荘子のひねくれているけど面白い話 3選

ポイント

  • 『荘子』には、一般的な価値観を批判する中二病的?な内容が多く含まれている。
  • 1では、「人が信じる「美人」の定義は人それぞれで大きな違いがある場合があるため、過度に気にする必要はない」という考え方を読み取れる。
  • 2では、「才能があるからこそ、人に使い倒されて早死にすることがあるから、必ずしも才能があるのはよいことではない」というのが分かる。
  • 3では、「書物では必ずしも作者が伝えたいことが全て表現されている訳ではないから、過度に書物を頼りにせず、実践で学ぶべき」というように読み取ることができる。

こんにちは!今日はどんな話を教えてくれるんですか?

本日は、一般的な価値観を真っ向から批判する面白い話を紹介します💡

1、人が信じる「美人」の定義はたいして意味がない?

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人が信じる「美人」の定義はたいして意味がない?(『荘子』より抄訳・補足)

毛嬙(もうしょう)や麗姫(れいき)のような絶世の美女が庭に現れると、(男達は群がるものの、)池の魚はその姿を恐れて隠れ、小鳥は驚いて飛び立ってしまう。

従って、美人というのは人間に対して通用するものであり、人間以外には通用せず、信じるに値するほど確かでない。

これは…ひねくれていますね笑
てゆうか、人間と動物は別物だから、当たり前なのでは?笑

確かにそうですね。しかし実際問題、「人間同士の美女の定義」も人それぞれです。
ナナさんは、「1番の美女」を選ぶなら、誰にしますか?

うーん…石原さとみさんや吉高由里子さんですかね?

なるほど。どちらもきれいな方ですね。
しかし、このサイトのランキングでは、佐々木希さんが1番ですね。
こちらのランキングではヤエル・シェルビアという人が1番になっています。日本と世界を基準にしていますが、中々違う部分が多いです。

ランキング2つとも見ましたけど、どの人も美人で納得いきます笑

一方で、このランキングに入る人全般に美しさを感じられない人もいます。世間ではいわゆる「B(ブス)専」と言われますね。

なるほど…確かに、人の中でも美人の定義は全く異なる場合がありますね💡

実際、世間で言われている美人やらイケメンやらブスや不細工など、あまり気にしすぎないほうがよいと思いますよ。このエピソードが述べるように、結局絶対的な美醜の定義なんてないのですから。

特に若い時や女性は、外見を重視することが多いですが、それで悩んでいる人が聞けば、気が楽になりそうですね✨

そうです。努力して自分を変えるのもありですが、「自分は現状で良いと思ってくれる人がいる」と考えるのもありですね!

2、役に立たない存在のほうが幸せ?

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役に立たない存在のほうが幸せ?(『荘子』より抄訳・補足)

とある大工の棟梁が、斉(せい)に出かけた。その地の社(やしろ)には、神木と呼ばれるクヌギの樹があった。その樹は、山を見下ろすほど大きく、この樹を材料にすれば、船が何十も作ることができそうな程であった。しかし、棟梁は目もくれず素通りしてしまった。

お供の弟子は神木に尋ねた。「私が棟梁に弟子入りして以来。こんなに素晴らしい木材は見たことがありません。しかし、棟梁は素通りされました。それはどうしてですか?」と。

「あれはつまらない木だ。あれで船を作れば沈むだろうし、棺桶を作ればすぐ腐るだろうし、道具を作ればすぐ壊れるだろうし、柱にすればすぐ虫が食うだろう。つまり、全く役に立たない木だ。使い道がない。だからこんなに長生きできるのだ。」と。

棟梁が家に帰ると、神木が夢に出てきてこう言った。「お前はわしを何と比べるつもりか?ナシやユズなどの実のなる木は、実が熟すればもぎとられ、辱めを受けることになる。つまり、なまじ人の役に立つという取り柄があるからこそ、かえって自分の命を苦しめてしまうのだ。これは木に限らず、人も同じである。才能があるからこそ、使い倒されて早死にしてしまう。私は、ずっと以前から、役立たずでありたいと願ってきたのだよ。」と。

これもひねくれているけど、一理はあるかもしれません💦

一般的には、才能がある人が評価されたり、努力して人々の役に立つような人になることが善しとされます。
しかし、これは絶対ではないです。なぜなら、そういう有用・有能な人材は、使い潰されるのが世の常だからです。

才能があって早死にするのと、才能はないけど長生きするのでは、どっちが幸せなんですかね?

難しいですが、少なくとも能力があれば絶対善いという訳ではないということです。
今後生きておく上で、心に留めておくとよいでしょう。

了解です!まぁ。才能を発揮して長生きするのが1番ですので、そっちを目指すのもありですね!笑

それはそうですね笑。人の役に立った時のうれしさというのは、何物にも代えがたいですからね✨

3、書物は作者の絞りかす?

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書物は作者の絞りかす?(『荘子』より省略・補足)

斉の桓公が書物を読んでいた時、「扁(へん)」という車輪職人が近くで車輪を作っていた。扁は作業を止めると、桓公に尋ねた。

「殿に伺いますが、殿が読んでいるのは、誰の言葉ですか?」「聖人の言葉である。」「聖人は今でも生きているのですか?」「もう亡くなっている」「では殿が読まれているのは、古人の糟粕(絞りかす)ですね。」と。

桓公はむっとして言った。「私が書を読んでいるのに、職人風情が口だしするとは。正当な理由がなければ、死刑とするぞ。」と。

扁は答えた。「では、自分の仕事をたとえとして説明いたします。車輪の木を削る時、削り方が遅すぎても早すぎてもうまく機能しなくなります。その加減のコツは、口や文章では説明できず、手応えで修得するのみです。しかし、私は70歳となりましたが、

子どもは未だにそのコツを修得することができないため、おちおち引退もできず、今でも車輪を削っているのです。

一方、昔の聖人は、その伝えることができない体験とともに、既にこの世を去っています。ということは、殿が読まれているのは、まさしく「古人の糟粕」ということであり、文字で伝えられる物事には限界があるということです。」と。

これは…今回だと1番ひねくれている気がします。
本を読むのは良いことっていうのが常識ですが、それを真っ向から批判していますね。
中二心をくすぐります笑。

しかし実際、「書物」や「読書」に限界はある気がします。
私は読書も執筆活動も行いますが、「作者の意図を100%読めている」と思うことはないですし、逆に自分の文章を読んでもらった感想を聞いても「読者の方は100%私の意図を汲み取ってくれていないな」と感じることもあります。

それは、伝え方や読み取り方の問題では?

その可能性は充分あります。しかし、結局は他人同士ですし、どんなに表現スキルや読解スキルがあったとしても、文字に限界がある部分もあると思いますよ💡

まぁスポーツや料理など、言語化しづらい部分がある技術はあるかもしれませんね。

この話を真に受けて読書をやめる必要はありませんが、書物や読書に限界があることも知っておくのはありだと思います

その限界は、自分なりに実践してみて埋めていけば大丈夫ですね!

良いこと言いますね!その通りだと思います✨

以上、ひねくれた話を3つ紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

実際、ひねくれていて中二病っぽかったですが、常識に囚われないことや視野を広げることは大切ですね。楽しむだけではなく、色々勉強になりました!



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