家族がテーマの漢詩(両親・兄弟・妻・子ども) 6選

ポイント

  • 家族がテーマの漢詩として、「(りく)()(『()(きょう)』)」「(ゆう)()(ぎん)(もう)(こう))」「じょうてい(『詩経』)」「(せき)()(陶淵明)」「小児(蘇軾)」「離思(元稹)」が挙げられる。
  • それぞれ親子・兄弟・夫婦の関係がテーマとなっており、読めば自分の身近な家族について、改めて考え学ぶ事ができる。

こんにちは。本日は、「家族がテーマの漢詩(両親・兄弟・妻・子ども)」というテーマで紹介させてもらいます。

こんにちは。家族がテーマの漢詩ってあるんですね💡あんまり印象ないですが、興味はあります✨

確かに、漢詩ではあんまり取り上げられることはないテーマかもしれません。しかし、あるにはありますし、中々興味深い内容も多いです。今回の漢詩をきっかけに、自分の家族に対して改めて考えてみるとよいかもしれません✨

家族って身近な存在すぎて、改めて認識する機会ないかもしれませんね。ここで注目してみます💡

1、親孝行したい時に親はなし? (りく)()(『()(きょう)』)

注目

1、両親に先立たれた悲しみを詠う 蓼莪(りくが)

【現代語訳】

すくすく伸びたよもぎの葉も、今では、すっかり固くなってしまった。かわいそうな父母よ。私を産んで苦労して。

すくすく伸びたよもぎの葉も、今では、すっかり固くなってしまった。かわいそうな父母よ。私を産んでやつれ果て。

水がめの水が尽きるのは水がめの恥。(このように、自分はせっかく両親から愛情をもらったのに、その愛情を使い果たし、疲れ果てている)一人で生きていくくらいなら、死んでしまったほうがまし。

父がいなければ、誰に頼ればよいのだろう。母がいなければ、誰に頼ればよいのだろう。外に出たところで、悲しみがあふれ、家に居たところで(孤独で)どうしようもなない。

父よ母よ、私を産み養い、私を大事にして育ててくれて、私をずっと世話してくれて、いつでも私を抱きかかえて大切にしてくれた。この恩を返そうと思っていた時、天は無情にも父母を召された。

終南山は烈々と高くそびえ、風が強く吹き付ける。皆、幸せそうに暮らしているのに、どうして私だけが(孤独で)辛いのだろうか。

終南山は律々とそびえ、風が強く吹き付ける。皆、幸せそうに暮らしているのに、私だけが親孝行を果たせない。

【本文・書き下し】

蓼蓼者莪 匪莪伊蒿   蓼蓼たる莪   莪に匪(あら)ず 伊(こ)れ蒿

哀哀父母 生我劬労   哀哀たる父母  我れを生みて劬労す

蓼蓼者莪 匪莪伊蔚   蓼蓼たる莪   莪に匪ず これ蔚(い)

哀哀父母 生我勞瘁   哀哀たる父母  我を生みて老瘁す

缾之罄矣 維罍之恥   缾の罄(つ)くるは  維れ罍(らい)の恥

鮮民之生 不如死之久矣 鮮民の生くるは 死の久しきにしかず

無父何怙 無母何恃   父無くば何をか怙まん 母無くば何をか恃まん

出則銜恤 入則靡至   出でては則ち恤(うれい)を銜(ふく)み 入りては則ち至る靡し

父兮生我 母兮鞠我   父や我を生み  母や我を鞠(やしな)う

拊我畜我 長我育我   我を拊(な)で我を畜い 我を長じ我を育て

顧我復我 出入腹我   我を顧み我を復(まも)り 出入に我を腹(いだ)く

欲報之徳 昊天罔極   之が徳に報いんと欲するも 昊天極まり罔し

南山烈烈 飄風発発   南山 烈烈たり 飄風 発発たり

民莫不穀 我独何害   民穀(よ)からざるは莫きに 我れ独り何ぞ害える

南山律律 飄風弗弗   南山 律律たり 飄風 弗弗たり

民莫不穀 我独不卒   民 穀からざるは莫きに 我独り卒えず

両親に先立たれてて、読み手が可愛そうです…(;。;)

「孝行したい時に親はなし」という格言がありますが、これは昔の中国人にも当てはまる話だったみたいですね💡
子どもにとって両親という存在は、当たり前に存在していて、愛情を注いでくれる大切な存在です。(もちろんそうではない親子関係もありますが)
しかし、両親に先立たれた時、改めて両親のありがたみや感謝の気持ちが起こってくるのでしょう。

両親に感謝しているのなら、いつかではなく、機会があるごとに気持ちを伝えた方がよいですね!

そうですね。現代日本だと、父の日・母の日や誕生日にプレゼントをあげるがポピュラーな感謝の形ですかね?

私は毎年、父の日と母の日にプレゼントしています!

それは素敵だと思います✨
その他、中国の伝統的な親孝行として、「両親の考え方を大切にして受け継ぐ」「自分の身体を大切にする」「社会的に立派になる」「孫の顔を見せてあげる」などが挙げられます。

色んな親孝行の形があるんですね!自分が良いと思う親孝行の形が取れれば、それで良いのかなって思います✨

それで良いと思いますよ!

2、息子が母親の愛情を詠う (ゆう)()(ぎん)(もう)(こう)

注目

2、息子が母親の愛情を詠う 遊子吟(ゆうしぎん) 

【現代語訳】

とても優しい(私の)母は手の中にある糸で、

旅立つ私の服を縫ってくれている。

出発を前にしっかりと(私の服を)縫ってくれていて、

(我が子の)帰りが遅くなることを心配している。

短い草(のようなちっぽけな私の)心では、

とうてい春の輝き(のような母親の愛情へ)報いることができない。

【本文・書き下し】

慈母手中線 慈母 手中の線

遊子身上衣 遊子 身上の衣

臨行密密縫 行に臨みで密密に縫う

意恐遅遅帰 意に恐る 遅遅として帰らんことを

誰言寸草心 誰か言わん 寸草の心

報得三春暉 三春の暉に報い得んことを

【注釈】

・五言古詩。

・寸草→短い草。ここでは作者の孟郊のことを指す。

・三春の暉→春の輝き。ここでは母親の愛情のことを指すか。

ポイント

・作者の孟郊は、若い頃から科挙への合格を目指していたが、中々うまくいかず、50歳でようやく合格できた。「遊子吟」はこの時、高齢となった母親を呼び寄せた際に作ったもの。

・後半では、「春の太陽の輝きに草が恩返しできないように、母親の温かい愛情に息子が報いることができない」のように、それぞれ対応させている。

Q:あなたは、母親(or父親)のどのような言動で愛情を感じましたか?

例:毎日起こしてくれてる

例:弁当を作ってくれる

例:働いて養ってくれる

例:落ち込んだ時、優しくしてくれる

母親の深い愛情と、それに報いたいと思う息子の気持ちがとても良いですね✨

そうですね。1では「両親と子」でしたが、2では「母親と子」になっていて、また違う親子関係を映し出していますね💡

私は、2のお母さんみたいに服を縫ってくれたことはないけど、毎日ご飯作ってくれたり、起こしてくれたりします。当たり前だと思っているけど、こうやって改めて認識すると、ありがたみを感じます✨

どれだけ感謝すべきことでも、当たり前のように毎日受けていると、そのありがたみは中々実感しづらいですね💦だからこそ、このような漢詩を読んで自分を客観的に見るのはありだと思います💡

3、本当に大切な関係は友だちより兄弟?  じょうてい(『詩経』)

注目

2、本当に大切な関係は友だちより兄弟?  常棣(じょうてい)

【現代語訳】

庭桜(にわざくら)の花びらが、美しくむらがり咲いている。(同じように兄弟は同じ親から生まれ、共に成長する)今の人々よ。兄弟より頼りになる存在はいない。

死は誰もが恐れることではあるが、兄弟はとても(互いを)思いやるので、(戦いに出て)平原や沼地に出ていても、兄弟は互いに助け合い、(生き抜こうとするのである)

水鳥が(いるべき河辺ではなく)原っぱで鳴いている。(この水鳥のように)兄弟(どちらかが)危機に陥った際には、いつも付き合っている友だちは同情してくれるだけで、(親身になって助けてくれる訳ではない。やはり、ピンチの時に頼れるのは兄弟なのである。)

兄弟は、時に家の中でケンカをすることもあるが、外部から侮辱された際には、兄弟は争わず、心を合わせて助け合う。(しかし)いつも付き合っている友だちとは長続きせず、助けてくれることもない。

(一方で、)死や困難も既に止み、無事安寧になった時には、兄弟がいたとしても、友だちが大切だとされることもある。

食器に食べ物を入れて並べ、思う存分飲み食いする。兄弟はみな揃って集まり、和らぎ楽しみ、仲むつまじくある。

妻ともよく気が合うことは、琴を共に演奏すようである。兄弟はみな既に集まり、和らぎ楽しみ、飲み明かすのである。

あなたが家庭の人たちをよく整え、仲むつまじく親しんでいけば、あなたの妻や子も安らかに楽しく暮らすことができる。これをしっかり行えば、この(道理の)正しさを理解することができるだろう。

【本文・書き下し】

常棣之華、鄂不韡韡 常棣の華、鄂 韡韡たらざらんや

凡今之人、莫如兄弟 凡そ今の人、兄弟にしくは莫し

死喪之威、兄弟孔懐 死喪の威(おそ)れ、兄弟孔(はなは)だ懐う

原隰裒矣、兄弟求矣 原隰に裒(あつま)るも、兄弟求む

脊令在原、兄弟急難 脊令 原に在り、兄弟 難を急にす

毎有良朋、況也永嘆 毎に良朋有るも、況(ますます) 永く嘆く

兄弟鬩於牆、外御其務 兄弟 牆に鬩(せめ)げども、外 其の務(あなどり)を御ぐ

毎有良朋、烝也無戎 毎に良朋有るも、烝(ひさ)しくして戎(たす)くる無し

喪乱既平、既安且寧 喪乱既に平ぎ、既に安く且つ寧し

雖有兄弟、不如友生 兄弟有りと雖も、友生にしかずとす

儐爾籩豆、飲酒之飫 爾の籩豆を儐(つら)ね、飲酒之れ飫く

兄弟既具、和楽且孺 兄弟既に具り、和楽し且つ孺(した)う

妻子好合、如鼓瑟琴 妻子好合し、瑟琴を鼓するがごとし

兄弟既翕、和楽且湛 兄弟既に翕(あ)い、和楽し且つ湛(たのし)む

宜爾室家、楽爾妻帑 爾の室家に宜く、爾の妻帑を楽しむ

是究是図、亶其然乎 是れ究め是れ図るに、亶(まこと)に其れ然るか

熱い兄弟推しですね笑。「ピンチの時に頼れるのは友だちではなく兄弟」というのは、一理あるのかな?

何だかんだで血が繋がっていて一緒に育ったということで、絆がより深いということでしょうか?

私は一人っ子だから、このあたり実感湧かないんですが、先生はどうですか?

私には弟がいますが、普段そこまで密に連絡を取ることはないので、正直微妙ですね💦
どちらかというと、「遠くの親類より近くの他人」ということわざのように、普段付き合っている友人や知り合いを大切にしがちかもしれません💦

なるほど💡私の友だちに兄弟で仲良くって、よく助け合ってる人がいるので、本当に人それぞれなんでしょうね。

まぁいずれにしても、本来的に兄弟姉妹は自己にとって特別な存在であることは間違いないでしょう。これをきっかけに、関係を大切にするのもありですね💡

4、不勉強な自分の子どもにあきれる 責子(陶淵明)

注目

3、不勉強な自分の子どもにあきれる 責子(子を責む)

【現代語訳】

(私はもう)白髪が頭の左右の部分に被さり、皮膚にもツヤが無くなってきた。

5人の息子がいるが、みんな勉強嫌いである。

(長男の)舒(じょ)は16歳になるというのに、ずっと怠け者である。

(次男の)宣(せん)は15歳で学問に志すべき年だというのに、全く学問が好きではない。

(三男と四男の)雍(よう)と端(たん)は13歳だが、6と7の(区別も)つかない。

(末っ子の)通(つう)も間もなく9歳になるが、ただ梨や栗をねだってばかり(で勉強しない)。

(これが私に)定められた運命だというのであれば、私も酒を飲んで(好き勝手生きることにしよう。)

※昔の「6(六)」と「7(七)」は、書法的に見分けが難しかった。

【本文・書き下し】

白髪被両鬢 肌膚不復実 白髪 両鬢を被い 肌膚 復た実(ゆたか)ならず

雖有五男児 総不好紙筆 五男児有りと雖も 総べて紙筆を好まず

阿舒已二八 懶惰故無匹 阿舒は二八なるに、 懶惰なること故(まこと)に匹(たぐい)無し

阿宣行志学 而不好文術 阿宣は行く行く志学なるも 而も文術を愛せず

雍端年十三 不識六与七 雍と端とは年十三なるも 六と七とを識らず

通子垂九齡 但覓梨与栗 通子は九齢に垂(な)んなんとするも 但だ梨と栗とを覓(もと)むるのみ

天運苟如此 且進杯中物 天運 苟くも此くのごとくんば 且く杯中の物を進めん

次は親目線の漢詩ですね💡これって、現代の両親もよく言ってません?「うちの子はだらしなくて全然勉強しない!」みたいな笑

そうですね笑。いつの世でも、やはり親は子の将来が心配ですし、勉強しておいたほうが、将来良いことを実際に知っているから、真面目に勉強して欲しいのだと思います。

でも子どもは、将来のことを考える視野もそれほどないですし、勉強の大切さも分からないんですよね笑。それで両親とケンカしたり、あきれられたりする訳ですか…💦

これを読んだ親御さんは、心配からくるとはいえ、自分の子どもに過度な期待をするべきではないことを学べますし、子どもの立場の方は、両親が自分を心配してくれるからこそ、将来や勉強についてガミガミ言うことを学ぶことができますね💡

確かに…今度両親から、将来や勉強のことで何か言われても、頭ごなしに嫌がったりしないようにします!

親の立場の方は、陶淵明のように「なるようにしかならん!」と放っておくのも1つの手だてかもしれません笑

子どもに勉強とかを強制するよりはましかもしれないけど、それはそれで子どもの将来が心配です…笑

5、あなたは辛気くさい態度で周りに気を使わせていませんか? しょう(蘇軾)

注目

自分の妻と子どもから学ぶ 小児(しょうに)

【現代語訳】

赤ん坊(である我が子)は(大人の)苦しみや辛さを全く知らず、(無邪気に)座って私の着物を引っ張る。

私は子ども(のいたずらを)叱ろうとしたが、妻は(逆に)子どものいたずらをけしかけた。

「子どものいたずらより、あなたのほうがひどいですよ。あなたは(あれやこれやと心配して)楽しそうではなく、辛気くさい顔ばかりされているのはどうしてでしょう?」と。

私はこの言葉が(図星であり、家族に嫌な思いをさせていることに)恥ずかしくなって、立とうとした腰をまた落とした。すると妻は、盃を洗ってきて、(酒を)飲ませようとする。

(昔の有名な大酒飲みであった劉(りゅう)伶(れい))の妻が酒代のために断酒させようとしたことより、(自分の妻)は相当立派だ。

※劉(りゅう)伶(れい)…三国時代の人。竹林の七賢の1人。大酒飲みとして有名で、あるとき妻が禁酒をすすめると、「自分からはやめられないから神に誓ってなんとか禁酒する」と伝え、妻にお供えの肉と酒を用意させたが、それを平らげたというエピソードが残っている。完全にアル中…

【本文・書き下し】

小児不識愁 起坐牽我衣 小児 愁いを識らず   起坐して我が衣を牽く

 

我欲嗔小児 老妻勧児痴 我 小児を嗔らんと欲す 老妻 児の痴を勧む

  

児痴君更甚 不楽愁何為 児の痴 君更に甚し   楽しまずして愁うは何為(す)れぞ

  

還坐愧此言 洗盞当我前 坐に還りて此の言に愧じ 盞(さかずき)を洗いて我が前に当つ

 

大勝劉伶婦 区区為酒銭 大いに勝れり劉伶が婦の 区区として酒銭の為にするに

なんか、奥さんグッジョブって感じですね笑

素敵な奥さんだと思います笑
個人的には、「あなたは(あれやこれやと心配して)楽しそうではなく、辛気くさい顔ばかりされているのはどうしてでしょう?」という部分が刺さります…
プライベートでも仕事のことを考えてしまい、一緒に過ごす人との時間を楽しめていないことがあるので…
💦

男の人って、この蘇軾さんみたいに、プライベートでも仕事のことを考えている人多い気がします💡
仕方ないのかもしれませんが、一緒にいる人が上の空だったり辛気くさい顔してたら、やっぱりしんどいですね笑💦

仕事を頑張るのは良いことですが、仕事をプライベートに持ち込まないのも大切ですね。

6、先立たれた妻を想う 離思 其四(げんしん

注目

5、先立たれた妻を想う 離思 其四(離れたる思い 其の四)

【現代語訳】

広大な海を見たことがあれば、(他のいかなる)川も物足りなく思ってしまい、巫山(ふざん)(のように大きく立派な山の雲)を見たことがあれば、(他の)雲では物足りなく思ってしまう。(これと同様に、君のような素敵な人でなければ不足を感じてしまう。)

次々と咲き誇っていく花畑を見ても、振り返って(愛でる)気になれない。(その理由の)半分は自己を高めるため(に神経を使うからで)あり、もう半分は君(がいなくて見る気になれないから)である。

【本文・書き下し】

曾経滄海難為水 曾て滄海を経れば水と為すは難し

除却巫山不是雲 巫山を除却すれば是れ雲ならず

取次花叢懶回顧 取次たる花叢 回顧するに懶(ものう)し

半縁修道半縁君 半ば修道に縁り半ば君に縁る

すごく素敵です…✨亡くした妻を本当に愛していたことが分かる漢詩ですね!

そうですね。前半では妻がいかに素敵だったのかを表現し、後半ではいかに自分にとって妻が大切な存在であったかを表現していますね💡

でも後半は、半分じゃなくて「君がいないから花を見る気が全くしない!」くらい言って欲しいです…笑

本心としては、そのような気持ちがあったかもしれませんが、詩の中では強がっているのかもしれませんね。

その可能性を強く推していきたいですね!笑

詩人の愛妻家としては、杜甫が有名ですが、元稹も同様であったことが分かって良いですね✨

杜甫は、「月夜(げつや)」って作品で、家族のことを想っていましたね!

そうですね💡杜甫の「月夜」については、上で紹介しているので、興味があればご覧になってみて下さい✨

以上、「家族がテーマの漢詩(両親・兄弟・妻・子ども)」ということで、5つ紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

それぞれの家族の関係について、面白く味わうことができました!そして、自分の家族関係を改めて考えるよい機会になりました。ありがとうございました!!

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