祇園祭(ぎおんまつり)の楽しみ方! 宵山(よいやま)と山鉾(やまほこ)の種類・意味を解説(中国にゆかりのあるもの中心)

1、祇園祭とは? どのような祭?

祇園祭は毎年7月に京都で行われるお祭りです。平安時代に疫病や天変地異が起こった時、午頭大王を祀ってお祓いをしたことが起源とされています。

イベントは1ヶ月かけて、様々なものが行われます。
その中でも特に有名なのが、14~16日に行われる前祭(さきまつり)の宵山(よいやま)と、17日・24日に行われる山鉾(やまほこ)巡行です。

このページでは、宵山の楽しみ方について解説した後、山鉾について中国との関わりを中心に解説します。読めば祇園祭を楽しめること間違いなし!!!

2、宵山(よいやま)の楽しみ方について

14~16日の宵山では、主に「①屋台を楽しむ」「②山鉾めぐりを楽しむ」という2つの楽しみ方があります。

①屋台を楽しむ」について

出店の様子(昼)

四条通り 夕方から歩行者天国

「①屋台を楽しむ」について、15日・16日において、阪急烏丸駅(地下鉄四条駅)付近の四条通り・烏丸通り・室町通り・新町通りに屋台が出店されています。

開いている時間については、場所によってバラバラで、お昼ごろから出る店もあれば、夕方から出る店もあります。

また、周囲の店が、店の前でそのお店にまつわる食べ物を売ることもあります。たとえば、

・膳處漢ぽっちりの「しみだれ豚まん」
・酒菜食房いちの「ハモカツバーガー」
・楽仙樓の「水餃子」「小籠包」
・AWOMBの「金魚サイダー」

が挙げられます。通常の屋台と比べ、珍しいものが多いので、是非チェックしてみて下さい!

酒菜食房いちの「ハモカツバーガー」

楽仙樓の「水餃子」(と台湾ビール)

②山鉾めぐりを楽しむについて

屋台が出る通りあたりに、山鉾が飾られていて、見ることができます。
(詳細な場所は以下のサイトを参照。)
http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/map.html

また、函谷鉾(かんこぼこ)や鷄鉾(にわとりほこ)など、人が乗る大きな鉾は、実際に乗ることができます✨
乗るのは有料ですが、乗るだけでなく、山鉾の周りの装飾品を見ることもできるため、とてもオススメです!

さらに、鉾を管理している社務所に行けば、山鉾ごとのちまき・御朱印・グッズを買うこともできますし、関連資料を見ることもできます。是非気に入った山鉾の社務所を訪れてみましょう💡

函谷鉾

綾傘鉾 展示

伯楽天山 スタンプ

占出山 スタンプ

鷄鉾 スタンプ

綾傘鉾 スタンプ

3、山鉾と山鉾巡行の意味とは?

山鉾は、神霊が住む山と清め祓う鉾を模すことで、縁起の良いものを表しています。
山鉾巡行とは、山鉾を牽くことで、神様の通る道を清め、後の神輿巡行への準備をする意味があります。

意味から考えると、神輿巡行がメインイベントですが、現代だと山鉾巡行のほうが注目されがちです💦

4、山鉾の種類について それぞれ解説!

山鉾の総数は35基(うち1基は江戸時代に消失したため休山)です。
名前は、上の提灯に書かれている通りです。

山鉾それぞれには、故事(エピソード)をもとに作られたものが大半を占めますが、うち7基は中国にゆかりがあります。以下で解説します。

①伯牙山(はくがざん)
【元ネタ】
昔、伯牙(はくが)は、琴の名手であった。そして、鐘子期(しょうしき)は、伯牙の奏でる音色の理解者だった。
ある時、伯牙が高い山に登るイメージで琴を弾くと、鐘子期は「すばらしい。まるで険しい泰山のようだ」と評価し、川の流れをイメージして弾くと、「すばらしい。まるで壮大な長江や黄河のようだ」と評価した。
その後、鐘子期が亡くなると、伯牙は自分の音色を聴かせるに値する人が居なくなったとして、琴の弦を切ってしまった。

→このエピソードをもとに
「伯牙絶弦(はくがぜつげん)」=親しい人と死別すること
「知音(ちいん)」=(互いの価値を知っている)親友
という故事成語が生まれ、また伯牙山のモチーフとなった。

→伯牙山では、伯牙が弦を斧で切ろうとしている様子を表している。

https://kyoto-hakugayama.stores.jp/

②孟宗山(もうそうやま)
【元ネタ】 
 昔、親孝行で有名だった孟宗(もうそう)が、冬に母のため山に登り、たけのこを探した。冬にたけのこが生えているはずがなく、途方に暮れたが、孟宗の母への思いが天へと届き、地面が割れてたけのこが現れた。

→孟宗山はこのエピソードがモチーフとなっており、雪が降る中、孟宗がタケノコを探している様子を表している。

③白楽天山(はくらくてんやま)

【元ネタ】
 白楽天が杭州(こうしゅう)の長官であった時、とあるお坊さん(道林禅師)と会った。道林禅師は、毎日松の木の上でまるで鳥の巣に籠って坐禅をしているかのようであり、鳥窠禅師(ちょうかぜんじ)と呼ばれていた。白楽天は、ある日「そんなところで座禅をしていると危険ではありませんか」と質問した。 道林禅師は、「私にはあなたの方が危険に見えます。」と答えました。

 白楽天は「私は杭州の長官として赴任している白居易です。この辺りは全て私が治めているのに、どうして危険でしょうか。」と答えた。
  道林禅師は「そのような煩悩で頭を満たしていて、どうして危険がないと言えましょうか。」と心の穢れを指摘した。白楽天は更に「仏教の真髄は何でしょうか。」と質問を重ねると、道林禅師は「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教(悪事をはたらかず、善行を積み、自ら心を浄める、これ仏教の教えである。)」と答えました。

 白楽天は道林禅師の答えを聞いて、「そんなことは三歳の童子でも知っています。そうではなく、仏教の極意を訊ねているのです。」と続けた。すると道林禅師は「三歳の子どもでも知っていることですが、八十歳の老人でも実践が難しいことです。」と答えました。 白楽天は道林禅師のこの言葉を聞いて自らの至らなさを悟り、礼拝し早々に帰った。

→白楽天山は、この話がモチーフとなって生まれた。この問答の様子を表現している。

④函谷鉾(かんこぼこ)

【元ネタ】
 孟嘗君という人が、強国である秦に招かれた後、秦の王様からその優秀さを危険視され、殺されそうになった。孟嘗君は、まず王様の妃に生きて帰るための協力をお願いしたが、妃は狐の貴重な毛で作ったコートをくれれば協力すると返答する。そのコートは既に王様に献上してしまっており、孟嘗君は困った。しかし幸い、孟嘗君の同行者に犬のように家に侵入し盗む才能を持つ人がおり、その人の活躍でコートを手に入れ、妃に渡すことができた。

 コートをもらった妃は、王様に孟嘗君を殺さないように頼み、無事帰国を許された。しかし孟嘗君は、王様が心変わりするのを恐れ、できるだけ早く帰国しようとした。夜明け前に函谷関(かんこくかん)までたどり着いたものの、函谷関は鶏が鳴いてからしか開かない決まりであった。ここでも孟嘗君は困るものの、同行者に鷄の鳴き声がうまい人がいて、その才能を発揮してくれたおかげで、すぐに函谷関が開き、無事帰国することができた。

※「鶏鳴」=「鶏の鳴き声がうまい才能」、「狗盗」=「狗=犬のように盗む才能」であり、
ここでは「たいして立派ではない特技」を指す。

→このエピソードがもとに「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」という言葉が生まれ、
「①立派ではないor大したことない才能/そのような才能を持っている人のたとえ。」
「②たいしたことない特技でも、使いようによっては役立つことのたとえ。」
という意味で用いられている。

→函谷鉾は、これが下地となっており、鉾の先端の三日月と山の装飾は、夜明け前の函谷関の薄暗さを表し、
中ほどには、孟嘗君と雌雄の鶏が取り付けられている。

⑤鷄鉾(にわとりぼこ)

 堯(ぎょう)という王様の時代、あまりに堯の政治がうまかったため、諫鼓(かんこ)という王様へ不満がある時に鳴らす太鼓が全く鳴らなかったので、鶏が棲み始めた。
(→ これが転じて閑古鳥(かんこどり)という言葉が生まれた。)

→鷄鉾は、このエピソードをモチーフとしている。

⑥郭巨山(かっきょやま)

【元ネタ】
 郭巨(かくきょ)は家が貧しい中、老母を養っていた。妻との間には3歳の子どもがいた。母はいつも、食事を減らして孫に与えていた。郭巨は妻に、「貧乏で全員へ十分な食事を与えることができないから、お前と一緒に子を埋めよう。子は再び生むこともできるが、母を再び得ることはできないから。」と言った。妻は逆らわなかった。

 そこで郭巨は穴を掘ったところ、黄金の入った一つの釜を見つけた。釜の上には、「天が孝子の郭巨に賜る」と書いてあった。

→郭巨山はこのエピソードがもとになっており、穴を掘りに行く郭巨を表現している。

⑦鯉山(こいやま)

【元ネタ】
 黄河(こうが)中流に「龍門」という急流があり、どのような魚も登り切ることができなかった。しかし、上ったら龍になるという伝説が存在している。
(→これがもとで「登竜門(とうりゅうもん)」という言葉が生まれた。)

→鯉山はこのエピソードがもととなっている。
→立身出世のご利益があると言われている。

以上、7つの山鉾の由来を解説してきましたがいかがだったでしょうか?
単に見るよりも、より山鉾巡行を楽しめると思います✨

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