荀子(じゅんし)の思想(性悪説)・名言を紹介! 自分の可能性を信じて努力するのが好きな方へ

1、荀子(じゅんし)はどんな人?

・荀子(本名は荀況)は、いわゆる諸子百家の一人で、孔子・孟子と共に儒家に分類される。戦国時代の後期(前320年頃)、趙の国に生まれる。50歳ごろに斉に赴き、稷下の学(=学者集団)の祭酒(=学長)を三度務める。

・その後、荀子は讒言(=根拠の無い悪口)に遭い、斉から楚へと赴き、蘭陵という土地の長官に任命される。しかし後に免職される。免職後は、そのまま蘭陵に留まり、執筆活動や子弟教育に努めた。一説によれば、弟子には韓非子(諸子百家の一人。法家)と李斯(りし)(始皇帝を補佐した宰相)が居たようである。90余歳で没した。

・荀子の性格は、「理系脳(=科学的根拠のないものをむやみに信じない)」「冷静沈着」「努力至上主義者」

2、人間の運命は天(≒お天道様)ではなく自分自身が決める! 天人の分

【本文(現代語訳)】()

 「天」は万物を生み出すが、貧富・禍福・治乱といった人間社会の現象とは全く関係ない。(天論篇)

 「天」とは自然現象(昼夜・四季の変化)であり、人為を本質とする人間とは、明確に区別する必要がある。(同上)

【解説】

・当時、中国では「天は神様のような存在で、天によって人間の運命は決まっている」という考え方が一般的であった。しかし荀子はそれを批判し、「あくまで人の幸不幸を決めるのは人間である」という考え方を提唱した。
→現代で聴くと当たり前かもしれないが、当時は非常に画期的な考え方であった。

【本文(現代語訳)】

 日食や月食を払う儀式をしたり、日照りに雨乞いのための祭祀を行ったり、卜筮(ぼくぜい)をしてから大事を決するのは、これによって願望が叶えられると思うからではない。それは装飾的な儀式として行うだけである。(天論篇)

【解説】

・当時、天文現象や天候は、全て天が操っていると信じられたため、なにかイレギュラーなことが起こるたびに天を祭って祈っていた。荀子はこれを批判するが、ただし、民衆の教育・団結としての効果は認めるため、祭礼を行うことは推奨する。

【本文(現代語訳)】

いたずらに天を偉大なものとして()()するのと、これを一個の自然物として手なずけ、人間の意志に従わせるとのとでは、どちらが優れた態度であろうか。いたずらに天に服従してこれを賛美するのと、天命を人間の意志に従わせ、これを利用するのとでは、どちらが優れた態度だろうか。(同上)

【解説】

・「天」=自然とは、あがめるものではなく、利用するべき存在であるという考え方。当時としては非常に異端な考え方。

※中国では、伝統的に天が信じられていた。

3、人間の本性は悪or素材である! 性悪説or性中立説

【本文(現代語訳)】

 人間の本性は「悪」であり、「善」とは後天的な矯正の結果である。本性には、欲望や感情があり、生まれつきのままに放置すれば、人間同士が争い合い、奪い合う。(性悪篇)

【解説】

・人間は本来的に悪なので、学習によって人間を「善」へ導く必要がある。(修身論・礼論へ繋がる)
ただし、人間の本性=悪という記述は、先行する孟子の性善説への対抗意識から生まれたものであり、必ずしも荀子の本意ではない。詳しくは以下の記述を参照。

【本文(現代語訳)】

 自然の性は素材のようなものであり、これを後天的な人為によって、美しいものに作り上げることができる。(礼論篇)

【解説】

・人間の性は価値中立的なものである。だからこそ後天的な学習によって、性を磨いていく必要がある。

まとめ

・荀子の性説は、「性悪説」と「性中立説」の二つが存在するが、いずれにせよ荀子はあくまで、「後天的な努力・学習を信用すべきであり、重要である」という部分を本題としており、非常に前向きな思想であることには注意すべき。
→現代日本で「法律は性悪説(人間の善性を信頼しない)に基づいて定められている」のように後ろ向きなニュアンスで用いるのは、発案者である荀子の本意ではない。

【豆知識】中国・日本の善悪観

・中国思想における「悪」とは、「善」の対義語ではなく「不完全な善」であり、連続的に捉えられており、荀子の性説も人間が根源的に邪悪な存在だと見なすわけではない。またこの感覚は、日本においてもある程度共有されている。(「世の中に悪い人はいない」という感覚)

・「悪」=「不完全な善」というのは、漫画・アニメ・ゲームの敵のうち、「元々善or中立だったが、悲しい過去を経て闇落ち=悪となったキャラ」に対して当てはまる。

→具体的には、サスケ・イタチ・オビト・大蛇丸・ペイン…(ナルト)、御堂筋(弱虫ペダル)、ルルーシュ(コードギアス)、セフィロス(FF7)…

・つまり、孟子の性善説にせよ、荀子の性悪説・性中立説にせよ、全体的に見て善寄りにあるのは間違いない

4、礼儀とは何か?

【本文(現代語訳)】

 礼はどのようにして起こったのか。人には生まれながらにして欲望がある。欲望があるのにそれを達成できなければ、どうしてでもそれを求めようとする。その時、際限なく追求すれば、他者との争いが起こる。争えば世は乱れ、乱れれば困窮する。

 そこで、昔の偉大な王者はその混乱を憎み、礼儀を制定して分限を設け、人の欲望を適度に抑え、欲求を適度に満たし、欲望で物をきわめようとせず、物もまた人を刺激して欲を尽くさせないようにした。欲と物、その両者を互いに調和させた。これが礼の起こったはじめである。(礼論篇)

【解説】

・荀子によれば、そもそも礼儀は、人の際限ない欲望をコントロールするために生まれたものである。
→荀子より前に活躍した孔子・孟子も礼を重要視するが、明確な定義を行うようなことはしなかった。荀子に至って礼がはじめて理論化された。
→礼を理論化するにあたって、実施者を「昔の偉大な王者」にしている点はポイントである。荀子はこれによって、さほど強制力のない礼に権威を与え、拘束力を強化しようとしている。(苦し紛れと捉えることもできるが…)

【本文(現代語訳)】

 礼は人の心に従うのを根本とする。従って、たとえ礼の経典に記載がなくても、人の心に寄り添うものはみな礼である。

【解説】

・礼の本質は、「人の心に寄り添うもの」という発言である。
→一見、聴き心地の良い発言だが、ここには礼の大きな特徴が確認される。それは、「基準が明確ではない点」「人によって礼への考え方が異なる点」である。そもそも、人の心とは複雑で、価値観は多分に個人差・地域差・時代差がある。

(例)室内で帽子を被るのは非礼かどうかは、年配の世代と若者の世代で大きく異なる。

→礼は、良く捉えれば「融通がきき柔軟」、悪く捉えれば「基準が曖昧で分かりづらい」と言うことができる。

5、荀子の名言(解説付き)

①君子曰、「学不可以已。」青取之於藍、而青於藍、氷水為之、而寒於水。
君子曰く、「学は以て已むべからず。」と。青は之を藍に取りて、而れども藍よりも青く、冰(こおり)は水之を為して、而れども水よりも寒(つめた)し。(勧学篇)
立派な人物が述べるには、「学びとは、継続することが大切である。」と。青の染料は、藍(あい)の草から作るが、その色は元の草よりも青い。氷は水から形成されるが、その冷たさは、元の水よりも冷たい。(これと同じように、元々才能がない人も努力を継続させていけば、別人かと思うほど成長することができるのだ。)

→努力すれば、別人と思えるほど成長することができる。世の中の凡才を勇気づけてくれる言葉か。

Cf/イチロー「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」

②非我而当者吾師也。
(われ)()として(むか)(もの)は、()()なり。(修身篇)
自分の欠点やいたらないところを指摘・批判してくれる人は、誰でも自分にとっての先生である。

→批判されるのは誰にとっても嫌なこと。しかしそれをしてくれる人を嫌うのではなく、「私のためを思って言ってくれている」と素直に受け入れ、改善することも大切ではないか?

※ただしこれは、相手が悪意を持っていないことが大前提である。世の中には、明確な悪意をもって他人のあら探しをする人がいるため、その場合は相手にしないほうが良いか。

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