1、漱石枕流の原文・書き下し・現代語訳
出典→『晋書』孫楚伝(しんじょ そんそでん)
【原文】
楚少時欲隠居。 謂済曰、当欲枕石漱流、誤云漱石枕流。
済曰、「流非可枕。 石非可漱。」 楚曰、「所以枕流、欲洗其耳。所以漱石、欲厲其歯。」
【書き下し】
楚① 少(わか)き時隠居②せんと欲す。済(せい)③に謂いて曰うに、当に石に枕し流れに漱(くちすす)がん④と欲すというべきに、誤りて石に漱(くちすす)ぎ流れに枕すと云う。
済曰く、「流れは枕すべきに非(あら)ず。石は漱(くちすす)ぐべきに非(あら)ず。」と。楚曰く、「流れに枕する所以(ゆえん)は、其の耳を洗わんと欲すればなり。⑤石に漱(くちすす)ぐ所以(ゆえん)は、其の歯を厲(みが)かんと欲すればなり。」と。
【注釈】
①楚…孫楚のこと。三国時代から西晋時代にかけて生きた政治家。若い頃から才能があったが、その才能を鼻にかけてしまう傲慢なところがあった。また、プライドが高く、他人に謝ることができなかった。
②隠居…政治には参加せず、のんびり過ごすという意味。このように、才能があるのにも関わらず権力や名声を求めずひっそりと生きる生き方は、中国では高潔として評価された。詳しくは以下の記事を参照。
③済…王済のこと。孫楚とは同郷で仲が良かった。
④石に枕し流れに漱(くちすす)がん…どちらも、人里離れた山奧で余計なしがらみに囚われずのんびり生きるたとえ。
→許由のような隠者にとっては、地位や権力は避けるべきものなので、許由は堯の提案を汚らわしいと感じた。詳しくは、「賢者かニートか? クセが強すぎる隠者(いんじゃ)の思想」を参照!
⑤其の耳を洗わんと欲すればなり…これは恐らく、昔、許由(きょゆう)という人物が、堯(ぎょう)から帝位を譲られようとした時、「汚らわしいことを聞いた」と川で耳をすすいだことに由来する。一応しっかりとした根拠のある言い訳。
【現代語訳】
孫楚は若い頃、世を捨てて(山奧へ)隠居しようと思った。王済にその気持ちを語ろうとして、「石を枕とし川の流れで口をすすぎたい。」と言うべきところを誤って、「石で口をすすぎ、流れを枕にしようと思う。」と言ってしまった。(つまり、「枕」と「漱」を逆に言ってしまった。)
それを聞いて王済は、「流れを枕とすることはできないし、石で口をすすぐこともできない。」と言った。孫楚は、「流れを枕とする理由は、(川の水で)耳を洗うからである。石でうがいをする理由は、(石で)歯を磨くからである。」と言った。
孫楚が考えている隠居先のイメージ(写真は武夷山)
【話の解説・3つのポイント】
「漱石枕流」の話を理解する上で知っておかなければならない点が3点あります。
第1に、「なぜ孫楚は若いのに隠居したいなどと言い始めたのか?」です。現代の我々からするとよく分からないと思います。
なぜかというと、当時の中国には、「才能があるにも関わらず、あえて社会的な地位や名誉を求めずに山奧でひっそりと生きる生き方」に対し、高潔だとして高い評価をしてたからです。
(詳しくは、「賢者かニートか? クセが強すぎる隠者(いんじゃ)の思想」を参照)
孫楚はとてもプライドの高い人物なので、恐らく隠居することで、世間的な評判がよくなることを狙ったのでしょう💡
第2に知っておくべきは、なぜ孫楚は隠居しようとして「石を枕とし川の流れで口をすすぎたい」と言ったのか?という点です。現代人の我々からすると、隠居と石・川が結びつくことはないと思います💦
これも、上で述べた内容と同様です。つまり、当時は優れた才能を隠し、あえて人里離れた山奧で悠々自適に生きることが、一種の憧れだったからです。「石を枕とし川の流れで口をすすぎたい」というのは、つまり「山奧で悠々自適に暮らしたい」という意味なのです。孫楚は、このような生き方をすることで、人々から尊敬されたかったのでしょう💡
ちなみに、なぜ山奧で生きるのが評価されていたのかというと、山奧で暮らす=地位や名誉に囚われて織らず高潔とみなされたからです。また、このような生き方が、汚い欲望まみれの世界に生きる政治家たちに一種の憧れとしてみなされていたことも要因です。
第3に知っておくべきは、最後の孫楚の発言の解釈をどうすべきか?という点です。孫楚は「枕石漱流(石に枕し流れに漱がん)」と言うべき所を「漱石枕流(石に漱ぎ流れに枕す)」と言ってしまいます。それを友人の王済に指摘されると、孫楚は「流れに枕する所以は、其の耳を洗わんと欲すればなり。石に漱ぐ所以は、其の歯を厲かんと欲すればなり。」と返答します。
孫楚の最後の言葉は、自分の言い間違えを認めたくないがための苦しい言い訳です。
「流れを枕とする」って、普通に考えると溺れてしまいますし、「石でうがいをする」=「石で歯を磨く」って意味不明すぎますね。歯がボロボロになります笑
ここから、孫楚の言い間違いである「漱石枕流」が「言い訳して自分の間違いを認ないこと」という意味として用いられるようになります。
【テストにおけるポイント】
当…まさに~すべし。意味は「~すべきである。」再読文字。
非…非(あら)ず。意味は「~ではない」
可…べし。書き下す際にはひらがな!意味は「~できる」
所以…ゆえん。読みに注意!意味は「理由」
2、漱石枕流の例文・解説
【意味】
言い訳して自分の間違いを認ないこと。
→晋の孫楚が「枕石漱流(石に枕し流れに漱がん)」と言うべき所を「漱石枕流(石に漱ぎ流れに枕す)」と言ってしまったが、言い訳をして間違いを認めなかったことから。
→類語として「頑固一徹(がんこいってつ)」「牽強付会(けんきょうふかい)」が挙げられる。
「漱石枕流」の「漱石」は、「我が輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」で有名な夏目漱石のペンネームとして有名ですね。(夏目漱石の本名は夏目金之助。)
漱石は、(特に若い頃、)負けず嫌いで偏屈だったそうなので、孫楚のような態度にシンパシーを覚えたのかもしれません。(ただし漱石は、生徒や後輩の面倒見が良かったので、多くの人に慕われました。)
【例文】
・プライドの高いA先生はいつも自分のミスを認められず、漱石枕流がひどい。
・漱石枕流は人から嫌われやすいから、できればやめたほうが良い。
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