1、四面楚歌(しめんそか)・項王の最期の原文・書き下し・現代語訳
関連記事
【鴻門の会から四面楚歌までのあらすじ】
①鴻門の会の後、項羽(こうう)は覇王として諸侯の上に立ち、劉邦(りゅうほう)を田舎(=蜀)へと追いやる。
②劉邦は田舎でもめげず、部下と一緒に頑張って富国強兵に努める。
③項羽の土地分配があまりに不公平であったため、各地で反乱が起こる。それに乗じて劉邦も反乱を起こす。
④項羽と劉邦が激しく戦うも、徐々に劉邦が優勢となる。
⑤項羽は垓下(がいか・現在の安徽省北部)に追い詰められる。
→ここから「四面楚歌」の話へ…
【原文】
項王軍壁垓下。兵少、食尽。漢軍及諸侯兵、囲之数重。夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」項王則夜起飲帳中。有美人、名虞、常幸従。駿馬、名騅、常騎之。於是項王乃非歌忼慨、自為詩曰、
力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
歌数闋、美人和之。項王泣数行下。左右皆泣、莫能仰視。
(中略)
於是、項王乃欲東渡烏江。烏江亭長檥船待。謂項王曰、「江東雖小、地方千里、衆数十万人、亦足王也。願大王急渡。今独臣有船。漢軍至、無以渡。」
項王笑曰、「天之亡我、我何渡為。且籍与江東子弟八千人、渡江而西、今無一人還。縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。縦彼不言、籍独不愧於心。乃請亭長曰、「吾知公長者。吾騎此馬五歳、所当無敵。嘗一日行千里。不忍殺之、以賜公。」乃令騎皆下馬歩行、持短兵接戦。独項王所殺漢軍、数百人。項王身亦被十余創。顧見漢騎司馬呂馬童曰、「若非吾故人乎。」 馬童面之、指王翳曰、「此項王也。」
項王乃曰、「吾聞漢購我頭千金・邑万戸。吾為若徳。」 乃自刎而死、楚地皆降漢。
【書き下し】
項王①の軍 垓下②に壁す③。兵少なく食尽く。漢軍④及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。夜 漢軍の四面皆 楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、「漢 皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや。」と。
【現代語訳】
項王軍は垓下の城に立てこもった。兵数は少なく食料も尽きていた。漢軍と(漢軍に味方する)諸侯の兵は、これを何重にも取り囲んだ。夜、漢軍が全員で楚の地方の歌をうたうのを聞き、項王はとても驚いてこう言った。「漢は(私の領土である)楚を全て得てしまったのか。なんと楚の人間が多いことか。」と。
項王則ち夜起ちて帳中⑤に飲す。美人有り、名は虞(ぐ)。常に幸せられて⑥従う。駿馬⑦あり、名は騅(すい)。常に之に騎す。是(ここ)に於いて項王乃ち悲歌 忼慨(こうがい)⑧し、自ら詩を為りて曰く、
そこで項王は夜中(だったが)起きあがり、陣の帳の中で酒を飲んだ。美人(という役職で)名前は虞と言った。(虞は)いつも項王に可愛がられて従がっていた。(また)騅という名の駿馬がいた。いつも項王はこの馬に乗った。そこで項王は悲しげに歌い憤り嘆き、自ら詩を作り歌った。
力は山を抜き気は世を蓋(おお)う
時に利あらず騅逝かず
騅逝かざる奈何(いかん)すべき
虞や虞や若(なんじ)を奈何せん、と。
(我が)力は山をも引(くほどであり)、(我が)気はこの世をも覆う(ほど強い)(しかし)時の運が我に味方せず、駿馬の騅も(疲れ果てて)走ることができない騅が走らないのを、どうすれば良いだろうか虞よ虞よ、お前をどうすれば良いだろうか
歌うこと数闋(すうけつ)⑨、美人 之に和す。項王泣(なみだ)数行下る。左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。
項王は何度か歌い、虞も一緒に歌った。項王は沢山の涙を流した。臣下たちも皆泣き、誰も顔を上げることができず(伏せたままであった)。
(中略)
(中略)
是に於いて項王乃ち東して烏江(うこう)⑩を渡らんと欲す。烏江の亭長(ていちょう)⑪、船を檥(ぎ)⑫して待つ。項王に謂いて曰く、「江東(こうとう)⑬小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人、亦た王たるに足るなり。願わくば大王急ぎ渡れ。今独り臣のみ船有り。漢軍至るも以て渡る無からん。」と。
そして項王は、東に進んで烏江を渡ろうとした。烏江の亭長が船を用意して待っていた。項王に言うには、「江東は狭い(地域)ですが、土地は千里四方、人口も数十万人であり、王となるのに不足はありません。どうか大王は急いで渡って(江東へ向かって)下さい。今は私だけが船を持っています。漢軍が追ってきたとしても、(しばらくは)渡れないでしょう。」と。
項王笑いて曰く、「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。且つ籍⑭ 江東の子弟八千人と、江を渡りて西せり。今 一人の還るもの無し。縦(たと)い江東の父兄憐れみて我を王とするとも、我何の面目ありてか之に見えん。縦い彼言わずとも、籍独り心に愧(は)じざらんや。」と。
項王は笑って言った、「天が私を滅ぼすというのに、どうして渡るだろうか。(いや、私は渡らない。)それに私は(元々)江東の若者八千人を率いて、河を渡って西に向(い秦を滅ぼした)のだ。(しかし)今は(漢軍に敗れてしまい)一人も生きて帰った者はいない。たとえ江東の父兄が憐れんで私を王としてくれても、私はどんな面目があって彼らに顔向けできるだろうか。たとえ彼らが(怨みの言葉を)言わなかったとしても、私は心に恥じないでいられようか。(いや、恥ずかしくて今更帰って王になどなれるはずがない。)」と。
乃ち亭長に請いて曰く、「吾 公⑮の長者⑯たるを知る。吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。 嘗て一日に千里を行けり。之を殺すに忍びず。以て公に賜わん。」と。
そうして亭長に言うには、「私はあなたが立派な方だと分かった。私はこの馬に乗って五年、向かうところ敵は無かった。かつては一日に千里も駆けたこともある。これを殺すには忍びない。だからあなたに(礼として)差し上げよう。」と。
乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持して接戦す。独り項王の殺すところの漢軍、数百人なり。項王の身も亦た十余創(そう)⑰を被(こうむ)る。顧みて漢の騎司馬⑱の呂馬童(りょばどう)⑲を見て曰く、「若(なんじ)は吾が故人⑳に非ずや。」と。馬童 之に面し、王翳(おうえい)㉑に指さして曰く、「此れ項王なり。」と。 項王乃ち曰く、「吾聞く漢 我が頭(こうべ)を千金・邑万戸(ゆうばんこ)㉒に購(あがな)う㉓と。吾 若が為に徳せしめん㉔。」と。 乃ち自刎して死す。
そこで騎兵には皆馬より下りて歩行させ、短い武器を持って接近戦をさせた。項王が殺した漢軍の兵は数百人であった。項王自身もまた十余りの傷を負った。振り返って漢の騎兵隊長の呂馬童を見て、「お前は私の昔なじみではないか。」と言った。呂馬童は顔を背けて、王翳に指さして、「これが項王だ。」と言った。項王は、「私は漢が私の首に千金と一万戸の土地の賞金をかけていると聞いている。私はおまえのために恩恵を与えてやろう。」と言った。そして自ら首をはねて死んだ。
【注釈】
①項王…項羽のこと。
②垓下…地名。現在の安徽省北部。
③壁す…(城に)立てこもる。
④漢軍…劉邦が率いる軍のこと。
⑤帳中…帳は大きい布で空間を仕切るもの。
「帳中」は布で四方を囲っている中。
現代で言うパーティションのようなもの。
⑥幸す…特別可愛がる。(ここでは文脈から受身で読む)
⑦駿馬…しゅんめ。足の速い馬。
⑧忼慨…怒りながら泣く。
⑨数闋…数回。
⑩烏江…地名。現在の安徽省馬鞍山市。
⑪亭長…下級役人。特に治安関係の業務をこなした。
⑫檥…舟を出す準備をする。
⑬江東…長江の下流域を指す。
⑭籍…項羽の本名。(項羽の「羽」は字。)
⑮公…あなた。ここでは項羽のことを指す。
⑯長者…徳の高い優れた人物。
⑰創…傷を受ける。
⑱騎司馬…騎兵の隊長。
⑲呂馬童…人名。漢軍側の軍人。
⑳故人…昔なじみ。知り合い。
㉑王翳…人名。漢軍側の軍人。
㉒邑万戸…とても広い領地のこと。
㉓購…恩恵を与えること。
2、四面楚歌・項王の最期の文法的ポイント テスト対策
①是何楚人之多也。
(是れ何ぞ楚人の多きや。)
→なんと楚の人間が多いことか。
【ポイント】
「何ぞ~也(や)」で、ここでは「詠嘆(なんと~であることか!)」の意味。
実際の試験では、「!」を付けて訳さないようにしましょう!
ややこしいですが、意味的に「!」があったほうが分かりやすいので、あえて付けています💡
詠嘆という用法は、強い感情を表していることを知っておきましょう!
なお、「何ぞ~也」は、漢文の中では疑問or反語のほうが圧倒的に多く、今回のような詠嘆の用法はあまり登場しません。
余裕があれば抑えておきましょう。
②左右皆泣、莫能仰視。
(左右能く仰ぎ視るもの莫し。)
→臣下たちも皆泣き、誰も顔を上げることができず(伏せたままであった)。
【ポイント】
・「左右」は「臣下たち」の意味。「偉い人の近く(左右)に仕えている」という所から。
・「莫」は「ない」の意味。現代語の「莫大(大なるは莫し)」)の「莫」と同じ用法。
・「能(よ)く」は「~できる」の意味。現代語の「可能」の「能」と同じ用法。
泣くときに顔を伏せるというのは、みなさん想像できますか?
③天之亡我、我何渡為。
(天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。)
天が私を滅ぼすというのに、どうして渡るだろうか。(いや、私は渡らない。)
【ポイント】
・ここでの「何ぞ~」は反語(どうして~だろうか。いや~ない。)の意味。強い否定を表す。
ここでの「天」とは、神様のような存在です。
①の「何」(詠嘆)と異なり、ここでの「何」は反語の意味なので、注意しましょう!
④縦彼不言、籍独不愧於心。
(縦い彼言わずとも、籍独り心に愧(は)じざらんや。)
→もし彼らが(怨みの言葉を)言わなかったとしても、私は心に恥じないでいられようか。
(いや、恥ずかしくて今更帰って王になどなれるはずがない。)
【ポイント】
・「縦い~+とも」は「もし~であっても」という意味。
・「籍独り心に愧(は)じざらんや。」は、表側に明確な反語表現はないが反語の意味なので注意!
江東の人々からすると、任せた自分の家族をみすみす死なせてしまった将軍=項羽ですからね。項羽が恥ずかしいと思う気持ちは自然です。
項羽は残忍と言われることもありますが、ここではまともな感情を持っていることが分かります。
⑤若非吾故人乎。(若は吾が故人に非ずや。)
→お前は私の昔なじみではないか。
【ポイント】
・「若(なんじ)」は「お前」の意味。「若(も)し」の意味ではないので注意!
・「故人」は「昔なじみ」の意味。現代語の「故人(無くなった人)」の意味ではないので注意!
昔なじみを見つけて手柄(=自分の首)をあげる項羽は、悪い人ではないのかもしれません💦
Q1:なぜ漢軍は楚の歌を歌ったのでしょうか?項王の反応を踏まえて答えて下さい。
→漢軍が楚の地を占領したことを知らせて項王軍の士気を下げるため。
Q2:なぜ項羽は烏江を渡らなかったのでしょうか?理由を2つ答えて下さい。
・天が自分を滅ぼしていると考えたため。
・江東の若者をたくさん死なせてしまったので、とても恥ずかしく、その若者の家族などに顔向けできないから。
3、四面楚歌の意味・例文
【意味】
周りに味方がおらず孤立無援なこと。
→類語として「孤立無援」「絶体絶命」「孤軍奮闘」などが挙げられる。
【例文】
①クラス内で10股したAさんは四面楚歌になって誰からも相手をされなくなった。
②だらしのない部活に不満を持っていたBさんは真面目に練習することを提案したが、全員から反対され四面楚歌の状況に陥ってしまった。
③〇田総理は、国民だけでなく、自民党内でも支持を失っており、マスコミからも批判されていて、四面楚歌の状況にある。
④協調性のない人物や信頼できない人物は、四面楚歌に追い込まれやすい。
例文から分かるように、四面楚歌になる条件は、基本的に大きなやらかしをすることですが、②のようにまともに生きていても四面楚歌になることがあります。人生とは難しい…💦