韓非子の故事成語から比喩(たとえ)の技術を学ぼう! | ハナシマ先生の教えて!漢文。

韓非子の故事成語から比喩(たとえ)の技術を学ぼう!

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1、儒家批判と「矛盾」

【現代語訳】

 昔、歴山(れきざん)の農民が田畑の境界を侵し合い、乱れていた。そこで(しゅん)(ぎょう)の元部下で、儒家が尊敬し手本としている王様)がそこへ行き一緒に耕すようになると、(その道徳に感化され)1年後には田畑の境界が正しく守られるようになった。また、黄河(こうが)のほとりの漁師が漁場を争っていた。舜がそこへ行って一緒に漁をすると、1年後には(舜の道徳に感化され)年長者に漁場を譲るようになった。また、東夷(とうい)(東方の文化未開拓の土地)の陶器は粗悪であった。舜がそこへ行って一緒に造ると、1年後には(その道徳に感化され)しっかりした陶器ができるようになった。

 この話を聞いた孔子は、深く感動して言った、「農耕や漁業や製陶は、舜の本職ではないのに、舜が出かけてそれらを正したのは、民の間違いを直すためであった。舜こそが真の仁を実践した者ではないか。自ら苦労し、民はこれを見習った。いわゆる聖人の徳化というべきものだとうか。」と。

 ある人が儒者に尋ねて言った。「この時、堯はどうしていたのか。」と。儒者は「堯は天子の位にいました」と答えた。「それでは、仲尼が堯を聖人だと言うのは、どうしたわけでしょう。聖人が君主の位にあれば、世に悪者はいなくなるはずである。今、農民や漁民に争いがなく、陶器が粗悪でなかったなら、舜は徳を用いて彼らを感化することはできない。舜が民の間違いを正したというのは、堯に失政があったということである。舜を賢人だと言えば堯の統治者としての能力を否定することになり、堯を聖人だとするなら舜が行った徳化自体を否定することになる。両者の優秀さを同時に認めるわけにはいかないのである。」と。

 ()の国の人に、盾と矛を売る者があった。まずその盾を褒めて言った。「この盾は、どんなものを突き通せない程堅い」と。また、その矛を褒めて言った。「この矛は、どんなものでも突き通すほど鋭い」と。そこである人が言った。「ではあなたの矛で、あなたの盾を突いたらどうなるのか」と。その商人は何も答えることができなかった。

 そもそも、何をもっても突き通すことのできない盾と、何でも突き通せる矛とは、同時に存在することができないのである。今、堯と舜の両者を同時に褒めることができないのは、この矛と盾の話と同じなのである。(難一篇)

【解説】

・儒家が尊崇する堯舜の言い伝えについて、矛盾のたとえ話でつじつまが合わないことを批判している。

日本語として頻繁に使う「矛盾」は、もともと儒家批判のためのたとえ話であった。

2、人を説得する時には正しさではなく好感度が必要? 「余桃の罪」

【現代語訳】

 昔、美男子の弥子(びし)()は、(えい)の君主に大変好かれていた。衛の法律によると、許可なく君主の車を用いた者は、足切りの刑に処せられる決まりであった。ある時、弥子瑕の母が病気になり、ある人がそのことをそっと弥子瑕に知らせた。すると弥子瑕は君主の命令だと偽り、君主の車を使って宮中から外出し、母を見舞った。君主がそのことを聞くと、弥子瑕を罰するどころか、立派だと褒めていった。「何と親孝行なことだろう。母親のことで、足切りの罪を犯すことすら忘れていた」と。

 また後日、君主のお供をして果樹園に出かけた際、桃を食べてみると大変うまかったので、全部食べずに半分を君主に献上した。すると君主は言った。「何と私を愛してくれることよ。自分で味わうことも忘れて、私に食わせてくれるとは。」と。

 その後、弥子瑕の容姿が衰え、君主からの愛情が薄れたので、罪を問われることとなった。「こいつは、昔偽って私の車を使い、また食べ残しの桃を私に食わせた不届き者である」と。

 弥子瑕の行為は以前と少しも変わっていないのである。それなのに前に褒められた行為が、後には罰せられることになったのは、君主の愛情が変化したからである。従って、君主に愛されていれば、その知恵は君主に好まれるし、一旦君主に憎まれてしまえば、いくら役に立つ知恵だろうと、君主は聞く耳をもたないどころか、ますます嫌われてしまう。従って君主に忠告を試みたり、意見を述べたりする人は、相手の愛憎の気持ちをよく察知して、その上で説得しなければならない。(難説篇)

【解説】

・他者への対応は、「正しいかどうか」ではなく「その人が好きか嫌いか」で決定されがちという人間心理について、弥子瑕のエピソードを用いて説明している。その上で、他者に意見する時には他者からの好感度に気を付けるべきことを述べる。

・この話から、「()(とう)の罪(偉い人の愛情が気まぐれなことのたとえ)」という言葉が生まれた。

3、人の触れて欲しくない所には触れるな! 「逆鱗(げきりん)」

【現代語訳】

 竜という生き物は、飼い慣らせば乗ることができる。しかし竜ののど元には、一尺(当時で23センチほど)の逆さについた鱗があり、人間が触れた場合、必ず殺される。同じように、人間にも逆鱗(げきりん)が存在する。君主に意見を述べる者は、注意して君主の逆鱗に触れないようにすれば、まず成功に近い振る舞い方ができるようになる。(説難篇)

【解説】

・相手の触れて欲しくない内容を逆鱗にたとえた話。

・「相手の機嫌に注意すべき」という点では2の名言に似ている。たとえ正論であっても、他人の逆鱗に触れるのは良くないか?

4、価値があるものは中々認知されない? 「和氏の璧」

【現代語訳】

 楚の国に()()という者がいて、ある時山中で素晴らしい(ぎょく)(当時の宝石の一種)を得て、(れい)(おう)に献上した。厲王は職人に鑑定させた。すると職人は、ただの石だと言った。厲王は和氏が自分を騙したと思って、和氏を罰して左足を切る刑を与えた。厲王が死に、武王が即位したとき、和氏は再び玉を武王に献上した。武王は職人に鑑定させたが、やはり職人はただの石だと言った。武王もまた和氏が自分を騙したと思って、和氏を罰して右足を切る刑を与えた。

 武王が死に、文王が即位した。和氏はその素晴らしい玉を胸に抱き、楚山のふもとで号泣した。三日三晩泣き続け、涙は枯れ果て、続いて血の涙まで流した。文王はこれを聞き、その理由を尋ねさせた。「世の中、足斬りの刑にあう者は多い。どうしてそんなに慟哭(どうこく)するほど悲しむのか」と。和氏は答えた。「私は足斬りの刑にあったことを悲しんでいるのではありません。あの宝石をただの石だと言われ、自分は正直者なのに嘘つき呼ばわりされたとことを悲しんでいるのです。それがこの悲しみの理由なのです」と。王は職人にその玉を磨かせた。すると立派な宝石であった。そしてこれは「()()(へき)」と名付けられた。

 そもそも珠玉は君主の欲しがるものである。和氏の献上した玉がまだ美しい玉ではなかったからと言って、君主の害とはならない。それでもなお、両足を斬られて初めて実は宝石であったことが分かった。宝石だということが分かるまでには、これほどまでに難しいことなのだ。(和氏篇)

【解説】

・人でも物でも、中々その価値を正しく判断することは難しいことをたとえた話。孔子の思想ですら、孔子の生前は認められないことが多く、その思想が尊ばれ始めたのは、孔子の死後である。

・現代でも、ビットコイン然り、YouTuber然り、最近は評価されているものの、当初は色モノ扱いされ、まともに評価する人は少なかった。

5、いつまでも古い慣習に縛られるべきではない! 「守株(しゅしゅ)」

【現代語訳】

 (そう)の人に畑を耕している者がいた。畑の中に木の切り株があった。ある時偶然、うさぎが走ってきて切り株に当たり、首を折って死んだ。そこで農具を捨てて切り株を見守って、またうさぎを手に入れることを願って何もしなかった。しかし、うさぎは二度とは手に入れることができず、自身は国中の笑いものになった。

 今、儒家のように昔の聖王の政治のやり方で当世の民を治めようとするのは、切り株を見守っているのと同じものである。(五蠹篇)

【解説】

・昔の政治手法をかたくなに守ろうとする儒家に対し、「守株」のたとえ話を用いて批判する。

・現代では、「守株」「守株(たい)()」=「かたくなに古い習慣を守り、時代に応じた物事の処理ができないこと」という意味で用いられる。

・現代における「守株」としては、「年功序列」「中学・高校の無駄に厳しい校則」「一方通行の授業」「ハンコの文化」「未だにFAXを用いる」などが挙げられるか。

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