漢文で現代語訳する際は補足をしよう! ―主語と目的語の省略と補足

ポイント

  • 漢文は省略が激しい文章であるため、現代語訳する際は積極的に補足するべし!
  • 主語の省略するのは5パターンあり。「1、前文で既に登場している場合」、「2、会話のラリーが続けて行われる場合」、「3、前文の目的語が主語となっている場合」、「4、一般論や格言を述べる場合(「人は~」のように、誰かを特定しない意味)」、「5、勧誘・命令の意味を表す場合(当・応・宜・可など)」
  • 目的語を省略するのは2パターンあり。「1、前文で既に登場している場合」、「2、「言うor道うor謂うetc…」「行くor往くor至るetc…」が来る場合」
  • 主語や目的語は、日本語の会話でもよく用いられているので、漢文特有の現象という訳でもない。しかし、自分以外が書いた文章でそれをされると非常に読みにくくなるので、強く意識して補足するべし。

1、漢文は省略が激しい文章であるため、現代語訳する際は積極的に補足するべし!

こんにちは。本日は、漢文を現代語訳する際注意すべき「省略と補足」についてお伝えします。

こんにちは。「省略と補足」って何ですか?

「 漢文は省略が激しい文章であるため、現代語訳する際は積極的に補足するべき」ということです。いくら助字や句形を覚えても、省略されている所を補足できなければ、意味を理解することは難しいです。

字面だけ追っていてもダメって訳ですね!
具体的には、どのようなものが省略されるのですか?

これからいくつかに分けてお伝えしますね。
まずは最も基本で大切な「主語と目的語の省略」について抑えましょう!

2、主語の省略と補足 5パターン

まずは、主語の省略について学びましょう。これが起こるのは、主に以下の5つの場合です。

1、前文で既に登場している場合

孺悲欲見孔子、孔子辞以疾。将命者出戸、取瑟而歌、使之聞之。(『論語』)

孺悲(じゅひ)、孔子に見(まみ)えんと欲す。孔子辞するに疾(やまい)を以てす。命(めい)を将(おこ)なう者、戸を出づるや、瑟(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。

孺悲 (=孔子の弟子)が孔子に会おうとした。孔子は(仮)病をつかって面会を断った。取次の者が孔子の家を出たところで、(孔子は)瑟を取り出して歌い、それを(取り次ぎの者へ)聞かせた。

※孔子がなぜ面会を断ったのかは、「孺悲がのマナーがなっていなかったから」など諸説ある。

2、会話のラリーが続けて行われる場合

桓公読書於堂上、輪扁斲輪於堂下、釈椎鑿而上、問桓公曰、「敢問公之所読者何言邪。」公曰、「聖人之言也。」曰、「聖人在乎。」公曰、「已死矣。」曰、「然則君之所読者、古人之糟魄已夫。」(『荘子』)

桓公 書を堂上に読む。輪扁(しゃへん) 輪を堂下に斲(けず)る。椎鑿(ついさく)を釈(お)きて上り、桓公に問いて曰く、「敢えて問う、公の読む所は何の言と為すや。」と。公曰く、「聖人の言なり。」と。曰く、「聖人在りや。」と。公曰く、「已に死せり。」と。曰く、「然らば則ち君の読む所は、古人の糟魄(そうはく)なるのみ。」と。

桓公が書物を読んでいた。時、 輪扁が広間の下で車輪を削って(=作って)いた。(扁は)槌(つち)と鑿(のみ)を置き、桓公に尋ねた。「(あなた様に)伺いますが、あなた様が読んでいるのは、誰の言葉ですか?」と。(桓)公が答えるには「聖人の言葉である。」と。 (輪扁が)言うには「聖人は今でも生きているのですか?」と。(桓)公が言うには「もう亡くなっている」と。 (輪扁が)言うには、「ではあなた様が読まれているのは、古人の絞りかすですね。」と。

※場合によっては、「曰く」の文字や、「(桓)公」のように名前が一部省略されることもある。

3、前文の目的語が主語となっている場合

子曰、「隠者也。」使子路反見之、至則行矣。(『論語』)

子曰く、「隠者なり。」 子路をして反(かえ)りて之を見えしむ。至れば則ち行(さ)る。

先生がおっしゃるには、「(彼は)隠者である。」と。(孔子は)子路に戻って(その隠者と)会うようにさせた。(子路がその隠者のもとへ)辿り着くと、(隠者は)去っていた。

4、一般論や格言を述べる場合(「人は~」のように、誰かを特定しない意味)

夫道、若大路然。豈難知哉。(『孟子』)

夫れ道は、大路の若く然り。豈に知り難からんや。

そもそも道(=理想の生き方)は、大きな道のようなものです。(人が)どうしてそれを知るのに難しいことが有りましょうか。(いや、簡単です。)

5、勧誘・命令の意味を表す場合(当・応・宜・可など)

及時当勉励。(時に及びて勉励すべし。)

(人は)その時々で努め励むべきだ。

此奇貨、可居。(此れ奇貨なり、居くべし)

これは奇貨(=すばらしい値打ちがあるもの)である。(あなたは)取っておくべきである。

けっこう主語が省略されることってあるんですね💦
そりゃ漢文が分からないわけですね💦

主語が分からないと、文章の意味が全く分からなくなりますからね。
日本語で自分が実際に会話している際は、主語が無くても何となくわかりますが、漢文で他の人が書いている文章の場合、意識して補足したほうが良いと思います💡

確かに…これからは、常に動作などが誰によってされているのか、常に意識しながら補足して読みます!

なお、これらの場合でも普通に主語が省略されていない場合ももちろんあるので、その際は素直に解釈して下さい。

3、目的語の省略と補足

次に、目的語が省略される場合について学びましょう!💡

1、前文で既に登場している場合

司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我独亡。(『論語』)

司馬牛(しばぎゅう)憂いて曰く、「人は皆兄弟有り。我独り亡(な)し。」と。

司馬牛(=孔子の弟子)は悲しんで言った。「人は皆、兄弟がいます。(しかし)私だけは(兄弟が)いない。」と。

2、「言うor道うor謂うetc…」「行くor往くor至るetc…」が来る場合

孟嘗君奉夏侯章以四馬・百人之食、遇之甚懽。夏侯章每言未嘗不毀孟嘗君也。或以告孟嘗君、孟嘗君曰、「文有以事夏侯公矣。勿言。」(『戦国策』)

孟嘗君(もうしょうくん) 夏侯章(かこうしょう)に奉ずるに四馬・百人の食を以てし、これに遇えば甚だ歓(よろこ)ぶ。夏侯章 言ある毎(ごと)に、未だ嘗て孟嘗君を毀(そし)らずんばあらざるなり。孟嘗君曰く、「文、以て夏侯公に事(つか)うる有るなり。言う勿れ。」と。

孟嘗君は、夏侯章に四頭の馬や百人分の食糧を支給し、会った際はとても丁重にもてなしていた。(しかし)夏侯章は、話をするたびに、孟嘗君のことを悪く言わなかったことはなかった。孟嘗君が述べるには、「文(=孟嘗君)は、夏侯どのをお世話しているのです。(悪口を)言わないで下さい。」と。

趙王畏秦、欲毋行。(『史記』) 趙王 秦を畏れ、行くこと毋からんと欲す。

趙王は秦を恐れ、(秦へ)行かないようにしようと思った。

1は主語の時もあったし、既に出ているから省略というのも理解できますし、2も我々が普段しちゃっていることでもある気がしますね。

よい所に気がつきましたね。「行く場所=どこに?」や「言う相手=誰に?」は、我々が普段会話している時にも行いますね
例えば、自分が部活動仲間に「今日行く?」というだけで、部活動に行くかどうかの質問と分かる場合がありますね。

別に漢文独特の現象ではないので、特別不思議がる必要はないということですね!
今後「言」「謂」「行」「往」「至」が来たら、省略を意識はします!


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