしれません。
孔子の政治はイメージ通りだったけど、人生については波瀾万丈過ぎてびっくりしました。面白かったです!お疲れ様でした。
4、(おまけ)孔子の思想 現実的で神や死後の世界には興味が薄い
- 人間としての生き方が未だに解らないのに、死(後)のことが解るはずがない。
(「未知生、焉知死。/未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」『論語』先進篇) - 孔子は超常現象や怪しさを拠り所とする話しをすることがなかった。
(不語怪力乱神。/子は怪力・乱神を語らず。『論語』述而篇)
→孔子は、異なる世界への言説や「奇跡」のようなものによって真理を探究したのではなく、あくまで「現実世界において、どのように生きるべきか」と考え、日常の中に真理を求めた。
【仏教・キリスト教・儒教と宗教性】
- 「世界三大聖人」といえば、ブッダ・キリスト・孔子であり、それぞれ仏教・キリスト教・儒教の創始者であり、共通して「素晴らしい人」として認識されている。
- 一方で、違いも存在する。それは、宗教性の濃淡である。仏教(ブッダ)は輪廻転生から抜け出して極楽浄土に行くことを目的とし、キリスト教は、生まれながらに持っている罪を償い、死後に天国へ到達することを目的とし、どちらも宗教的な性質が強い。
- しかし、儒教(孔子)の目的は、「現実世界においていかに道徳的に生きるのか」「いかに国家へ貢献して良い世の中を作るのか」という点である。目線が現実世界で、死後の世界や別世界に向かうことはほとんどなく、宗教性も薄い。儒教の教は宗教の「教」ではなく、教育の「教」!
(ブッダ・キリストも道徳的な言葉を残してはいるが、それはあくまで「死後幸福になるための過程」という側面がある。その点でブッダ・キリストと孔子の考え方は大きく異なる。)
孔子って宗教家のイメージがあったけど、違うんですね!
儒教にはそれなりに宗教性がありますが、少なくとも『論語』の中の孔子の発言は、非常に現実的で、神や死後の世界について語ることはほとんどありません。
「現実の中でどう生きるべきか」を考えている訳ですね💡私たちが生きるための参考になりそうです!
以下のページに具体的な名言について取り上げているので、よかったらご覧になってみて下さい!
→論語(孔子)の勉強・努力にまつわる名言 7選 読めばモチベーションアップ!
→論語(孔子)の道徳にまつわる名言を紹介! 読んで実践すれば人間関係が良好に? 7選