もくじ
- 1、理想の学びは「学習」と「思考」の両立! 学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し
- 2、あなたの学びは実践で役立てられていますか? 故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る
- 3、才能がないことを努力できない言い訳にしていませんか? 今 女(なんじ)は画(かぎ)れり
- 4、学びに終わりはない? 継続と復習の大切さ 学は及ばざるが如くせよ
- 5、つまらないと思って勉強していませんか? 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず
- 6、学びを深めれば偏見が減らせる! 学べば則ち固ならず
- 7、少し聞きかじった(学んだ)だけで知ったふりをしていませんか? 道聴塗説(どうちょうとせつ)
- 8、見栄を張って知ったかぶりをしていませんか? 知らざるを知らずと為す。是れ知るなり
1、理想の学びは「学習」と「思考」の両立! 学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し
【現代語訳】
先生がおっしゃるには、「(広く他人の説や解釈を)学ぶだけで自分なりに考えて理解しなければ、何も身に付かず(また活かせず)、(逆に)自分なりに考えるだけで(広く他人の説や解釈を)学ばなければ、(独断偏向に陥り)危ういものになってしまう。」と。
【原文】
子曰、「学而不思則罔、思而不学則殆。」
【書き下し】
子曰く、「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」と。(『論語』為政篇)
【解説】
- 真の学習とは、「広く学ぶこと」と「自身で考えること」の両方ができてはじめて達成されるという言葉。
- ここでの「学ぶ」は、ただ単に「暗記」するのではなく、しっかりと「理解」することである。従って、単に点数を取るために暗記することは、孔子が述べる学習とは異なる。
- 「義務教育で学ぶことは社会に出ても役にたたない」と述べる人間がいるが、それは「思う」=「自身で考えること」が不足しているから(もしくは教師が「思う」ことを促さなかったから)なのかもしれない。
- 一方で、違和感があってどこかズレている人生哲学を持つ人間は、「学ぶ」=「広く学ぶこと」が不足しているのかもしれない。
Q:これまであなたが行ってきた学習は、どうでしたか?
A:自分で考えて、かつ広く学ぶことができていた
B:自分で考えていたが、広く学ぶことができていなかった
C:広く学べてはいたが、自分で考えることができていなかった
D:どちらもできていなかった。
2、あなたの学びは実践で役立てられていますか? 故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る
【現代語訳】
先生がおっしゃるには、「昔の事柄をよく学んだ上で新たに気付(きうまく活用できれは)、先生となることができる。」と。
【原文】
子曰、「温故而知新、可以為師矣。」
【書き下し】
子曰く、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以って師と為るべし。」(『論語』為政篇)
【解説】
- いわゆる「温故知新」の出典。孔子は、単に教養としての学問だけでなく、現代で活用できるようになって初めて一人前と考えていた。実践的。
- あなたの勉強は、しっかり活用に繋げられていますか?あなたの学んでいる事は、どのような場面で役立つか考えていますか?
3、才能がないことを努力できない言い訳にしていませんか? 今 女(なんじ)は画(かぎ)れり
【現代語訳】
(弟子の)冉求が言った。「先生の説かれる道(=正しい生き方)に心をひかれないのではありません。ただ、私の力が足りず、(実践することができません)」と。すると、孔子がおっしゃった。力が足りないかどうかは、限界まで努力してみなければ、分かるものではない。本当に力が足りなければ中途で諦めるだけだ。おまえは(始める前から、)自分の力に見切りをつけている(がそれがいけない)。」と。
【原文】
冉求曰、「非不説子之道。力不足也。」子曰、「力不足者、中道而廃。今女画。」
【書き下し】
冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説(よろこ)ばざるに非ず。力足らざるなり。子曰く、「力の足らざる者は、中道にして廃す。今 女(なんじ)は画(かぎ)れり。」と。(『論語』雍也篇)
【解説】
- 理想と現実の間で苦しむ弟子と、それに対する孔子の言葉が述べられる。才能を言い訳に努力ができないと言い訳している人は、ひとまずやれるところまで頑張ってみればよいのでは?
- 孔子は、人間の生まれながらの性質はそこまで違いが無いが、その後の習慣や努力で大きく変わってくると考えた。(性相近し。習い相遠し。)
4、学びに終わりはない? 継続と復習の大切さ 学は及ばざるが如くせよ
【現代語訳】
学びとは、(常に)「十分ではない」と思うようにすべきである。しかも、得た学びを失わないか常に恐れて(復習)すべきである。
【原文】
子曰、 「学如不及、猶恐失之。」
【書き下し】
子曰く、「学は及ばざるが如くせよ。猶お之を失わんことを恐れよ。」と。(『論語』泰伯篇)
【解説】
- 特に前半に注目したい。ある程度学ぶと、「自分は賢い」と調子に乗ってしまい、努力を怠ることがある。また、学生という「教える存在」と常に接する教師も同様に変化してしまうことがある。
- しかし、そのような態度は、他者を不快にさせる可能性がある他、そこで成長が止まってしまう。常に謙虚な態度で、学びを忘れない姿勢を取っていれば、生涯成長できるか?
- 後半は復習の大切さを述べる。人間の頭はすぐに忘れてしまうため、面倒だが定着するまで繰り返し復習する必要がある。
5、つまらないと思って勉強していませんか? 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず
【現代語訳】
(物事を単に学んで)知っている(だけ)の人は、好きで(学んでいる)人に敵わないし、好きで(学んでいる)人は、楽しみながら(学んでいる)人には敵わない。
【原文】
知之者不如好之者、好之者不如楽之者。
【書き下し】
之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。(『論語』雍也篇)
【解説】
- 楽しんで学ぶ>好きで学ぶ>とりあえず知っているだけ
- 学習(や仕事)は、楽しむことを忘れてはいけない。「やらされている」「言われたからとりあえずやる」だと、上達しないしつまらない?
→あなたは、楽しんで勉強できていますか?
→楽しんで勉強するためには、どのような工夫が必要でしょうか?
6、学びを深めれば偏見が減らせる! 学べば則ち固ならず
【現代語訳】
学びを深めれば、考え方が固定的ではなく柔軟となり、(視野が広くなって偏見が減る。)
【原文】
学則不固。
【書き下し】
学べば則ち固ならず。(『論語』学而篇)
【解説】
- いわゆる「差別や偏見は無知から生まれる」ということ。我々はしばしば「自分の考え=正しい/自分とは異なる考え=誤り」とみなしたり、世間の一部で言われている価値観を鵜呑みにしたりする傾向にある。(例)「○○」好きなor嫌いな人が理解できない。○○な人はクズ。
- しかし様々な考えや価値観を学べば、自分の考えが一意見でしかないことが分かり、良い意味で固執しないようになり、偏見や差別が減っていく。
- あなたは、差別や偏見に基づいた発言をしてしまった経験はありますか?ないと答えた方、それは気付いていないだけでは?
7、少し聞きかじった(学んだ)だけで知ったふりをしていませんか? 道聴塗説(どうちょうとせつ)
【現代語訳】
先生がおっしゃるには、「道ばたで聞きかじったことを、またすぐに道ばたで(他者へ)伝えるのは、道徳を失ってしまうことになる。」と。
【原文】
子曰、「道聴而塗説、徳之棄也。」
【書き下し】
子曰く、「道に聴きて塗に説くは、徳を之棄つるなり。」と。(『論語』陽貨篇)
【解説】
- いわゆる「道聴塗説(どうちょうとせつ)」という言葉の出典。特に、大して勉強しておらず、単なる受け売りになってしまっているさまを表す。
(例)テレビやネットの発言を無批判に取り入れ、自分の意見として自慢げに話してしまう。 - あなたは、上の例のような振る舞いをしたことがありますか?
8、見栄を張って知ったかぶりをしていませんか? 知らざるを知らずと為す。是れ知るなり
【現代語訳】
孔子がおっしゃっるには、「由(=子路)に「物事を知る」とは何か教えよう。自分が知っていることは「知っている」として、知らないことは「知らない」と素直になることが、(本当の)「知る」ということだ。」と。
【原文】
子曰、「由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。」
【書き下し】
子曰く、「由、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。」と。
【解説】
- 「知る」とはどういうことなのかを説いた言葉。
- 特に、人がしばしば知ったふりをしていることに対する戒めの言葉でもある。なんでも知っている事が素晴らしいのではなく、知らないことは知らないと言えるのが本当に素晴らしいことである。
分かりやすかったです!