漢詩における対句(ついく)をマスターしよう! | ハナシマ先生の教えて!漢文。

漢詩における対句(ついく)をマスターしよう!

ポイント

  • 対句とは、同じ品詞を用いてペアとし、見た目の美しさを高めるためのテクニック。通常の漢文や漢詩で用いられる。
  • 対句の「同じ品詞」というのは、あくまで目安。(そもそも、当時の詩人が我々が学んだような品詞の概念を知っていたわけではないので、それが通用しない場合もある。)

1、対句とは何か?

こんにちは。前回は、押韻について学んだので、本日は対句(ついく)について学びましょう。

先生、対句って何でしたっけ💦?

対句とは、同じ品詞を用いてペアとし、見た目の美しさを高めるためのテクニックです。通常の漢文や漢詩で用いられます💡

例えば、こちらの漢詩をご覧下さい。

これ「春望(しゅんぼう)」ですね。知ってます!学校の教科書に載ってました!

超有名だと思います。この「春望」は、対句を知るためにはとてもよい教材なので紹介しました。

実は、律詩においては、第3・4句目と第5・6句目は必ず対句にする決まりです。
春望は五言絶句なので、その決まりを守っています。

第3句=時に感じては花にも涙を濺ぎ
第4句=別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
「時」と「別れ」(名詞)、「感じては」と「恨んでは」(動詞)、「花」と「鳥」(名詞)、「涙」と「心」(名詞)、「 濺ぎ 」と「驚かす」(動詞)

だから、確かに品詞が同じ=対になっています!

飲み込みが早いですね✨では、第5・6句はどうでしょう?

第5句=烽火三月に連なり
第6句=家書万金に抵たる
「烽火」と「家書」(名詞)、「三月」と「万金」(名詞)、「連なり」と「抵たる」(動詞)
こっちもしっかり品詞が同じになってます!

良いですね✨同じ品詞を対応させて並べられていることによって、見た目が美しくなっていることが分かりますね💡

これまで何気なく読んでいたけど、律詩ってこんな厳密に作られていたんですね💦

ちなみに、第1句と第2句も(ほぼ)対句になっています。
第1句=国破れて山河在り
第2句=城春にして草木深し
「国」と「城」(名詞)、「破れて」と「春にして」(「春にして」は動詞ではないが動詞的)、「山河」と「草木」(名詞)、「在り」と「深し」(動詞と形容詞だが、「在り」は状態を表しているので形容詞的)

「破れて」と「春にして」、「在り」と「深し」が厳密には同じ品詞ではないけど、対になっているとは感じます💡

そうですね。対句の「同じ品詞」というのは、あくまで目安です。そもそも、当時の詩人が我々が学んだような品詞の概念を知っていたわけではないので、それが通用しない場合もあります。

言われてみればそうですね笑。だいたいの感覚で捉えます!

あと、律詩の3・4句、5・6句以外の部分は、「対句させてもよいしさせなくてもよい」です。絶句でも対句になっている場合もあります。

ちなみに、春望の押韻は「深(しん)・心(しん)・金(きん)・簪(しん)」です。「in」が共通してリズムが良くなっています💡

押韻は偶数句末でしたよね?こう考えると、律詩作るのって本当に大変ですよね💦2・2・3の区切りを意識して、押韻も意識して、3・4句目と5・6句目の対句も意識して作るんですよね?

実はこれに加え、平仄(ひょうそく。音の調子)のルールもあります。受験には出ないのでここでは解説しませんが…💦

えぇ…💦難しすぎ笑!

まぁ受験生は、受験に必要な漢詩の基礎をいくつか知っていればそれで大丈夫です💡でも機会があったら、作詩もしてみたいですね✨

2、対句を意識して現代語訳してみよう!

では次に、対句を意識して、以下の律詩を現代語訳してみましょう!

注釈

・白→李白のことを指す。

・飄然→世間に縛られず、自由闊達なさま。

・清新→新鮮である。

・庾開府→北周の詩人庾信(ゆしん)のこと。

・鮑参軍→南朝宋の詩人鮑照(ほうしょう)のこと。

・渭北→長安の北を流れる渭水の北。杜甫が当時いた所。

・江東→長江下流域の地。李白が当時いた所。

・文→ここでは文学を指す。

第1・2句目→李白よ、(あなたの)詩は敵がいない(ほど優れていて)、 世間に縛られず、自由闊達としていて、気持ちは飛び抜けている。
第3・4句目→新鮮であることは庾信であり、優れていることは鮑照である。
第5・6句目→(私は)渭北の春の木(におり)、(あなたは)江東の日暮れの雲(を見ている)。
第7・8句目→いつか樽に入った酒を飲みながら、何度も一緒に細かく文学について語りましょう。

でどうですか?

だいたいOKです!第3・4句と第5・6句がキレイに対になっているのが分かると思います✨

第3・4句目は分かりづらいですが、「新鮮であることは庾信(のよう)であり、優れていることは鮑照(のよう)である。のように、李白が昔の優れていた詩人にひけを取らないことを述べています。

なるほど💡でもやっぱりそんな意味なら「若or如」くらいは入れて欲しいです💢

気持ちは良く分かります💦
ちなみに、この作品は、つまり何が言いたいのだと思いますか?

えーと…「李白凄くて好き!」って感じですか?

そんな感じです💡ちなみに、冒頭の「白や」というのは、本名呼びなので本来なら失礼にあたります。しかし杜甫と李白は仲良しだったため、あえて本名呼びをしています。
ここからも2人の関係性が分かりますね✨

本当に2人って仲良しだったんですね💡なんだかほほえましいです✨

ということで、これまで5回に分けて漢詩について学んできましたが、どうでしょうか?漢詩は難しいですが、だいたい今回までの内容を知っていれば、だいたいの問題に対応できます💡
お疲れ様でした!

けっこう難しかったけど、少しは読めるようになってきた気がします。ありがとうございました!

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