漢文の「之(これ・ゆク)」の意味・用法を知ろう! 2つの形式目的語に注意!

ポイント

  • 漢文で頻出の「之」は、①「之(の)」=「~の」と②「之(ゆ)く」=「行く」、③「之(これ)」の用法が存在する。
  • ③「之(これ)」は、指示語(=これ)に加え、2種類の形式目的語の用法が存在する。形式目的語の場合、どちらも訳す必要がないので注意!
  • 1つ目が「強調の際に置かれる「之」」である。これは、目的語を強調するために「之」を用いるもの。訳す必要はない。下のように2つのパターンあるので注意!
  • (例1)前に持ってきた目的語の代用としての「之」パターン
    死馬且買。況生者乎馬今至矣。(『十八史略』)
    死馬すら且つ之を買う。況(いわ)んや生くる者をや。
    死んだ馬(の骨)でさえ、(五百金もの大金で)買ったのだ。生きている馬なら、なおさら高く買うに違いないと(馬商人は)思うだろう。
    →本来は「且買死馬」であるが、「死馬」を文脈的に強調したかったため前に持ってきて、元々の場所に「之」を置いて代わりとし、「死馬且買」となった。従って、ここでの「之」は特に何かを指しているのでは無く、訳す必要はない。
  • (例2)前に持ってきた目的語のすぐ後ろにくっついて強調する「之」パターン
    子曰、「道聴而塗説、徳棄也。」(『論語』)
    子曰く、「道に聴いて塗(みち)に説くは、徳を棄つるなり。」と。
    →孔子がおっしゃるには、「(良い言葉を)道ばたで聞いても、(またすぐ別の)道ばたで(他人に)話してしまうのは、徳を棄てる(行為)である。」と。
    →「徳棄也」も③と同じで、直前の「徳」を強調している。本来は「棄徳也(徳を棄つるなり)」で問題ないが、強調のために語順が変化し、さらに「徳」の後ろに「之」を置いて「徳」を強調している。(「之」は、現代語訳する際には特に訳す必要はなし。)
  • 2つ目が「直前の漢字を動詞に読ませるための「之」」である。これは、漢文が活用せず、見かけ上どの品詞でも同じ見た目になること(例:慮→考えること(名詞)/考える(動詞)どちらの解釈も可能)から生まれた用法。訳す必要はない。
    (例)今寡人与一国慮、魯不免於乱何也。(『韓非子』)
    今寡人一国とを慮れども、魯乱を免れざるは何ぞや。
    現在私は(自分の)国内中(の人々と)検討しているのに、魯が乱れを免れないのはどうしてだろうか。
    →ここでの「之」も形式目的語だが、上とは役割が「慮」を動詞として読ませる役割。「今寡人与一国慮」の場合、「今寡人 一国の慮と」のように、「慮」=名詞で読むこともできるため、「之」を添え動詞で読ませようとしている。

※「之」には「之(これ)」の用法の他、「之(の)」「之(ゆ)く」という用法もあり。

1、強調の際に置かれる形式目的語「之(これ)」

こんにちは。本日は、漢文で意外とやっかいな「之」について理解を深めましょう💡漢文で頻出の「之」は、①「之(の)」=「~の」と②「之(ゆ)く」=「行く」、③「之(これ)」の用法が存在します。特に注意すべきなのが③の用法です。

こんにちは。③「之(これ)」って、「これ」っていう指示語じゃないんですか?

おっしゃる通り、「之」=指示語の「これ」の用法はありますが、それ以外にも注意すべき「之」の用法が2つあります。
割とよく出てくるので、是非知っておきましょう!まずは、以下の例文と説明を見てみて下さい。

①死馬且買。況生者乎馬今至矣。(『十八史略』)
死馬すら且つを買う。況(いわ)んや生くる者をや。
死んだ馬(の骨)でさえ、(五百金もの大金で)買ったのだ。生きている馬なら、なおさら高く買うに違いないと(馬商人は)思うだろう。
(解説)
→本来は「且買死馬」であるが、「死馬」を文脈的に強調したかったため前に持ってきて、元々の場所に「之」を置いて代わりとし、「死馬且買」となった。従って、ここでの「之」は特に何かを指しているのでは無く、訳す必要はない。

②青取於藍、而青於藍、氷水為、而寒於水。(『荀子』)
青はを藍に取りて、而れども藍よりも青く、冰(こおり)は水を為して、而れども水よりも寒(つめた)し。
青の染料は、藍(あい)の草から作るが、その色は元の草よりも青い。氷は水から形成されるが、その冷たさは、元の水よりも冷たい。(これと同じように、元々才能がない人も努力を継続させていけば、別人かと思うほど成長することができるのだ。)
(解説)
→「青取於藍」「氷水為」の「之」は、どちらも①の「之」と同じ。本来は「取於藍」「水為」だが、「青」「氷」を前に持ってきて強調したため、後ろに形式目的の「之」を置いた。

なるほど…①②の例文と解説を見るとすごく納得できます!確かにこれまで漢文を読んでて、「明らかに何かを指す語じゃないよなぁ…」って「之」があったのですが、何となくスルーしていました。強調のために前に移動した目的語の代わりの「之」だったんですね!

まぁ結局無視すれば良いのですが、変に「之=なにかを指している!」っていう頭だと、無理やり変な現代語訳をしてしまう可能性があるので、気を付けましょう!

しっかり訳さない理由が分かったので、次からはバッチリです!

また、強調の「之」は、以下のようなパターンで登場することもあるので、あわせて理解しておきましょう💡

③子曰、「古者、言不出、恥躬之不逮也。」(『論語』)
子曰く、「古は、言を出ださざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥づればなり。」と。
孔子がおっしゃるには、「昔(の人々)は、言葉を(軽々しく)発しなかったのは、自分(の行い)が及ばない(=口だけになってしまう)のを恥じたからである。」と。
(解説)
→「言不出」の「之」は何かを指す代名詞ではなく、直前の「言」を強調する役割を果たしている。
→「言不出」は本来は「不出言(言を出さず)」で問題ないが、強調のために語順が変化している。
(「之」は、現代語訳する際には特に訳す必要はなし。)

④子曰、「道聴而塗説、徳棄也。」(『論語』)
子曰く、「道に聴いて塗(みち)に説くは、徳を棄つるなり。」と。
→孔子がおっしゃるには、「(良い言葉を)道ばたで聞いても、(またすぐ別の)道ばたで(他人に)話してしまうのは、徳を棄てる(行為)である。」と。
(いわゆる「道聴塗説」で、自分でろくに考えもせず、他者からの話を受け売りにすることを批判している。)
(解説)
→「徳棄也」も③と同じで、直前の「徳」を強調している。本来は「棄徳也(徳を棄つるなり)」で問題ないが、強調のために語順が変化し、さらに「徳」の後ろに「之」を置いて「徳」を強調している。
(「之」は、現代語訳する際には特に訳す必要はなし。)

⑤何常師有。(『論語』)
何の常師か有らん。
(孔子には)どうして特定の決まった先生がいただろうか。(いや特定の先生はおらず、様々な人を先生とした。)
(解説)
→「何常師有」の「之」は、特に指すものはなく、「常師」を強調する役割。(あるいは単なる語感を整えるため)

⑥惟弈秋之為聴。(『孟子』)
惟だ弈秋(えきしゅう)にのみ聴くことを為す
ひたすら(碁の名人である)弈秋の(教え)を聴く。
(解説)
→本来は「惟聴弈秋(惟だ弈秋にのみ聴く)」だが、「弈秋」を強調するために前に移動した結果、形式目的語の「之」を出した。さらに⑥のように「為」がセットで登場することがあるが、この場合の「為」も形式語で意味は無い

こっちは「之」が目的語のすぐ後に来ているパターンですね!こういうパターンもあることをしっかり抑えておきます✨

なんか「目的語+動詞」って語順だと、日本語みたいですね💡

確かにそうですね。漢文は基本的に「動詞+目的語」ですが、今回のような例外は割と有るので、注意しておきましょう!

こうやって例文①②③④⑤⑥を改めて見ると、指示語じゃない「之」って割と出るんですね…💦抑えとかなきゃいけませんね!

例文は氷山の一角で、形式目的語の「之」は頻繁に登場するので、是非抑えておきましょう!

2、直前の漢字を動詞に読ませるための形式目的語「之(これ)」

「強調の際に置かれる形式目的語の「之(これ)」」の他に、あと1つ「直前の漢字を動詞に読ませるための形式目的語の「之(これ)」」も学んでおきましょう!
以下に例文を挙げます。

⑦凡人之有為也、非名則利也。(『韓非子』)
凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば則ち之を利とするなり。
だいたい人が物事を行うのは、名誉であると思うのでなければ、利益だと思うからである。
(つまり、人間の行動原理は「名誉」か「利益」ということを主張する。)
(解説)
→「非名則利也」の「之」2つは、指示語ではなく、直前の「名」「利」を動詞として読ませるために置いた語。「之」がない「非名則利也(名に非ざれば則ち利なり)」と読みたくなり、本来の意味で捉えるのが難しくなる。従って「之」を添えて「名」「利」を動詞として読ませようとしている。

⑧今寡人与一国慮、魯不免於乱何也。(『韓非子』)
今寡人一国とを慮れども、魯乱を免れざるは何ぞや。
現在私は(自分の)国内中(の人々と)検討しているのに、魯が乱れを免れないのはどうしてだろうか。
(解説)
→ここでの「之」も⑦と同じ役割の形式目的語で「慮」を動詞として読ませる役割。「今寡人与一国慮」の場合、「今寡人 一国の慮と」のように、「慮」=名詞で読むこともできるため、「之」を添え動詞で読ませようとしている。

こんな形式目的語もあるんですね💡
でも高校生は、基本的に返り点・送り仮名ありで読んでいるので、動詞であることを示されても、そこまで読解の役には立ちませんね笑

それはその通りです。ただし、白文(=返り点・送り仮名・句読点無しの漢文)を読む場合は、非常に役立ちます✨
当たり前の話ですが、元々漢文は、訓点付きを想定して書かれている訳ではないですし、何より活用が存在せずに見かけが変わらない(例:慮→考えること(名詞)/考える(動詞)どちらの解釈も可能)ので、こういう工夫がある訳ですね💡

「返り点・送り仮名・句読点無し」って、それただの漢字の羅列じゃないですか…そりゃあ「動詞化させる「之」」もある訳だ💦

ちなみに、元々の漢文は下みたいなやつです。

見ただけで息苦しくなってきます…💦笑

白文になると難易度は格段に上がります。専門家でもよく間違えますね💦

見ただけで難しいのは伝わりました!笑
読みたいとは思いませんが、お陰で「動詞化させる「之」」はばっちり覚えました!

よかったです笑
今回紹介した2種類の形式目的語の「之」は、抑えておくと漢文は読みやすくなります。普段から意識して読みましょう💡お疲れ様でした!

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